当ブログ主は若い頃には城に興味を持っており、各地の城跡や山城を巡っていたものである。古くからの城友達から城郭移築建造物大全「西日本編」という大著をこのほど頂戴した。当方が若い頃作図していた安芸高田市の法円寺三菱窟を掲載して頂いたのである。
当ブログ主は若い頃には城に興味を持っており、各地の城跡や山城を巡っていたものである。古くからの城友達から城郭移築建造物大全「西日本編」という大著をこのほど頂戴した。当方が若い頃作図していた安芸高田市の法円寺三菱窟を掲載して頂いたのである。
物入れの片隅にあったスクラップ帳にラジオ少年であった頃のQSLカードがあった。下画像のような5球3バンドのラジオを制作して各地の放送を受信して受信状態や内容などを報告したら送ってもらえたものである。「RADIO AUSTRALIA」「VOICE OF FREE KOREA」「VOICE OF AMERICA」「北京放送」など短波で海外の日本語放送を聞いていたこともあった。
物入れの片隅にあったスクラップ帳に昭和後半期頃に訪れた懐かしい各地の有料道路や橋・トンネルなどの通行券があった。現在はETC化されておりこのような通行券を知っている者は高齢者のみであろう。上画像の領収書は鳥取砂丘から姫路城に向かう中国山地を超える途中で、主要道が通行止めでガタガタの林道が迂回路となっていた時のものである。
物入れの片隅に令和の中頃に購入したGARMIN geko201があった。当時は日本語表示のものはなく、解説書も英文でありどのように操作すればよいのか分からなかった。いろいろと操作していると何となく分かるようになったので宮島の御床山先の砲台跡(当時は資料のインターネット検索が出来なかったので砲台跡と思っていた)での遺構の位置を確認するために使用したのである。(嚴島聴測照射所)
卯年も本日と明日のみとなりました。先日紹介した注連飾りも仕上げて玄関に飾りました。 卯年の今秋、訪れた山形県南陽市の熊野大社の本殿裏にうさぎが三羽隠し彫りされているようで、うさぎを三羽見つけた人は願い事が成就するとのことであったがなかなか見つけにくかった。
正月も近づいてきたので我が家の注連飾りのパーツ作りをした。29日に藁で作った3つのパーツとウラジロ、ダイダイ、マンリョウ又は南天などを組み合わせて完成させ玄関に架ける予定である。
旧石州往還道を歩いていると枯れ木にびっしりとクソナバが生えていた。Googleレンズで検索してみたがオシロイタケかオオオシロイタケかよくわからない。名前が分からないとクソナバと称しているのである。
※ 昨日、当ブログを開設してからトータル閲覧数650万PVの大きな節目を迎えることができました。当ブログは老化防止のために見たままを記した万人受けするものではありませんが、多くの方々に御来訪閲覧して頂き大いに励みとなっております。可能な限り継続していきますので御来訪して頂きますようお願い致します。
ウォーキング途中、山陽自動車の法面にみたことがないような虫こぶ状の葉がついた植物があった。Googleレンズで検索してみるとヌルデハイボケフシのようで、「ヌルデのハ(葉)にイボのようについたケ(毛)のあるフシ(むしこぶ)」という意味のようである。
ウォーキング途中の山裾にカラフルな小さな実が付いている蔓性の植物があった。Googleレンズで検索するとノブドウのようで、なんと焼酎付けり野ぶどう酒などや乾燥させた葉の野ぶどう茶などで飲用や販売されているようである。
ウォーキング途中にある石垣の大きな石に苔状のものがみられたが、日当たりもよくいつも乾燥している石なので何かと思った。
ネットで調べてみると地衣類のようであり、地衣類は菌類のうち、藻類を共生させることで自活できるようになった生物のようで、一見するとコケ類などにも似て見えるが形態的にも異なり構造は全く違うものであるとのことのようである。
山林を歩いていると倒木にみたことが無いような茶色と白色のくそナバが生えていた。Googleレンズで検索してみたが茶色のキノコはシュタケ、ヒイロタケ、アケボノオシロイタケ、マスタケなどのどれであろうか。白色のキノコはシハイタケであろうか。⁉
今秋は比較的に好天に恵まれ秋の収穫が終わったので例年の如く米俵を作った。稲藁の芯を使うためにアクタを取り除いて準備をする。俵の胴体部のコモを編む機具(コモカセ・コモガセ)で、ヒモの上に藁をのせて紐を法則的に交差させ、藁の向きを交互にして必要目数まで順次編み上げていく。
編みあがったコモを筒状に編み紐で結ぶ。コモの端部分を折り曲げて紐で亀の甲状に編み上げていく。片端部を編み上げて袋状になったコモの中に米袋を入れて新米を詰める。米を詰めてコモの上端を折り曲げて他端と同じように紐で亀の甲状に編み上げていく。胴部分の両端ケ所に横縄を二周回して男結びとする。
2本の縦縄を十の字として端部の編み上げ端を通し、横縄部分で一回りして他端中央で飾り縄に紐で結び、横縄を中央部に回して男結びとする。突起の飾り縄部分に色紙を巻き水引で結んで完成である。新米の米俵は今年も元気であった証としてしかるべき所に・・・
物入れの片隅に若い頃に長期月賦で買った単車のコレダ125SHのカタログがあった。先日のブラタモリで若戸大橋が少し紹介されていたので、若戸大橋が完成してすぐにこの単車に乗って訪れたことを思い出した。
250ccのオートバイ1台、125ccの単車3台、50ccのバイク3台の仲間達と昭和37年(1962)10月6日に若戸大橋から博多まで訪れた。バイクは関門トンネルの人道側を通らなければいけなかったが土地勘もなく携帯も無い時代にうまく合流できたものだ。遥か61年前のことである・・・今では考えられないような冒険をしたものだ。
昨夜は中秋の名月で美しい十五夜の月を見ることが出来た。素養があれば一句出るのであろうが月を見ただけ。14夜のヨゴロにはかつて八幡さんから太鼓の音が聞こえ放生会の祭事が行われていたが数年前から途絶えてしまった。戦国時代の頃から八幡神社の氏子によって連綿と放生会が催されてきていたのであるが・・・
ウォーキング途中の歩道脇にある花壇にオレンジ色の小さな花が咲いているようなので近づいてみると花ではなく葉の一部が花びらのようになっていたのである。始めてみるものでありGoogleレンズで調べるとトウダイグサ科のショウジョウソウ(猩猩草)のようであった。