ちいさなちいさな いのりのことば

 * にしだひろみ *

飛翔

2018年07月24日 | Weblog
そのセミのサナギは、郵便局の塀のコンクリートブロックに飛翔の場を定めていた。

やがて脱け殻となるその体から、セミが抜け出そうとしている。



あんなに小さな脱け殻から、普通のサイズの、もう立派なセミが出てくる。


どうやって入っていたの?というくらい、殻は小さく、セミは大きい。

脱け出しながら大きく膨らんでいくようにしか見えない。

そうでないとしたら、この作業は、大きな痛みを伴うのではないかしら・・

それくらい、大変な大変なことに見える。



初めに出てきたセミの頭には、小さなビーズのような目。

念願の脱出だというのに、その目はまだ輝いていないし、何かを見ている風でもない。

生まれでる痛みに耐えている、そんな目。


あとどれくらい時間をかけたら脱出できるのか、わからないくらいゆっくり、セミは頑張っていた。

虫たちは、あまり得意でないが、そのセミは美しかった。

美しくて尊くて、胸が痛くなった。



塀を離れながら、わたしは、わたしの何があんなに懸命だろうかと、考えた。


いくつかの答えがよぎるうち、ひとつの、とても大切な想いが、しずかにわたしの心に留まった。


そこには、息子の姿があった。

笑い、泣き、悩み、怒り、一生懸命に生きる息子の姿があった。


(一見、)あれほどの痛みを伴いながらも生まれようとするセミに匹敵するものが、わたしにもあるとしたら、

それは、息子の母を生きること、

その痛みと大きなよろこび以外、ないと思った。


そのひとつがあるだけで、わたしの生涯は、素晴らしい。

そう、わかった。




明日、その塀を訪ねても、そこには脱け殻が、かろうじて付いているか、どこかに落ちてしまったか。


そして、来週の今ごろには、飛翔したあのセミは、その生涯を終える。