『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

明石峠七曲り

2011年10月24日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

県道30号線の明石峠手前の道路法下には旧県道の跡が残っていた。旧県道はカーブの多い道路で明石峠七曲りといわれており、小中?学生の頃バスで通ったときに一度では曲がれないようなカーブがあったのを記憶している。

江戸期の津和野街道を引き継いだ県道津和野線は険悪な道であったので、明治24年(1891)に県道の改良工事が行なわれている。七曲り道路はこの改良工事の道路とみられるが定かなことは不明である。


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4 コメント

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Unknown (toku)
2011-10-24 19:23:53
あのあたりの道路下には多少なりとも旧道の跡が残っているのではと、通る度に見ておりました。
本当に残ってたんですね!
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Unknown (hera)
2011-10-25 08:37:00
tokuさま

ここを通るたびに気になっていたので探訪してみました。
一部しか見ていないのですが多くは新県道の法面で埋もれているものと思います。
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Unknown (Unknown)
2014-04-03 23:58:24
新道への切り替えは、私が幼いころなので、覚えていないのですが、昭和50年代は、新道から旧道のガードレールが見えるほど、はっきり見えていました。
今では、山林化して、歩こうにも歩けない状況になっています。

国土地理院の航空写真(同院HP)でみると、昭和42年には、旧佐伯町側と明石集落側の新道工事が進められており、旧道が法面の下に埋もれていく様がみられます。

ただ、峠の中間部分は、しばらく旧道を使用していたと思われるので、法面には埋もれてはいませんが、峠の途中に倉庫が建てられた際、その部分は埋もれてしまいました。

昭和36年の航空写真では、旧佐伯町に近いところに旧カーブが確認できますが、バスが一度で曲がれなかったのは、このカーブでしょうか。
この旧カーブの入り口の擁壁は、今でも、よくみると、新道から確認できます。
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七曲り (hera)
2014-04-05 10:56:21
昭和27年の国土地理院の1/25000地図に標高246.8m表示のところと頂上近くに大きな折れ曲りがみられるので、これが相当するものと思われます。
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