子どものころは「昭和」だった

頭も悪く、体も弱い子どもでした。そんな子ども時代を思い出すだけ綴ります。
頭の悪い、体も弱い子の成長後も書いてみます。

わが家の蓄音器

2014年10月04日 | 小学生時代
前回書きましたようにわが家にも蓄音器がありました。箱型の手回しでした。蛇がとぐろ巻いているのを見たことはありません。

どうしてわが家に蓄音器があるようになったのかもわかりません。
わたしが生まれる前からあったようです。どうしてラジオもないのに蓄音器があったのでしょう。姉さんかおっかさんに聞けばわかったでしょうが、二人とも亡くなっています。

記憶力抜群の多恵ちゃんが生前話していました。「夜になると近所の人たちが集まって来て、レコードを聞きよらした」

レコード盤が少し残っていました。浪曲や歌謡曲でした。

わたしが子ども心に残っているものがあります。
「妻は夫をいたわりつ、夫は妻にしたいつつ、ころは6月なかのころ、夏とはいえどかたいなか、こだち、もりもいとすずし」

小学生でしたがこれだけを覚えています。

浪曲・壺坂霊験記で浪花亭綾太郎という浪曲師の口演でした。