へちま細太郎

大学院生のへちま細太郎を主人公にしたお話。

衣笠米穀店の番頭さんの話

2006-07-15 23:29:33 | ひるまのもめごと
今日は前説なしでいくぜい

何だかんだといううちに、奥から身なりのよいおっさんが出てきた。
「どうもお待たせいたしました。衣笠米穀店の番頭の高橋ですが…、おや?、農協の木村さんではないですか、いつもお世話になっております」
こう挨拶されては、旧姓依田も頭を下げるしかない。それまでの適当な態度を改めて、社会人らしい挨拶を番頭さんに返している。
「えっと、孟宗学園の前田先生のことでございますよね」
番頭の高橋さんは、確認するように花粉症の狆を見た。
狆は黙って頷いた。
「前田先生には、無理なお願いをいたしまして、こちらの主人夫婦ともども恐縮いたしております。また、前田先生も大学に寄贈いたしましたパフィオ・パディルム・ペンダントグッズの鉢を割られたと、お詫びにこられたとか。重ねて恐縮いたしております」
“寄贈”ってことになっているわけ?
「貴重な蘭とうかがいましたが」
白いやつは、番頭さんの腰の低さが乗り移ったかのように、バカ丁寧な言葉づかいをしている。 学校の事務職員だって似たようなもんだもんな。
「さようでございます。戦前に先代がベトナムより持ち帰ったものでございます。今では乱獲され、世界でも数人の愛好家のみが栽培しているものです。もしお時間がございましたら、ぜひ当家の温室にお立ち寄りくださいませ。珍しい品種をたくさんごらんいただけますよ」
番頭さんは、自慢気にちらっと屋敷の奥を見やった。きっと温室があるんだろう。でも、俺はいかない。頼まれてもいくもんか。
「それはぜひお願いしたいです。うちの息子に見せてやりたい」
何だよ、社交辞令なんか言うな。
「確か、近藤さんですよね。息子さんは細太郎君。お噂はかねがねお聞きしております」
番頭さんはニコニコと笑った。お愛想笑いではなさそうだ。
「私の末の息子が、中島教授の研究室におりますので、よく遊びに来られると、息子が話しております」
俺の脳裏に中島教授のところにいた大学生の顔が浮かんだ。
ああ、あいつ、そういえば高橋っていったっけ。
「高橋さん、みなさんお急ぎのようですよ」
狆が気を利かせて、先を促した。 番頭さんは、少々残念そうな顔をした。息子自慢がしたかったのかもしれない。息子の話が出た時、顔が輝いていたし、話が長くなりそうなタイプなんだろう。
「あ、これは失礼いたしました」
番頭さんは黙礼をし、次の動作では背筋を伸ばした。
「前田先生はあの日、かなり思いつめたご様子でした」
俺たちは、唾を飲みこんだ。

はい、つづく