良寛さんのCD

2006年09月15日 | 日記・エッセイ・コラム

 今日は人に貸していたCDが戻ってきました。

 気に入った本やCDはすぐ人に貸してしまい、戻って来ないことも多い。それはきっとその本やCDが、その人といたくなったからだとおもうようにしています。ものにも居場所を選ぶ権利がある。そのかわりに、帰って来られない本やCDは、おもいでを残してくれています。

読みたくなったり、聴きたくなったりして、買いなおしたときは、最初とは違った存在になっていて感慨深いものです。

 それはさておき、今回はすっかり忘れていたので、なんだか新しいCDをもらったような気分で、今、聴いています。

 良寛さんが、お金を拾うエピソードみたいです。

 ある人が良寛さんに「お金を拾うことぐらいうれしいことはない」といいます。

 良寛さんは、托鉢の帰りに、鉢から道にお金を落としては拾ってみるのですが、ちっとも楽しくありません。

 そうしているうちに、お金がを転がってどこかに行ってしまいます。

 托鉢の大事なお金です。

 良寛さんは必死になって探しますがみつかりません。

 果たして、やっとみつけてほっとした良寛さんは、はたと、その人の言ったことは正しかった!とおもうのです。


ものは言いよう

2006年09月14日 | 日記・エッセイ・コラム

血液の病気の治療をされている患者さんが、今日受診されました。

比較的予後の悪い病気なのですが、診断がついてから今年で6年、元気に仕事もされて、この夏も海外旅行に行かれています。

もちろん、大きな病院の専門医がしっかりみていてくれているので、私はかぜをひかれたとか、下痢のときの診療だけのお付き合いです。

今日は検査の数値がよくなくて、入院して強い治療をうけなくてはならないということになり、相談にいらっしゃいました。

本人は食欲もあり、いたって元気、仕事もやる気満々だったのに、主治医から、この病気は10年で20%しか生きないというデータをみせられ、仕事も旅行もやめて治療に専念しなくてはいけないと言われ、しょんぼり、意気消沈です。

 私も血液内科は大学時代に研修していますが、10年以上前のこと、まったくの専門外で、診察室にある教科書に書いていることが知識のすべてです。有益なアドバイスができるはずもありません。

 主治医に渡されたというその病気の生存曲線、縦軸に生存数、横軸が年数のグラフですが、当然のことながら急峻な右肩下がりで、確かに1年目を100とすると、10年目の生存数は20%に減少しています。でもそのグラフの5年目を100として見直してみれば、10年目は50%程度、すなわち、5年がんばって生き残っている人は、あと5年生きられる可能性が50%あるわけです。

 結局、そんなお話をしただけだったのですが、その患者さんはとても元気を取り戻してお帰りになりました。


零年、は失礼だとおもう

2006年09月12日 | 日記・エッセイ・コラム

 「アフガン零年」という映画をみました。

 映画製作を禁止していたタリバン政権が倒されて、アフガニスタンで最初につくられた映画です。 

 タリバン時代に、男の子になりすまして働いていた少女が、神学校に入れられ、女であることがばれ、裁判にかけられるが、長老の妻になることで死刑を免れるも、奴隷のように扱われている長老の妻たちの一人になるという不幸が待っている、というストーリーです。

 でもこの映画は、女性の人権を訴えるイデオロギー映画ではなくて、淡々と美しく、一つの時代のできごとを描写しているようにおもえた。

 アフガニスタンはソ連の侵攻、その前にはイギリスとの戦争、古くはシルクロードの交通の要衝としてトラブルが絶えず、大昔にはローマ帝国の覇権が及んでいたという、世界史の中で翻弄されてきた地域。タリバンによる占領も、今回の米国(多国籍軍?)の攻撃も、長いアフガニスタンの不幸な歴史の中では「よくあるできごと」なのだということが、この映画の醒めた描写から伝わってくる。

 映画の原題は「OSAMA」、あのビン・ラディンとは関係なく、主人公の少女の名前です。

 それなのに「アフガン零年」、なんておもい上がった邦題でしょう。

9.11の事件から5年たって、アフガニスタンの治安はタリバン時代より悪化しているというのに。


あとの祀りで鬼が笑う

2006年09月11日 | 日記・エッセイ・コラム

 日本の神様たち、由緒正しい神も、成り上がりの新参者も、みんないいこともすれば悪いこともたくさんしてきた連中だし、そして今の日本人には神社に何が祀られているかなんて、実はあまり関係なくて、東照宮は徳川家康で、天神様は菅原道真なんてことを知らずに手をあわせて、お賽銭投げて、お守り買って、おみくじ引いている人も多い。私もそうです。

 60年も前の戦争に関わった人が、悪者だったのか、神社で神様扱いして拝んでいいのかどうかなんて、今、そんなに大騒ぎするような問題じゃないとおもう。

 現人神を、将来誰にするかでも揉めている。

 よその家の、きっと何十年も先の後継者が男か女か、本家か分家かなんてどうでもいいことで、少なくとも今、議論する問題じゃないとおもう。

 今、目の前に困ったことはたくさんあるし、困っている人もたくさんいる。

 いまだに隣の国から帰って来られない人もいる。魚を獲っていたら撃ち殺されてしまった人だっている。 

 景気が回復といいながら、明日の生活の目途が立たない人もたくさん増えている。

 政治家の数は限られていて、一人の政治家の持っている時間も労力にも限界があるのです。昔の話、ずっと先のことはひとまずおいて、今に目を向けて欲しい。

 新聞や雑誌の紙面も、電波で報道する時間も限りがある。どうでもいいことに紙面や時間を割くことは、今、本当に報道しなくてはいけない、訴えなくてはならない大切なことを見捨てているのと同じだ。


戻らないことができますか?

2006年09月08日 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日「ローマの休日」をみなおしたのですが、オードリーとグレゴリーペックが迎賓館の門の前で別れた後、戻ってきた王女が寝室で側近に苦言を呈され、「責任を感じているから帰ってきた。戻ってこないこともできた」ときっぱりと言うシーンがあります。

 新聞記者と王女の記者会見で、オードリーがグレゴリーペックに別れを言いたいがために、記者全員と握手をするラストシーンがあまりに切なく印象的なために、その前の王女と側近のシーンは、何度も観ているはずなのに、記憶が薄かった。

 映画としてはテーマをせりふで言わせてしまっていて興ざめ、無いほうがいいシーンだとおもうのですが、今回はやけに印象に残ってしまいました。

 いつだって「戻って来ないことができる」とおもってきたはずが、今はもう、ここに戻ってくるのが一番いいと、私もきっとわかりはじめているのです。