県道30号線の明石峠手前の道路法下には旧県道の跡が残っていた。旧県道はカーブの多い道路で明石峠七曲りといわれており、小中?学生の頃バスで通ったときに一度では曲がれないようなカーブがあったのを記憶している。
江戸期の津和野街道を引き継いだ県道津和野線は険悪な道であったので、明治24年(1891)に県道の改良工事が行なわれている。七曲り道路はこの改良工事の道路とみられるが定かなことは不明である。
県道30号線の明石峠手前の道路法下には旧県道の跡が残っていた。旧県道はカーブの多い道路で明石峠七曲りといわれており、小中?学生の頃バスで通ったときに一度では曲がれないようなカーブがあったのを記憶している。
江戸期の津和野街道を引き継いだ県道津和野線は険悪な道であったので、明治24年(1891)に県道の改良工事が行なわれている。七曲り道路はこの改良工事の道路とみられるが定かなことは不明である。