『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

洞雲寺の陶晴賢墓碑

2021年05月16日 | 「廿日市地区」ぶらり

厳島合戦絵図

高安ガ原陶晴賢敗死之所碑

陶晴賢首塚


弘治元年(1555)9月30日、厳島に於いての毛利元就と陶晴賢の合戦で陶晴賢の敗死場所は諸説あるが、高安ガ原で自刃したとの説により高安ガ原に陶晴賢敗死之所碑が建立されている。毛利元就は桜尾城で陶晴賢の首実検をして丁重に弔って石塔を洞雲寺に建立した。陶晴賢首塚は洞雲寺西墓地にあり、安山岩製の宝篋印塔と花崗岩の基礎石となっているので後世に整備されたものとみられる。

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廿日市木地屋の挽造活動 ②

2021年05月15日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

当ブログ主が若い頃須賀町でろくろ細工の碁器を製造されていた(上画像)のを記憶しているが何時ごろまで稼業されていたのであろうか。明治大正期頃の旧廿日市町には6軒のろくろ細工の木工場があったようで、下画像は明治37年(1904)に調整された講中椀であり廿日市の木工場で製造されたものとみられる。(上画像-図説廿日市の歴史)

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廿日市木地屋の挽造活動

2021年05月14日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

 

廿日市木地屋の江戸期における挽造活動については資料不足で明らかでないが、多くは木椀、木皿、盆などの生活用品を製造していたものと思われる。これらのほかに和傘用の開閉部品である上轆轤と下轆轤の生産をして広島城下に積み出されていたようである。ろくろ技術から派生した十露盤づくりも行われ近郷近在では廿日市十露盤は有名であったようである。(下画像「ふるさとひろしま」より)

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洞雲寺の木地屋墓碑

2021年05月13日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

今月の市広報にはろくろ細工であるけん玉の特集記事が掲載されていた。
廿日市
では江戸初期頃から木地屋が稼業しているが、江戸後期頃には吉和村で挽造活動していた木地屋の一部が廿日市に移住して町木地屋となって廿日市の木工細工隆盛の源流となったものとみられる。洞雲寺西墓地にみられる木地屋の墓碑(下画像4基)は刻銘や洞雲寺の古記録、資料などから吉和村から移住した木地屋のようである。これら木地屋のろくろ挽造活動が連綿と続いて明治期のけん玉製造となったのである。(廿日市の文化第24集所収-西中国山地の木地屋参照)

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桂元澄夫妻墓碑

2021年05月12日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

洞雲寺境内の東墓地には昨日紹介した毛利元清夫妻墓碑に隣接して桜尾城主であった桂元澄夫妻の墓碑が建立されている。左側が元澄の墓碑で「南無阿 大江元澄 弥陀仏」と刻されており、右側は後妻志道広女の墓碑で「慶長弐〇丁酉 一月正輪大姉 〇〇春廿七日」などと刻されているが風化が激しく読みづらい。

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毛利元清夫妻墓碑

2021年05月11日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

洞雲寺の東墓地に桜尾城主であった毛利元清夫妻の墓碑がある。元清の法名は洞雲寺笑山常快で左側の墓碑基礎石に笑山と刻されており、右側は妻の来島通康女の墓である。昨日紹介した「笑山」扁額は元清の位牌が安置されていた位牌堂(位牌殿)に掲げられていたものである。(下画像-下関市立長府博物館・毛利氏と下関より)

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洞雲寺の扁額

2021年05月10日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

 

洞雲寺の本堂入口上に掲げられている「応龍山」扁額は当寺の山号で以前にはみられなかったものであり新調されたものであろう。下段に掲げられている「方丈」扁額はかつて客殿に掲げられていたようである。筆者は異朝の張郎之書といわれており近年に修復されたようである。「笑山」扁額は本堂と庫裡の間の式台上に掲げられている。元毛利家の位牌堂(位牌殿)に掲げられていたもので、笑山は毛利元清の法号である。

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洞雲寺花まつり

2021年05月09日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

昨日紹介した「とおーんじ」に何十年かぶりにお参りしたが、かつてのような賑わいもなくお参りする人もちらりほらりであった。かつて花御堂といわれる誕生仏が安置された小さなお堂の屋根には野花が飾られていたが今はそれもなかった。当ブログ主が記憶している「とおーんじ」は遥か昔の幻だったのか・・・

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とおーんじ

2021年05月08日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

本日は「とおーんじ」の日だ。廿日市駅裏にある洞雲寺の花まつりの日であるが「とおーんじ」といっても分かる人は少ないであろう。当ブログ主が子供の頃山陽本線からの参道沿いには露店がびっしりと並んで己斐の植木露店が有名であり、近郷近在からの参詣者でごった返していたものであるが・・・

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華隆山以八寺光明院

2021年05月07日 | 「宮島地区」ぶらり

 

 

 

 

新しく建築された宮島交流館(宮島まちづくり交流センター)の裏手に浄土宗の華隆山以八寺光明院がある。天文頃に奥州磐城の僧であった以八は、芸州厳島は神徳霊威にして天下の勝境として厳島に渡り、岡の庵といわれる草庵を結んだのが今の光明院であったようである。以八上人は荒廃していた宗祖の生誕地とされる岡山県久米南町の誕生寺の再興に尽力したようで、廿日市の潮音寺墓地に以八上人の墓碑がある。

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宮島彫り

2021年05月06日 | 「宮島地区」ぶらり

 

 

宮島の伝統工芸品で厳島神社や周辺の風景などを盆や菓子器などに彫りこんだものを宮島彫りといわれており、かつて多くの彫刻師(彫り師)の名が伝えられている。上画像は大谷一翆の作で直径48cmの大きな丸盆に彫り込まれたもので、このような構図は多くの宮島彫り丸盆にみられるものである。下画像は直径24.5cmの小さな盆に上画像の構図の一部を真似て彫った素人宮島彫り愚作である。

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速谷神社境内の石造物

2021年05月05日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

速谷神社境内に移転建立されている御列格記念碑で、以前には磐木社旧地、平楽地蔵堂のある権現山麓に建立されていた。(上画像)大正12年(1923)に神苑拡張、社殿改築に着手して翌年工事完了して11月に国弊中社に昇格しており、昭和7年(1932)9月にこの記念碑が建立された。

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河野原溜池

2021年05月04日 | 農業

 

 

 

昨日紹介した井手などには河野原溜池からの流出水が流れている。河野原溜池は流域に田んぼを持った23名が田の面積に応じて溜池工事費を出資して(下画像)昭和15年(1940)に築造されたようである。(上画像Google Earth画像)

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井手堰(いでせき)

2021年05月03日 | 農業

 

 

 

5月の第一日曜日は地域の井手堰で田植え前の農業用水路の掃除補修の作業日である。この井手は江戸期の地誌に記されているどの井手に相当するものであろうか。かつて田んぼの面積に応じての補修費用の割合が記された板図があったと聞いたことがある。現在はコンクリートやU字溝で整備されており掃除のみで費用がかかることは殆どない。

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円型の天水桶

2021年05月02日 | その他

 

 

寺院や神社の向拝屋根の雨水受け石桶はかつて雨水を利用した防火用水桶であったが、現在ではモニュメントとして設置されているようである。昨日と以前に市域の天水桶を紹介したが、以前山口市での楼拝殿見物で訪れた秋穂の正八幡宮には円型石造の天水桶があり用水と刻されていた。八幡馬場の今八幡宮には用水、湛水と刻された天水桶があった。以前訪れた所には円型の鋳造天水桶をみたことがあるがどこであったのか思い出せない。

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