顔映ゆし日本人

2023年06月08日 | 日記・エッセイ・コラム
「かわいい」の語源は平安時代の今昔物語にもみられる「顔映ゆし(かほはゆし)」で、これが、かははゆし→かわゆしと変化しました。映ゆし、は目を開けていられないほどまぶしい、気まずい、直視できないという意味です。「面映ゆい(おもはゆい)」は恥ずかしくて相手に対面出来ないという意味で、現在もそのまま残っています。面は相手に見せる側で、顔はその持ち主の側と使い分けていたようです。面映ゆいと顔向け出来ないわけです。時代劇で殿様が「おもてを上げよ」というのは、「顔を上げてお前の面を見せろ」という命令です。
 さて「顔映ゆし」は自分が見たものに対して、自分の顔が不愉快に感じる状態の表現です。そこからその自分の見たものを気の毒におもうこと、助けてあげたい守りたいとおもうこと、そして助けてあげたい守りたいような対象全般を指す言葉になりました。ちなみに「醜い」の語源は「見・憎い」で、見て不愉快な気持ちになる(でも、助けたい、守りたいとはおもわない)ことなので、「顔映ゆし」に近い言葉だったわけです。「可愛い」はずっと時代が下ってから、同じような意味を持つ中国語の「可愛」と融合した当て字です。
 日本人は感情豊かですが、感情の表現が上手ではありません。そんな日本人にとって「かわいい」は便利な言葉です。英語ではcute、adorable、prettyと使い分けますが、日本人は赤ん坊も子犬もぬいぐるみもアニメキャラクターもアイドルもコスメやアクセサリー、スイーツも、亀の子たわしだって「かわいい」です。中国語の「可愛」は魅力的、尊敬できるの意味で、人にしか使いませんが、われわれ中高年男性が若い女性に「かわいい」と言われたら、中国語ではなく日本語の元々の意味をおもいださなくてはいけません。
 「顔映ゆし」→「かはゆし」は「かはいさう」にも変化して、「かわいそう」は気の毒におもうことの意味を引き継いでいます。可哀相は後の当て字です。
 それゆえ日本人は、「かわいそう」なものに対して、「かわいい」ものと同様に、助けたい、守らなくてはいけない、とおもってしまいます。poor やpityは同情憐憫止まりで、自分はそんな風になりたくないという感じなのですが、感情豊かな日本人は守りや助けに向かってしまうのです。異性には、失礼、性自認を問わず性的嗜好の向かう相手には、「かわいい」より「かわいそう」とおもってもらったほうが脈ありです。
 LGBT、不法滞在者、困難を抱える少女たち・・・、わが国では当事者よりも「かわいそう」とおもって活動をしている人たちが張り切りすぎているように見えますね。