子どものころは「昭和」だった

頭も悪く、体も弱い子どもでした。そんな子ども時代を思い出すだけ綴ります。
頭の悪い、体も弱い子の成長後も書いてみます。

ウバユリから思い出すこと

2014年07月22日 | 中、高時代
少し前に、わが市の北部にあるお寺に行きました。お寺の裏は林になっています。そこにウバユリがたくさん咲いていました。
ウバユリは初めて見ました。



これはまだ花が咲く前です。
花が満開になるころには葉が枯れてくることが多いため、歯(葉)のない「姥」にたとえて名づけられたそうです。
名前のとおり姥になっている花もありました。



姥になっても花が咲けばいいですね。最近はそんな女性も多いかもしれません。
わたしは「乳母」の字を当ててほしかったなあと思いました。「子に乳を与える母」という意味で。

昔は栄養剤やサプリメントはなかったと言っていいでしょう。
「子どもを産むと歯が弱る」と言われました。そんなお母さんを見たこともあります。子どもを産むことはたいへんでした。

昭和30年代ころまでは、お産のあとのお見舞いは新鮮な鶏卵でした。菓子箱にもみ殻を敷き、生みたてのたまごを求めて並べ、それを持って行きました。

隣の町(いまは市制です)の三軒家のあめがたを持って行くこともありました。「あめがた」はもち米と麦芽で作る、板状のお菓子で母乳の出がよくなると言われていました。砂糖を入れていないのに甘くて、うまかったです。

こんなお産見舞いは平成20年代にはないでしょうね。ウバユリからこんなことを思い出しました。