前の記事の続きです。
ジョン・ラウルストン=「たまたま訪れていた青年」説を私が支持する理由…
それは、この時彼が書いた3節の詩が ちゃんと韻(いん)を踏んだ単語を選び、正式な「四行詩」の形式を踏襲(とうしゅう)していて、これを素早く書き上げるのは 文学素養のある、しかも感性の瑞々(みずみず)しい人でなければできないと思ったからです。
メリー(9歳)より1〜2歳上くらいの小学生には無理だろうと思ったし、視察に来たおじさんでは、このささやかな「事件」に感動して詩を書いてしまうような瑞々(みずみず)しい感性はないだろうと思って。それに「おじさん説」は、いっぱい見た文献やサイトの中で たったひとつしかなかったから、想像で書かれたんじゃないかと思います。悪いけど。
で、この可愛い詩にオマケを付けて、しかも自分が出した詩集に ちゃっかり自分の名前で載せちゃったサラ・ジョゼファ・ヘイルおばさんって…
「これは全部、私が創作した詩です。モデルなんかありません」って言ってたらしいよ?ほんとかな。
この人は自分でも子どもたちの学校で教えていた経験もある人のようで、文献によっては「メリーさんのひつじ」に登場する先生=サラ自身、となっているものもあります。
だから、詩の最後に、ちょっぴり教訓部分を添えたんでしょうかね。
今現在「メリーさんのひつじ、ひつじ…(英語版)」では、ジョンが作った(という前提で)3節に付け加えられているのは2節(「どうしてひつじはメリーさんが好きなの?」と「それはメリーさんがひつじを愛しているからですよ」)ですが、サラが付け加えた部分は、最初は3節あり、最後にもう一節「そして、あなたたちがいつも親切にすれば、動物たちは信頼してついてくるようになるんですよ」というのが付いてたんですが、さすがに説教臭いと思ったか、現在は「先生が言いました」までの2節のみ付け加えられています。
メリーの生まれたのは1806年、場所はマサチューセッツ州スターリング、メリーが通っていたのはレッドストーン学校で、ひつじ事件があったのは1815年でメリーが9歳の時、最初の作詞者はハーバード出身ジョン・ラウルストン、と具体的な地名や年がたくさん挙がっているにもかかわらず、ジョンが最初の作詞者であると決定づけられないのは、証拠となる「詩を書いた紙」が消失しているからです。
そのため、1830年に出版された詩集「子どもたちのための詩集」に収められて世に出たのが形ある最初のものとなり、作者はサラ・ジョゼファ・ヘイル、となるのです。なんなら作詞作曲サラ・ジョゼファ・ヘイル、とされてる説もたくさんあります。
何が本当なのか、もう昔の話だからわかりません。
でも私は、メリー・ソーヤーちゃんとジョン・ラウルストンくんの存在を信じています。
↑同じ意見の人が いて、それはすごい有名な人で、すごいことをやっちゃったんですが、そのことについてはまた近いうちに…
To be continued !
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