子どものころは「昭和」だった

頭も悪く、体も弱い子どもでした。そんな子ども時代を思い出すだけ綴ります。
頭の悪い、体も弱い子の成長後も書いてみます。

チンチン電車の記憶

2014年11月05日 | 小学生時代
市内にもチンチン電車が走っていました。市中心部から南へ5キロ弱、昭和2年から同27年まで運行されていました。
実際に走っていた電車を有志が探して来てペンキ塗りなどして展示に備えています。



これを見たときに市内を走っていたのでしょうが、わたしの記憶と少し違うと思いました。
電気を架線から取るパンタグラフが記憶と違うのです。

NHKの朝ドラ「マッサン」のドラマの舞台は大阪です。ここを走る電車が「マッサン号」として先月ラッピングされて運行されたそうです。車両は昭和3年製造とありましたが、パンタグラフはわが市で展示予定の電車と同じでした。

わたしの記憶ではパンタグラフは1本の棒状(ポール)でそれの先端に円形の金属があり、ポールにロープが繋がれていました。そんな電車がないかとネットで調べましたがありません。

それが「明治村」にあったのです。明治村で走っていました。それが次の写真です。



前にお相撲さんのまわしのような網はわが市の電車にもありました。人をひかないようないようにと聞いたように覚えています。

チンチン電車は終点まで行くと後先が変わります。今までの後ろが先頭になります。そこで車掌さんがポールについたロープを持って後部の電線にはめかえます。これがうまくいかなくて、車掌さんは苦労していたようです。乗客はそれをゆっくり見ていました。

チンチン電車の思い出はもう一つあります。
太平洋戦争中男子の運転手が足りなくなり、女性の運転手さんがいたと聞きました。