れもん* です。
かつて日本一の錫(すず)鉱山として栄えた 明延(あけのべ)鉱山 は、
錫のほかにも、銅や亜鉛など多品種の非鉄金属を産出し、
神子畑選鉱場 で、明延から運び込まれた鉱石を選別していました。
選鉱場は、山の斜面を利用した22段の土台に建設された巨大な建築物で、
上下は専用のインクライン(傾斜軌道)で結ばれていました。
最盛期には、神子畑(みこばた)地区に1300人もの人々が生活していましたが、
昭和62年の明延鉱山閉山に伴い閉鎖。
建物は長く残っていましたが、平成16年に老朽化のため解体されて、
現在は、コンクリートの基礎構造物やシックナーの一部などが残っています。
シックナーと呼ばれる巨大な円錐形水槽。
シックナーというのは、簡単に言えば鉱石を選り分ける分離装置です。
建屋は解体されて、基礎のみとなった姿は遺跡のよう。
選鉱場跡には、 「一円電車」 が展示されています。
正式名称は、 明神電車 。
明延と神子畑の間約 6kmをトンネルで結んでいた鉱山鉄道で、
鉱山関係者の便宜を図るために客車も連結され、
運賃を一人一円にしていたことから、こう呼ばれるようになったのです。
明延で掘られた鉱石は、30両編成の鉱車に積まれ、
1日10回、神子畑に運ばれていました。
ちなみに車だと、この間の道のりは23kmもあるんですよ
電気機関車と客車、鉱石運搬車が展示されています。
かつて日本一の錫(すず)鉱山として栄えた 明延(あけのべ)鉱山 は、
錫のほかにも、銅や亜鉛など多品種の非鉄金属を産出し、
神子畑選鉱場 で、明延から運び込まれた鉱石を選別していました。
選鉱場は、山の斜面を利用した22段の土台に建設された巨大な建築物で、
上下は専用のインクライン(傾斜軌道)で結ばれていました。
最盛期には、神子畑(みこばた)地区に1300人もの人々が生活していましたが、
昭和62年の明延鉱山閉山に伴い閉鎖。
建物は長く残っていましたが、平成16年に老朽化のため解体されて、
現在は、コンクリートの基礎構造物やシックナーの一部などが残っています。
シックナーと呼ばれる巨大な円錐形水槽。
シックナーというのは、簡単に言えば鉱石を選り分ける分離装置です。
シックナー内部には、機械もまだ残っています。
建屋は解体されて、基礎のみとなった姿は遺跡のよう。
線路や枕木が残るインクライン。
選鉱場跡には、 「一円電車」 が展示されています。
正式名称は、 明神電車 。
明延と神子畑の間約 6kmをトンネルで結んでいた鉱山鉄道で、
鉱山関係者の便宜を図るために客車も連結され、
運賃を一人一円にしていたことから、こう呼ばれるようになったのです。
写真は全部、クリックで大きくして見られます。
明延で掘られた鉱石は、30両編成の鉱車に積まれ、
1日10回、神子畑に運ばれていました。
ちなみに車だと、この間の道のりは23kmもあるんですよ
電気機関車と客車、鉱石運搬車が展示されています。
小さいながらも、定員は17名。
手や顔を出さないように、窓に鉄格子があるのが特徴的でした。
手や顔を出さないように、窓に鉄格子があるのが特徴的でした。
廃墟好きにはたまらない場所じゃないでしょうか。
廃墟と言っても公園化されているので、一般の人にもお勧めです。
『女子的産業遺産探検』という単行本が出ています。
面白いですから、本屋で探してみてはいかがでしょう (^^)
こんばんは
男の子がワクワクするようなところですね。
どの写真もレトロ感を感じます。
どんな所もれもんさんは上手に撮られますね(^_^)
凄いです(^_-)-☆
もう2年前ですか。
ライチルさんに教えてもらわなかったら、
今でも、ここのことは知らなかっただろうと思います。
念願の一円電車も見ることができたし、本当に感謝しています♪
2番は、前の道路いっぱいまで下がって、側溝の中にしゃがみ込んで撮りました。
6番のインクラインは、ライチルさんはモノクロにされていましたね。
あの写真、開拓時代の西部劇のような雰囲気で、とても気に入っているんですよ!
8番は、もっと望遠にして離れて撮っても圧縮効果で面白かったかもしれませんね。
引っ張ってしまって申し訳ないですが、次回は体育館の予定です。
竹田城はもう少しお待ちくださいね。
インクライン、いいでしょう♪
ここに猫が歩いていて、
振り向いてくれたりなんかしたら、最高なんですけどねぇ・・・。
先日、旅行会社のミステリーツアーに、ここの写真が出ていてびっくりしました。
これからは、バスツアーにも入ってくるかもしれませんよ。
見応えある場所ですから、チェックしてみてくださいね (^_-)-☆
お写真なんて、最高ですやん!
行って見たいなー
一人では、とてもじゃ無いけど行けませんが・・・