あまり行きたくないところである霊峯苑の手前下には旧廿日市の飢民供養塔が移設されている。この供養塔は江戸時代、享保の大飢饉で餓死した人たちの霊を弔うため宝暦14年(1764)の33回忌に建立されたものである。現在はペットの供養塔になっているようで多くの花などが供えてある。今は飽食の時代、飢饉という言葉すら忘れ去られようとしている。人差し指の運動! ポチッとね!
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戦後、親たちが食べる為に物々交換をして
お米を農家の人から分けてもらった
お陰で私も健康に育ちました。
ありがたい事です。
田舎育ちで野菜ばっかり・・・栄養不足でした。