廿日市参道と原参道の出合いから屏風岩の石仏がある手前までの参道西側の尾根筋には中世の星ケ城跡がある。南北弓状に伸びた尾根上に目視の限り16郭を配し堀切で三つの郭群に分けている。しかし、厚い腐植土に覆われているので詳細は不明である。当城には大永期ごろ(1521~28)立野主膳が守居していたようであるが資料が乏しく詳しいことは不明である。
廿日市参道と原参道の出合いから屏風岩の石仏がある手前までの参道西側の尾根筋には中世の星ケ城跡がある。南北弓状に伸びた尾根上に目視の限り16郭を配し堀切で三つの郭群に分けている。しかし、厚い腐植土に覆われているので詳細は不明である。当城には大永期ごろ(1521~28)立野主膳が守居していたようであるが資料が乏しく詳しいことは不明である。