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子どものころは「昭和」だった

頭も悪く、体も弱い子どもでした。そんな子ども時代を思い出すだけ綴ります。
頭の悪い、体も弱い子の成長後も書いてみます。

50. 戦力になる農家の子ども

2013年04月09日 | 疎開生活
麦刈りでも田植えでも戦力にならなかったわたしですが、農家の子どもたちは戦力になっていました。

町の子はほとんど家の手伝いはしませんでしたので、学校から帰ったら路地や広っぱで遊んでいました。でも、農家の子どもは違います。疎開中農繁期に遊んだ記憶はありません。学校から帰ったら、畑や田んぼに出ていました。

伯母さんの孫、K子ちゃんのことを書きます。
K子ちゃんは当時小学3年生でした。家のことをよく手伝っていました。伯母さんちはこのころ水道が来ていませんでした。井戸は家から200メートルくらい離れたところにある共同の井川でした。そこに汲みに行きました。

天秤棒の両端にロープを下げ、その先にかぎがあります。そのかぎにバケツを下げます。それで井川から水を汲み、家まで運んできます。井川から家まではほとんど坂道です。

小さいK子ちゃんは地面にバケツが当たりそうになりながら、家まで水を運んでいました。風呂の水はなかなかいっぱいにはなりません。わたしも風呂はもらうので、この水運びをしましたが、6年生でも難儀しました。

K子ちゃんはよくこの水運びもこなしていました。子どもながらも彼女には感心していました。 

49. 田植えでも戦力にならない

2013年04月06日 | 疎開生活
麦刈りで全然戦力にならなかったが、田植えでも戦力になりませんでした。

麦刈りの次の奉仕作業は、田植えでした。
いまは田植えも機械でしますが、昭和20年代はもちろん手植えでした。苗の間隔をひもでわかるようにしたロープか竹を植え手の前に置き、苗を手で植えていきます。ロープのときには4,5人が苗を持って並び、自分の前の目印に植えていきます。苗を左手に持ち、右手でそれから3本くらい取り分け、親指と人指・中指で田んぼに差し込みます。

書くといとやすいようですが、これがなかなか難しく、土の中にうまく立ってくれません。倒れてしまいます。それを直していると、横で植えている人に遅れてしまいます。
横の人は自分の分を植えてから、わたしの分まで植えることになります。遅れないようにするためにはそうするよりほかないのです。

遅れないように気が急きます。苗は倒れます。足は水田に取られます。

戦力になりません。いるほうがかえって邪魔でした。

47. 初めての麦刈りで

2013年03月26日 | 疎開生活
分散授業が始まって、まもなくのことでした。

麦刈りの奉仕作業がありました。農作業は初めてのことでした。鎌を持って集合するように、前日言われました。それで、とうちゃんはわが家に1本しかない麦刈り用の鎌を念入りに磨いでくれました。

とうちゃんは切れ具合を見ながら磨いでいきます。切れ味は抜群になりました。三池典太の鎌のようになりました。

当日、縄で刃先を巻いて、作業の畑へ行きました。高等科の兄さんたちも来ていました。

「作業はじめ」の号令でいっせいに刈りはじめました。

疎開の、町の子のわたしは麦刈りは初めてです。

左手で麦をつかみ、右手の鎌でいっきに麦の束を切ろうと力いっぱい手前に引きました。

左手の小指の爪に鎌が当たったようです。

小指を見ました。

小指が二つに割れて、白い肉が見えます。小指の表面も切れています。血はほとんど出ていません。

麦は切れずに小指を切ってしまいました。

わたしは真っ青になって、鎌だけ持ってわが家に駆け戻りました。

とうちゃんにメンソレタムを傷口に入れて、ぐるぐる包帯を巻いてもらいました。

医者に行って傷口を縫われるのが恐ろしくて、医者には行きませんでした。

傷口はその後も痛み、今でも残っています。

45. 分散授業

2013年03月15日 | 疎開生活
本校の授業などは覚えていませんが、やがて分散授業が始まりました。
分散授業というのも、わたしの造語で正式にはなんといったか知りません。例によって、その授業の始まりと終わりもはっきりしません。

始まりは多分6月ごろ、終わりは多分9月ごろだったのでは?

わたしの疎開先は、上、中、下の集落があったと書きました。その集落の子どもだけで勉強が始まりました。ほかの地区でも同じようにわかれて授業があったと思います。級長にも副級長にも後では会いましたから。

中の集落に氏神様、下の集落にお寺がありました。お寺の本堂とお宮の板張りが教室です。
先生は6年男子の担任のT先生(本校での担任でもありました)、中の集落に女の先生がいられました。S先生です。分散授業が始まって、しばらくして女学生みたいな、にきびのあるS先生が加わりました。

男子が氏神様を使うときには、女子はお寺とわかれて、授業はありました。この逆に変わることもありました。

どんな授業があったかは、覚えていません。これも例によってです。(-_-;)

覚えていることをこれからも続けます。

44. トリのたまご見つけ~た

2013年03月12日 | 疎開生活
学校の帰り道のことです。隣の集落を通っていたときに土手から鳥が飛び立ちました。人も牛車もよく通る道です。そんなところから鳥が飛び出したのでなんだろうとゆっくり飛び出した場所に近づきました。

草をかき分けてみると、白い小さなたまごが3個ありました。


これはもちろんその時のものではありません^^

はじめて鳥のたまごを見ました。わくわくしました。たまごが孵って、ヒナが大きくなるまで見守ろう、明日からひとりでこっそり見続けよう、だれにも言うまい、と喜び勇んで帰りました。

父ちゃんにも言いませんでした。

翌日の帰り、もちろんひとりで、こっそり巣があった場所を覗きこみました。

がぁ~ん!

たまごはなくなっていました。

なんでだろ!、なんでだろ!