潮音寺の裏手にある小道は中世末期頃の土手跡とみられ、江戸期に沖側が埋立てられたようである。江戸後期頃には潮音寺の裏手から串戸通りは往還道より約2町(約218m)位近いので近道として西国の大名も通っていたということであり、威厳を示す大名行列が脇道であるこの小道を通っていたとは・・・
潮音寺の裏手にある小道は中世末期頃の土手跡とみられ、江戸期に沖側が埋立てられたようである。江戸後期頃には潮音寺の裏手から串戸通りは往還道より約2町(約218m)位近いので近道として西国の大名も通っていたということであり、威厳を示す大名行列が脇道であるこの小道を通っていたとは・・・