『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

旧山陰道の土床坂・領界標柱

2017年03月17日 | 旅行

 
土床坂-石畳み道

 領界標柱

江津本町の街並みを進んで西の山の方に向かって行くと旧山陰道の土床坂(つっとこざか)と言われる石畳み道が約100m位残されている。
かつて土床坂の頂部の尾根筋が天領(石見銀山領)と浜田藩領の境界であったようであるが、現在道路となっておりその脇に「従是西濱田領」と刻した大きな領界標柱が残されている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

江津本町(甍街道)ぶらり②

2017年03月16日 | 旅行


旧江津郵便局


旧江津町役場・江津市役所


 鼻ぐり石

明治前期に建てられたという旧江津郵便局は石州赤瓦が葺かれた家並みが続く街並みの中でひと際目立ったハイカラな建物であったものであろう。
山辺神社の鳥居をくぐった参道脇にある旧江津町役場は大正15年(1926)に建築されたようである。この建物も石州赤瓦が葺かれた家並みが続く街並みの中で目立ったものであろう。現在の市役所はJR江津駅裏付近に建てられており逆V字型の柱から大きく持ち出した梁でピロティ方式となっている変わった建物である。
本町の小さな川沿いの道端に荷物を運んできた牛馬を繋いでいたという鼻ぐり石が十数個みられ当時の繁栄ぶりが伺われる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

江津本町(甍街道)ぶらり①

2017年03月15日 | 旅行

 

江津本町の街並み


横田家


藤田家

三江線で江津駅手前の江津本町で下車して江津本町(甍街道)の街並みを探訪した。江の川河口の江津湊は江の川の舟運と日本海での海運北前船の寄港地として河岸から街中に向けて多くの廻船問屋の蔵屋敷が軒を並べていたようである。
街並みの町屋は石州赤瓦が葺かれた家並みが続いており、町屋のうち廻船業を営んでいたという横田家と藤田家の屋根の煙り出し越屋根が特徴的である。
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

川本町ぶらり②

2017年03月14日 | 旅行


弓ケ峰八幡宮・創天秤鞴記碑

 
 川本街並みの町屋

川本町役場近くにある弓ケ峰八幡宮へ参詣したら参道脇に安政4年(1857)に建立された「創天秤鞴記」碑があった。中国山地では古くからたたら製鉄が盛んで炉には勢いよく空気を送り込んで炉内の温度を高める装置が必要であり、江戸期の享保頃(1716-1736)に川本の老工清三郎によって天秤鞴(てんびんふいご)が考案されて生産効率は飛躍的に向上したようであり、清三郎の100年忌でこの碑が建立されたようである。
街並みを散策していると門構えのある古い町屋がみられたが由緒など触れられたものがなく詳細は不明である。川本の街並みでは唯一の古い町屋とみられるが現在無住のようにみられた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

川本町ぶらり①

2017年03月13日 | 旅行

悠邑ふるさと会館・かわもとおとぎ館

アポロ宇宙船スカイラブ3号

アポロ宇宙船スカイラブ3号内部


石見川本駅で乗り換え待ち時間が1時間30分余りあったので街並みの高台にある巨大な施設である悠邑ふるさと会館、かわもとおとぎ館に向かった。この施設は当時邑智郡7町村の郡都施設をと建設されたようであるが現在は川本町の大きな負担になっている施設のようである。
この施設の駐車場の片隅になぜかアポロ宇宙船スカイラブ3号が展示されていた。看板表示によると昭和48年(1973)11月16日にこのスカイラブ3号が打ち上げられ、乗員3名が84日間滞在し翌年の2月8日に帰還したようである。スカイラブ3号の内部の装置類は取り外されているが複雑に入り組んだ配線や配管などが残されており高度な技術の塊の片鱗が窺われる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぶらり三江線車窓から

2017年03月12日 | 旅行

三瓶山遠望

明神岩(厳島神社)遠望


三江線列車の車窓から一昨年7月に孫とお鉢巡りをした雪の三瓶山が遠望できた。左側最高峰の男三瓶、手前に子三瓶、その右側が孫三瓶、さらに右側が女三瓶で男三瓶の右側は981峰でありすべての峰が初めて一望できた。
かつて江の川は舟運が盛んであったようで国土地理院の地図によると中流域で港地名が2ケ所見られる。竹駅の対岸は港地名で江の川に景勝地明神岩があり川の往来、漁の安全を祈願して厳島神社が祀られているようである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぶらり三江線

2017年03月11日 | 旅行

 三次駅→石見川本駅行き列車

石見川本駅→江津駅行き列車

神楽ラッピング列車 

一昨日、にわか乗り鉄、撮り鉄・・・  来年廃線となるという三江線に初めて乗った。JR廿日市駅~広島駅から芸備線で三次駅に着いて石見川本駅行きの三江線ディーゼル列車に乗った。
乗客のほとんどは廃線を惜しんで乗っているようでほぼ座席が埋まっており、石見川本駅で乗り換え待ち時間の1時間30分余りの後、江津駅行きの列車にはほぼ同じ人達の姿がみられた。江津駅からは神楽ラッピング列車で浜田駅に向かい高速バスで広島駅に帰った。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

記念植樹の分岐樹木

2017年03月11日 | 「廿日市地区」ぶらり


桂公園の北側に樫の種類とみられる大きく茂った樹木があり、これほどの多数の幹立ては初めて見た。山林境界でみられる多数の幹立ては芯を止めたものでありこの樹木はなぜこのように多数の幹立てになっているのであろうか。
この樹木は老人福祉法制定10周年記念で廿日市長生会が昭和48年(1973)4月に植樹したようであり、標石の上部が喰われ始めている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

桂公園碑

2017年03月10日 | 「廿日市地区」ぶらり


この桂公園碑はかつて桜尾城跡最高所の本丸に建立されていたものであるが、城跡は昭和42年(1967)頃から埋立て用の土砂採取場となりその跡地は現在の桂公園として整備された。公園碑は公園の駐車場手前の道路脇に移設建立されていたが平成元年(1989)5月に現在地に移設された。
中世桜尾城主であった桂元澄の後裔である公爵桂太郎が大正元年(1912)に桜尾城跡を買収して廿日市町に寄付し、町会で永久に町の公園として維持する、公園内に開園記念碑を建設することなどが決議され、大正2年(1913)1月廿日市町によりこの桂公園碑が建立されたようである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭和レトロな配線

2017年03月09日 | 「廿日市市周辺部」ぶらり


昨日紹介した小多田車庫跡では昭和レトロな街灯と配線がみられた。ノップ碍子にて配線し電線が交差するところや壁を貫通するところには
直碍管という筒碍子を使用している。
当ブログ主の先代の古い家にはこのような配線がしてあったことを思い出した。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

広電バス小多田車庫跡

2017年03月08日 | 「廿日市市周辺部」ぶらり


佐伯地区北部に聳える大峰山の裏手側に佐伯区湯来町の小多田集落があり、その最奥部にかつての広電バス小多田車庫跡があるが崩壊しつつあり全壊までそう長くはないであろう。
広電バスの昭和30年(1955)から平成7年(1995)の営業路線図には小多田線がみられるが、開通時期と廃止時期は定かでない。現在ささき観光が平日の朝2便湯来ロッジ行きと夕1便大谷行きがこの前でUターン運行されているようである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大島神社・厳島神社

2017年03月07日 | 廿日市関連


三原市本町にある大島神社・厳島神社で江戸期の地誌によると稲荷・厳島大明神と言われていたようで三原七社のうちの神社のようである。
稲荷社は一昨日紹介した三原城天守台の地にあった大嶋に鎮座していたが、築城後は城の鎮守として祀っていたようである。厳島社は小早川隆景が九州陣中で日参祈願しており三原城築城の際に御広間庭へ建立していたが、福島正則の時代に両社ともに現在地へ遷座したようである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

洞雲寺末寺の法常寺

2017年03月06日 | 廿日市関連


三原市西宮にある洞雲寺末寺の法常寺に久し振りに参詣した。法常寺は小早川氏の菩提寺で洞雲寺6世の大休登懌が開山しており師の洞雲寺5世天庵宗春を開山とし自らは中興2世となっている。
洞雲寺7世の大応存隆が3世、洞雲寺8世の花屋宗闐が4世、洞雲寺9世の全室宗用が中興5世、洞雲寺14世安之林泰が7世、洞雲寺16世龍屋賢朔が8世となっており、洞雲寺と深い関わりがあった寺である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三原城跡探訪

2017年03月05日 | 旅行


新聞報道で三原城築城450年事業が始まったとあったので堀周囲が整備された三原城跡を探訪した。三原城の遺構はほとんど残されておらず、上画像の天守台跡、下画像の船入櫓跡と本丸中門跡の石積みが残されているのみである。
450年事業が始まっているのに船入櫓跡の上部に行こうとしたら柵が倒れかけているので閉鎖していますとあり入口が施錠してあった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雉が来訪

2017年03月04日 | その他


酉(鳥)年の今年初めて雉の雌が当ブログ主宅近くに来訪し、始め下画像のように丸まってじっとしていたので何の鳥かと思っていた。
カメラを取りに行く間も同じところにいたがこちらの気配を感じて首を伸ばして山の方に逃げて行ったので雉の雌であることがわかった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする