紀州・有田で田舎暮らし

思いつくままに野菜や果実や漬物を作ったり、時には青春する心を求めてさ迷ったり、気ままに田舎暮らしを楽しんでいます。

青春の詩とは

2013年01月07日 | 青春クラブ・自治会・お寺

 

<青春クラブ誕生にあたって:地区老人会の復活を要請され、新たに作る組織の名称を決めるにあたって発起人に紹介した「青春」の詩>

青春 (原作:サミエル・ウルマン、邦訳:岡田 義夫)

青春とは人生の或る期間を言うのではなく、心の様相をいうのだ。

優れた創造力、逞(①タクマ)しき意志、炎ゆる情熱、怯懦(②キョウダ)を却(③シリゾ)ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こういう様相を青春と言うのだ。

年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。

苦悶や、孤疑(④コギ)や、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰(⑤アタカ)も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥(⑥アクタ)に帰せしめてしまう。

年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。

曰(⑦イワ)く、「驚異への愛慕心」、「空にきらめく星辰(⑧セイシン)」、「その輝きにも似たる事物や思想に対する欽仰(⑨キンギョウ)」、「事に処する剛毅(⑩ゴウキ)な挑戦」、「小児の如く求めてやまぬ探求心、人生への歓喜と興味」。

人は信念と共に若く、疑惑と共に老ゆる。

人は自信と共に若く、恐怖と共に老ゆる。

希望ある限り若く、失望と共に老い朽ちる。

大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、 そして偉大の霊感を受ける限り、人の若さは失われない。これらの霊感が絶え、悲歎(⑪ヒタン)の白雪が人の心の奥までも蔽(⑫オオ)いつくし、皮肉の厚氷(あつごおり)がこれを固くとざすに至れば、この時にこそ人は全くに老いて、神の憐れみを乞うるほかはなくなる。

(注釈)

①逞しき(タクマしき)⇒がっしりしてつよい

⑦曰く(イワく)言うのには

②怯懦(キヨウダ)⇒おくびょうで気の弱いこと

⑧星辰(セイシン)⇒星のこと、辰は天体のこと

③却ける(シリゾける)⇒後退させる

⑨欽仰(キンギョウ)⇒つつしみあおぐ

④孤疑(コギ)⇒疑ってためらうこと

⑩剛毅(ゴウキ)⇒意志が強固で不屈なこと

⑤恰も(アタカも)⇒まるで ちょうど

⑪悲歎(ヒタン)⇒悲しみ嘆くこと 歎は嘆と同じ

⑥芥に(アクタに)⇒ごみ

⑫蔽い(オオい)⇒遮蔽する

<無名だったサミエル・ウルマン氏(アメリカ)の『青春(Youth)』の詩が見出された経緯>

第二次世界大戦の終戦後、1945年9月27日に昭和天皇が、日比谷の占領軍総司令部にマッカーサー元帥を訪問し、天皇が始めて民間人と並んでツーショット写真を取られた部屋の壁に掛けられていた詩が、この青春の詩(英文)であった。

この詩を、ある日本人(岡田義夫氏説が有力:明24年埼玉県生れ)が見つけ、感動し、漢詩調に翻訳した。これが後に松下幸之助氏の眼に止まり、あるインタービューでこの詩の事を紹介し、雑誌に掲載され一躍有名になり、多くの財界人の間に広まったという。昭和60年には、中曽根康弘氏が発起人となり、旧制静岡高校OBで「青春の会」が作られている。また、この詩を掲げている大手企業の研修所もある。現在でも、さまざまな会議体の名称などに「青春の会」が使用されている。米国では、ロバート・ケネディーがエドワード・ケネディーへの弔辞に、このウルマンの詩の一節を引用したのも有名な話らしい。昭和62年には、財界人200名による「青春」と「作者をたたえる青春の集い」が開催され、ウルマンの遺族である孫二人も招かれたという。このように、「青春」という詩は、多くの人々に感動を与えている。

参考資料:感動の詩賦「青春」(宮澤次郎・竹井出版)、他