平良地区の東側に延びている山の尾根筋に江戸期の石州往還道が残っており、子供の頃以来久しぶりに通ってみた。人が通らなくなっても何百年も踏み固められた往還道はしっかりと残っているものだ。
子供の頃廿日市に行くときはこの道が最短距離でありよく通ったものである。また、小学校からの帰りに回り道をしてこの山道を通っていたこともあり、現在では考えられない良き時代であった。
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つい150年前の道が消えてゆきます。残して欲しいですね。
ただ難しいのは、崩落を食い止めるためにコンクリで固めたら別物になる。
人里が近いところでは、ボランティアで整備して、子どもたちの
ハイキングコースにするとかの工夫。
私・個人は、本質的には、徒歩・自転車族で、還暦前後に「お四国」を
巡らせて貰ったので、一層そう思います。
西中国山地真っ只中に位置する現在の島根県益田市匹見町方面から瀬戸内沿岸への主要道であったが、これらを知る人はほとんどいないと思われます。
県内のルートはほぼ踏破しているので何らかの方法で光をあてられればよいのですが。