彼岸花とはしか

2004年09月27日 | 日記・エッセイ・コラム
 赤く細長い花弁を整然と上向きに反らせて咲き誇る曼珠沙華、その少し朱が混じった赤い色は、自然のものとはおもわれない気味悪さを感じます。
 曼珠沙華という名前も不気味です。暴走族の落書きのようなこの名前は法華経に語源があり、摩訶曼陀羅華と摩訶曼珠沙華が、会い難い仏縁に会ったことを喜んで、天から降り注いだということによるそうです。昔の人もこの花に抹香臭さを感じていたのでしょう。
 恥ずかしながら、この曼珠沙華と彼岸花が同じ植物であることを最近知りました。名前だけは知っていて、彼岸という語感から、カスミソウみたいな淡い小さな花を勝手に想像していましたが、あの真っ赤な花とわかったときには本当に驚きました。
 お彼岸の頃に墓地によく咲いているということで、彼岸花。曼珠沙華と同じく仏教的な由来ですが、ずいぶんイメージが違います。
 おそらく、彼岸の季節に境内に咲く赤い花を、僧侶や知識層が曼珠沙華と呼び、庶民は彼岸花と呼んでいたのではないでしょうか。
 はしかを医学用語の「麻疹」と呼ぶ習慣がついてしまっていたのですが、開業医になってお母さん方と話す機会が多くなり、「はしか」を使うようになりました。
 実は医学生になるまで、はしかを麻疹と呼ぶことは知りませんでした。水ぼうそうは水痘、おたふくかぜは流行性耳下腺炎、三日はしかは風疹です。
 麻疹は麻の実のような細かい発疹がでることから付けられた病名ですが、一般名の「はしか」はどうしてそう呼ばれるようになったのか全くわかりません。水ぼうそう、おたふくかぜは、症状そのままのネーミングですが、はしかについては想像がつかないし、習った覚えもありません。でもひょっとして彼岸花のように、知らないのは私だけなのではないかとおもい、恐る恐る周囲に聞いてみましたが、誰も知らなかったので、ほっとしました。
 はしかの語源ははっきりしないようです。
 稲や麦の花にある針のような突起を芒(はしか)といい、のどにできる小さな斑点がこの芒に似ていることからか?と、大言海にありました。これはコプリック斑という麻疹特有の症状のことで、医者なら絶対に見落としてはならないもの。「はしかは命定め」といわれるぐらい恐れられていた死病でしたから、昔の人は子供に熱と発疹があると、口の中をよく観察していたのかもしれません。でもこれは医学の知識のある人が、こじつけた説のような気がします。
 信憑性があるのは、瘡の先端が赤いことからハシ-アカ、これが「はしか」になったという、古今要覧考にある説。これだと使われているうちに語源がわからなくなったとしてもおかしくない感じがします。でも先の赤いデキモノはたくさんあるのに、「はしか」をとくにハシアカと呼んだのはなぜ?
 「はしか」の語源をご存知の方は教えてください。
  info@himonya-naika.jp まで。



2リーグ制と常任理事国

2004年09月23日 | 日記・エッセイ・コラム
 小泉首相がニューヨークで国連常任理事国入りを画策しているとき、日本プロ野球選手会は2リーグ制の維持に必死になっている。国連は第二次大戦に勝った連合国が、自分たちに都合のよい秩序を維持するためにつくった制度で、常任理事国はまさに戦勝国メジャーリーグだ。プロ野球は1949年新規参入球団の是非をめぐって、セ・パ両リーグに分裂した。
 今、戦争に負けた国が、金に飽かせてかつての敵国の仲間入りをめざしている。
 内紛の遺物である2リーグ制を維持するのが正義になりかけている。
 歴史はおもしろい。


トイレにようこそ

2004年09月20日 | 日記・エッセイ・コラム
 劇場やデパートで、外の廊下まで続く女性の長い列の脇を通って入るときには、男に生まれて本当によかったと、いつもおもいます。
 ロープウエイが事故で何時間も宙吊りになっているとか、犯人が人質をとって立てこもっているなんて事件が報道されると、閉じ込められている人たちはどうしているのだろうと、そればかり気になってしまいます。
 旅行好きだった患者さんが、近くなってしまったのが心配で海外旅行には行けないと嘆いていらっしゃいましたが、言葉の通じない国では切実です。
長時間の手術中のことが心配で、外科医になるのをあきらめました。人は集中していると10時間ぐらいはもよおさないものですが。
 どんなに雰囲気のいいお店でも、男女兼用だと二度と行きたくない。出てきた人と顔を合わせたり、出ようとしたときにドアの外に人の気配を感じたりすると最悪です。
 当院では、男女別なのは当然として、検尿のカップを持って外に出なくてもいいように工夫しました。大腸の検査で下剤を飲まれた方や、腸のバリウム検査をお受けになった人が、他の患者さんと顔を合わせずに使っていただけるように、検査室にも別に設けました。
 狭い院内に3箇所も作ってしまったので、院長室を作るスペースがなくなってしまいました。
 ひもんや内科の一番の自慢はトイレです。
 ぜひご利用にいらしてください。




立ち食いそばをめざして

2004年09月18日 | 日記・エッセイ・コラム
 昨日の午前中は患者さんがいっときに集中してしまい、1時間以上もお待たせしてしまいました。
 当院では予約診療はしていません。病気や怪我はいつなるかわからないし、高血圧とかの慢性病でも、症状には変動があり予測はできないからです。区民検診も、おもいたったが吉日と考え、飛び込み歓迎でいつでも受け付けています。昨日のような日は本当にまれで、いつもはすいています。予約は必要ないのです。
 毎日が昨日みたいに混んでくれたらいいのに、とおもう一方、すぐに診察できること(だけ)が売りの当院が、もし待たせてしまうようになったら、患者さんが来てくれなくなるのでは、なんてとらぬたぬきの絶滅を心配しているみたいで気恥ずかしい。でもらーめんやさんも、行列なんかできるようになると必ず味が落ちて、じきお客さんが減りますね。
 待ってもいいから受診したいとおもわれるような診療所になるのはちょっと無理かな。スープが切れたら店じまいの頑固オヤジは私のタイプじゃないし。
 めざしているのは東京ウォーカーなんかには載らない、そこそこお客さんが入っている立ち食いそば屋さんです。お客を待たせずにさっと出すのが身上。でも注文を間違えたときにこっそり具だけのせかえて、月見に油が浮いているようなずるはしない。うどんとそばは別にゆでているから、声を掛けてくだされば蕎麦湯も出せますよ。そばは最高級の手打ちではもちろんないけど、立ち食いにしてはいいものを製麺やさんから仕入れています。だしもこんぶとかつをでちゃんととっています。なくなれば閉店まで作り足します、カレーも天丼もあります。常連さんは、常連なんて意識もしておらず、給料日やデートのときはうちのことなんか忘れてるけど、近くで小腹がへったときは、暖簾をくぐってくれる。そんなお店になれたら、とおもっています。


患者さんのお見舞い

2004年09月14日 | 日記・エッセイ・コラム
 他の病院に紹介して入院になった患者さんを、できるだけお見舞いするようにしています。病室でお会いすると皆さんとてもよろこんでくださるのですが、メインの目的は患者さんの顔をみることではありません。
 紹介医が病院に顔を出すことで、主治医や病棟スタッフにちょっぴりだけプレッシャーをかけたいなあと、おもっているのです。授業参観にいく親のような気持ちです。私が行ったから上手に手術をしてくれる、なんてことがあるはずはないけれど、それでも自分の子は特別扱いしてほしいという親心はどうしても捨てられません。
 医療ミスや、事故につながるような出来事は、医療現場では少なくありません。人間のやることだから仕方がないとはおもいます。でも自分の紹介した患者さんには起こってほしくない。主治医やスタッフには私の患者さんたちに細心の注意を払ってほしいというおもいで、お見舞いに出向いています。