上平良地区の河野原川上流域にある轆轤木谷の小さな谷間にぽつんと田んぼを作っていたことが分かった。(地図の赤丸ケ所)明治5年(1872)の地券申受帖にロクロ木2畝(約200㎡)の田んぼがみられ、周辺幅3間(5.46m)の範囲は有地でシバは自由に刈ることが出来た山であった。
山奥の辺鄙なところなので明治34年(1901)頃には山林となっていた。どのような場所かと途中藪こぎしながら田んぼ跡に行ってみると、数段の小さな田んぼがあったものとみられるが現在はなだらかな山林となっていた。
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