旧石州往還で現在広島県道294号線の泉水峠(江戸期-なら原越え・椿峠)で、石積みのある平地がかすかに確認できここに休憩所があったものとみられ、ここで瀬戸内を眺めて一息ついたのではなかろうか。
昭和5年(1930)の文献に休憩所が記されているのでこの頃にあったことがわかる。玖島の人の話では泉水峠に休憩所があり、小学生の頃遠足で峠まで登って瀬戸内を眺めたことがあると話しておられた。
旧石州往還で現在広島県道294号線の泉水峠(江戸期-なら原越え・椿峠)で、石積みのある平地がかすかに確認できここに休憩所があったものとみられ、ここで瀬戸内を眺めて一息ついたのではなかろうか。
昭和5年(1930)の文献に休憩所が記されているのでこの頃にあったことがわかる。玖島の人の話では泉水峠に休憩所があり、小学生の頃遠足で峠まで登って瀬戸内を眺めたことがあると話しておられた。