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HIBARIピアノ教室レッスン日記♪

ピアノのレッスン日記、その他ヒバリ先生が見聞きした音楽関係・芸術関係etcの日記。

幻の「メリーさんのひつじ」を追え!ー第15章・作詞者(英語)の謎・その③ 付け加えられたラスト

2025年04月01日 | 幻の「メリーさんのひつじ」を追え!

前の記事の続きです。

ジョン・ラウルストン=「たまたま訪れていた青年」説を私が支持する理由…

それは、この時彼が書いた3節の詩が ちゃんと韻(いん)を踏んだ単語を選び、正式な「四行詩」の形式を踏襲(とうしゅう)していて、これを素早く書き上げるのは 文学素養のある、しかも感性の瑞々(みずみず)しい人でなければできないと思ったからです。

メリー(9歳)より1〜2歳上くらいの小学生には無理だろうと思ったし、視察に来たおじさんでは、このささやかな「事件」に感動して詩を書いてしまうような瑞々(みずみず)しい感性はないだろうと思って。それに「おじさん説」は、いっぱい見た文献やサイトの中で たったひとつしかなかったから、想像で書かれたんじゃないかと思います。悪いけど。

で、この可愛い詩にオマケを付けて、しかも自分が出した詩集に ちゃっかり自分の名前で載せちゃったサラ・ジョゼファ・ヘイルおばさんって…

「これは全部、私が創作した詩です。モデルなんかありません」って言ってたらしいよ?ほんとかな。

この人は自分でも子どもたちの学校で教えていた経験もある人のようで、文献によっては「メリーさんのひつじ」に登場する先生=サラ自身、となっているものもあります。

だから、詩の最後に、ちょっぴり教訓部分を添えたんでしょうかね。

今現在「メリーさんのひつじ、ひつじ…(英語版)」では、ジョンが作った(という前提で)3節に付け加えられているのは2節(「どうしてひつじはメリーさんが好きなの?」と「それはメリーさんがひつじを愛しているからですよ」)ですが、サラが付け加えた部分は、最初は3節あり、最後にもう一節「そして、あなたたちがいつも親切にすれば、動物たちは信頼してついてくるようになるんですよ」というのが付いてたんですが、さすがに説教臭いと思ったか、現在は「先生が言いました」までの2節のみ付け加えられています。

メリーの生まれたのは1806年、場所はマサチューセッツ州スターリング、メリーが通っていたのはレッドストーン学校で、ひつじ事件があったのは1815年でメリーが9歳の時、最初の作詞者はハーバード出身ジョン・ラウルストン、と具体的な地名や年がたくさん挙がっているにもかかわらず、ジョンが最初の作詞者であると決定づけられないのは、証拠となる「詩を書いた紙」が消失しているからです。

そのため、1830年に出版された詩集「子どもたちのための詩集」に収められて世に出たのが形ある最初のものとなり、作者はサラ・ジョゼファ・ヘイル、となるのです。なんなら作詞作曲サラ・ジョゼファ・ヘイル、とされてる説もたくさんあります。

何が本当なのか、もう昔の話だからわかりません。

でも私は、メリー・ソーヤーちゃんとジョン・ラウルストンくんの存在を信じています。

↑同じ意見の人が いて、それはすごい有名な人で、すごいことをやっちゃったんですが、そのことについてはまた近いうちに…

To be continued !

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幻の「メリーさんのひつじ」を追え!ー第14章・作詞者(英語)の謎・その② ジョン・ラウルストンって誰?ー

2025年04月01日 | 幻の「メリーさんのひつじ」を追え!

「メリーさんのひつじ」の詩は、実際に起こったできごとをもとにして作られたもので、「メリーさん」のモデルは マサチューセッツ州の農場に住んでいたメリー・エリザベス・ソーヤーちゃんと言われています。

1815年、当時9歳だったメリーは、産まれたばかりで死にそうだった子ヒツジを大事に育ててペットにしていました。子ヒツジはメリーのいくところ、どこでもついていくほど彼女になついていました。

ある日、学校について行ってしまってクラスは大騒ぎになり、先生が外へ追い出したにも関わらず,ヒツジはおとなしく教室の外で、メリーがお昼休みになって外へ出てくるまで、辛抱強く待っていたのです。

これを見ていて心惹かれ、直ちに3節の四行詩を書いたのが ジョン・ラウルストンでした。

ここまでは、同じ内容の文献がほとんどです。

ただ、ジョン・ラウルストンという人物についてはいろんな説があります。

・メリーと同じクラスに在籍していた、少し年上の少年

・たまたまその学校を訪れていた青年

・学校視察に来た偉いおじさん

など、年齢も立場もさまざまです。

その中で、ヒバリが一番有力と思うのは、たまたまその学校を訪れていた青年という説で、これはメリー自身が大人になってから証言していることとも一致します。

当時は、大学への進学準備をする学生は牧師のもとで勉強するという慣わしがあり、ジョンも牧師である叔父の元で勉強する傍ら、たまたま近所にあるメリーの学校を訪れていた際に「ひつじ事件」に遭遇し、心を惹かれたので すぐに3節の詩を書き上げ、その日の放課後(または翌日。諸説あり)自転車で学校に来て、詩を書いた紙をメリーに手渡したそうです。

その時の詩は「ひつじがおとなしく待っていた」の節までの3節だったとメリーは話し、続きの部分がなぜ付けられたか、どういう経緯で詩が編集者のサラ・ジョゼファ・ヘイルの手に渡ったかもわからない、と言ったそうです。

さて、次の記事は 女性編集者で作家のサラ・ジョゼファ・ヘイルと、付け加えられた「どうしてひつじはメリーさんがそんなに好きなの?」「それはメリーさんがひつじを愛してるからですよ」についてです。

To be continued !

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幻の「メリーさんのひつじ」を追え!ー第13章・作詞者(英語)の謎・その①ー

2025年04月01日 | 幻の「メリーさんのひつじ」を追え!

前回「最初に書かれた『メリーさんのひつじ』の詩は、正式な形式によるスタンザ(四行詩)だった」と書きました。

詳しくは、4行ずつ3つの節(スタンザ)からできていて、内容はこうです。

メリーはひつじを飼っていた

その毛皮は雪のように真っ白だった

メリーが行く所どこへでも

ひつじは必ずついていった


ある日学校へついて行った

これは規則違反

子どもたちは大はしゃぎ

学校にひつじが来るなんて


先生がひつじを追い出した

でもひつじはウロウロして帰らない

おとなしく待っていた

メリーが外に出てくるまで


これが元の、「4行ずつ3節でできている詩」の直訳です。

今現在歌われている歌は、この1つのスタンザ(4行)を2行ずつに分けて、1番、2番…としているので、歌詞が6番までできるということになります。

元々の詩はこれで全部でした。

そして最後の どうしてヒツジはメリーさんがそんなに大好きなの?と子どもたちが聞き、先生が「それはメリーさんがヒツジを愛してるからですよ」と答えた、というラストの結末は、どうやら後からつけ加えられたものらしいのです。それも元の詩を書いた人とは別の人によって。

具体的には、最初の「メリーが出てくるまでひつじはおとなしく待っていた」までの四行詩(スタンザ)を書いたのはジョン・ラウルストンという人で、結末の「先生が言いました」の件(くだり)は、女性編集者で作家でもあるサラ・ジョセファ・ヘイルが、子どもたちのための詩集を出版するにあたって、『メリーさん』の詩に続きの3節を付け加えて、その詩集の中に入れたというものです。

これについては諸説あり、アメリカでも大論争になった案件だそうです。

ジョン・ラウルストンとは何者か?

はたまた  サラ・ジョセファ・ヘイルとは?

続きはまた後ほど。

To be continued…

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