ちょっとそっちで待っててください

2018年03月30日 | 日記・エッセイ・コラム
 かつて問題になった「~の方から」や「~でよろしかったでしょうか?」はずいぶん減ってきましたが、スーツを着た一流企業の営業担当者の口から「ぶっちゃけ」や「めっちゃ」「ほぼほぼ」が飛び出すと、部屋から追い出したくなります。
 若い男の人が自分の配偶者のことを「嫁が~」と言うと教養がない感じがしてしまうし、「絶対」を繰り返されると、この宇宙で絶対、と言えることは数学の定理以外無いぞ、と身構えてしまう。
 著者は忘れてしまいましたが、「頑張る」の蔓延を憂う古いエッセイを読んだことがあり、(価値のないことに)我を張るという否定的な言葉が、肯定的に誤用されていく違和感を訴えていました。今、頑張るに近いのは「こだわる」。(価値のないものに)拘泥する、という負の言葉のはずが、店主こだわりの逸品、みたいな表現がまかり通っています。
 言葉づかいは、話す内容以上に、その人そのもの、だとおもいます。
 映画「マイフェアレディ」は言語学者が田舎娘の言葉づかいを矯正して淑女に育てる話で、原作はバーナードショーが英国の階級社会を揶揄した「ピグマリオン」という戯曲。源氏物語でも、桐壺帝の孫ながら受領の娘として育てられた浮舟が、面差しは姉の大君に似ているものの、お育ちの悪さが言葉づかいに出ていて、薫も匂宮もそれを馬鹿にしながらもその蓮っ葉さに逆に惹かれていく。私の語学力では、原作の言葉づかいによる描き分けの妙を味わえないのが残念ですが、言葉はキャラクターを表すという好例だとおもいます。
 私は「こだわる」には違和感を感じるので、本来の意味以外で使うことはありませんが、すでに祖父母世代で「前畑頑張れ!」ですから、「頑張る」は違和感なく出てしまうため、これは意識して使わないようにしています。
 きれいな言葉を使おうとするよりも、汚い言葉を使わない、特に自分の世代や環境では不自然さを感じないけれど、誤用が転じた言葉など、きれいではないと感じる人がいる、いた言葉を、自分の語彙から排除することが大事だとおもいます。
 そんなことに「こだわっている」私が先日衝撃を受け、そして赤面したのが、
 日本航空では「小さい『っ』を使わない」ように社員教育をしているというお話。
 促音は、「かつて」が「かって」になるような、話し言葉による変化で、平安末期までは表記法もないので、おそらく貴族層では使わない言葉なのだとおもいます。
 私は『っ』が多い。一番多いのが「ちょっと」。注射するときに「ちょっと我慢して」、大腸検査しながら「もうちょっとだから」・・・、一日に何回使っているかわからない。
 汚いですね、これは。
 高齢の患者さん、高齢でなくても意識の高い方には、かなり耳障りな言葉を繰り返してきたかとおもうと、いたたまれなくなりました。
 「出発便は欠航です」はどうするの?なんて揚げ足をとらずに、
 「ちょっとそっちで待っててください」を「しばらくそちらでお待ちください」に言い換えてみてください。自分が一ランク上の人になった気分がしませんか。
 頑張って『っ』を絶対使わないことにこだわりたいとおもいます。
 
 
 
 

目黒区医師会報241号 編集後記

2018年03月26日 | 日記・エッセイ・コラム
15世紀にグーテンベルクの考案した活版印刷術が情報革命を起こし、それがルネサンスにつながった、これは世界史の常識ですが、グーテンベルグはドイツのライン川沿い、ワインの銘醸地マインツの生まれで、彼が最初に作った活版印刷機は、ワイン用のぶどう果汁圧搾機を改造したもので、現在でも報道機関をPRESSと呼ぶのはそれに由来する、というのはソムリエの教科書に載っている知識です。
 アル中で活字中毒の私のためにあるようなエピソードだとおもっているのですが、活字好きが高じて、小学校の学級新聞に始まり、大学新聞まで編集に参加してきました。医師会の広報委員会の順番が回ってきたときも、喜んで仲間に入れていただき、委員長もお引き受けして、第8ブロックは私がずっと広報委員のままです。
 広報委員は2~3か月に1度集まって編集会議と校正会議を行い、年4回の会報と、区民向けの広報紙「すこやか」を発行しています。 
 おそらくご存知ない方が多いとおもいますが、広報委員会は特別な委員会で、各ブロックから必ず1名が選定され、原則として交代制です。これはブロック間で、そしてブロックのメンバー間で情報の偏りを生じさせないための配慮で、かつて医師会報が如何に会員の情報源として重要な位置にあったかがわかります。
 現在は委員会に出てきてくださるのは、ほぼ決まった少数の委員だけですが、救いは担当理事以下、出席メンバー皆がこの会報作りに真剣で、そして楽しんでいることです。
 原稿は紙ベースの入稿で、手書きの原稿用紙の投稿もあり、それらを回覧しながらの会議は、昭和にタイムスリップした感があります。
 内容は、学術講演会の演者からいただいた講演録、医師会旅行やゴルフコンペの報告、新入会員の紹介、会員の趣味の作品の紹介などなどで、学級文集づくりの趣があります。
 先日そんな少数精鋭の広報委員会で、存在を揺るがすような動議がありました。
 果たして、この目黒区医師会報の発行を続ける意義があるのか?
 皆、うすうす感じながらも、怖くて口にできなかった、この根源的な問題がついに委員会の俎上に上がってしまったのです。
 多くの学会誌でペーパーレス化が進んでいる。
 医師会もITを利用した会員のネットワーク化を推進しており、わが広報委員会はその波に全く乗っていない。
 講演抄録や、会員の紹介などの情報は、医師会の会員向けのホームページを活用すれば済む。
 個人の趣味の作品のページを、医師会の予算と広報委員の時間を使って出版する意義はあるのか?
 Facebookやツイッターなどで、個人が表現したいことは簡単に世間に向けて発信できる時代、投稿者を増すのは難しい。
 直接顔を合わせなくても情報交換ができる今、懇談会のお酒と料理で誘っても、編集会議に出て来てくださる人は少ない。
 ごもっともな意見で、反論の余地がない。
 聖書を普及させる目的で印刷機をつくったグーテンベルク先生なら、印刷物もワインも中味が大事とおっしゃるところでしょうか。
 そこで、編集長は考えました。これからこの会報廃止議論を記事にしていくことを。

Gastro-Health Now 52号(2018.4.1)あとがき

2018年03月23日 | 日記・エッセイ・コラム
 山田風太郎の大著「人間臨終図巻」を読んでいます。15歳で火あぶりで処刑された八百屋お七から、121歳の泉重千代まで、古今東西の著名人900余名の最期を、死亡年齢順に紹介してるちょっと変わった本なのですが、この中で胃がんで亡くなったと記されている人は、尾崎紅葉(36)、ジェラール・フィリップ(37)、島木赤彦(50)、岩崎弥太郎(51)、ナポレオン(52)、山岡鉄舟(52)、フェルミ(53)、十一世市川団十郎(56)、越路吹雪(56)、木下杢太郎(60)、西東三鬼(62)、大河内伝次郎(64)、伊藤整(64)、桂太郎(66)、折口信夫(66)、古川市兵衛(71)、橋本雅邦(73)、徳川家康(74)、武見太郎(79)で括弧内は死亡年齢です。加えて胃潰瘍で亡くなっているのが、島田虎之助(38)、岸田劉生(38)、夏目漱石(49)、永井荷風(80)、石川達三(80)です。ナポレオンと家康の死因は推定としても、大富豪、学者、そして日本医師会長も胃がんで命を落としている。「人間臨終図巻」は1987年の刊行で、東京医大出身の山田風太郎先生が内視鏡やピロリ菌には全く触れておられないことからも、昔と今では胃がん死亡の様相は大きく変わってきていることを感じます。
 今回は20年以上前から先駆的に内視鏡検診を実施している長崎県上五島地区から、内視鏡検診が地域の胃がん死亡率減少に寄与しているという貴重なご報告をいただきました。検診は導入当初は発見率の向上がみられますが、それは真価ではありません。目標である死亡率減少に結び付けるには、長い継続が必要です。本田先生だけでなく、この検診にかかわってきた先代、先々代のスタッフ皆さまにも感謝する次第です。
 ラテックス法のヘリコバクター抗体キットを用いた胃がんリスク層別化検査は、今、最もお問い合わせが多い事項です。Eプレート‘栄研’H.ピロリ抗体II以外のキットを用いた運用法についてはまだ指針をお示しできておりませんが、今回は富士フイルム和光純薬株式会社より、キットの情報をご寄稿いただきましたのでご紹介しております。(株)江東微生物研究所で測定も可能になりました。
 当法人としても、費用が安く汎用性のあるラテックス法キットへの移行は不可避と考えており、出来るだけ早い時期に指針を示せるよう努力して参ります。
 「人間臨終図巻」の53歳で亡くなられた道元禅師の項は、私の座右の銘である正法眼蔵の言葉「徒に百歳生けらんは恨むべき日月なり」で結ばれています。禅師は腹部の腫瘤でお亡くなりになったと記されていますので、胃がんだったのかもしれません。1日1日を胃がん撲滅に近づけていかなくてならないと、肝に銘じている次第です。