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子どものころは「昭和」だった

頭も悪く、体も弱い子どもでした。そんな子ども時代を思い出すだけ綴ります。
頭の悪い、体も弱い子の成長後も書いてみます。

防火水槽

2015年08月05日 | 小学生時代
この稿は2012年12月9日投稿の「空襲対策」の続きです。

その中で空襲による消火のために水を溜めておく防火水槽がありました。
その水槽を探しましたが見つかりませんでした。見つけたら写真をお見せしますと書きました。
その水槽が見つかりました。下の写真が防火水槽です。



上辺は84センチ×54センチ、深さは64センチありました。

近くにいた若い人が「水用火防ってなんですか」と聞きました。
「右から読むのよ。防火用水。70年前、アメリカの空襲に備えて、水を溜めていたのよ」と答えました。

分かってくれたかどうかは、わかりません。

前にも書きましたが、この水槽の横には2メートルくらいの竹竿の先に縄を巻いた火消の道具を立てかけていました。
焼夷弾が落ちたら縄の部分を水槽につけてから消火するように指導されていました。

あとあとニュースなどでアメリカの空襲の場面を見たことがります。焼夷弾が雨あられと表現されるように落ちてきます。
これを竹竿の先の縄で消せるとは思えませんでした。

 手ぬぐいとりは日向ぼっこを兼ねて

2015年02月04日 | 小学生時代
立春と言ってもまだまだ寒い日が続きます。このころが遊ぶのには困りました。家の中では遊べません。畳がそぜる(痛む)と家の中で遊ばせてくれる家はありませんでした。

寒いときでも男の子は屋外で遊んでいました。
そのときにやった遊びの一つが「手ぬぐいとり」です。日向ぼっこを兼ねていました。
北風があまり吹かない場所が遊び場です。道具?は手ぬぐいか運動会で使う鉢巻が1本あれば遊べます。
人数は6,7人くらいがいいかもしれません。

最初はジャンケンで1番から最後までを決めます。
1番がとんさん(殿様)です。最後がカンジン(どうしてこう言うのか知りません)。

とんさんから順に並びます。カンジンは最後の人の前に立ちます。

並んでいる方が手ぬぐいを持ちます。肩幅に両手を前に出します。親指を上に向けます。
両手の間に手ぬぐいを渡して、両端はだらりと下げます。これで用意は出来ました。

カンジンはいろいろ表情を変えたり、気をそらしたりしながら手ぬぐいを抜き取ります。
抜き取ったらカンジンの勝ち。抜く瞬間親指とほかの指で手ぬぐいを挟むとその人の勝ちです。

勝った方が次の人の前に進みます。
とんさんの前まではこの方法で進んでいきます。

とんさんは手ぬぐいを取る方になります。
とんさんの前に進んだ人はうやうやしく一礼します。
笑って一礼したり態度が悪かったりしたら「無礼者、下がれ}と一喝されて最後尾からゲームが始まります。

とんさんが勝ったら負けた方がカンジンからスタートです。
とんさんが負けたらカンジンになります。

下剋上の遊びです。

筑後市のかつての友だちは「とのさん引き」と言い、片手に手ぬぐいを垂らしていたと話していました。
あとは大体同じような遊びでした。




ひでちゃんの顔の傷

2015年01月23日 | 小学生時代
近所にひでちゃんという遊び友だちがいました。

眉が濃く目が大きい、1年下の男の子でした。

今はひでちゃんよりも両親の顔かたちがよく思い出されます。
お父さんもひでちゃんのように眉も目もはっきりしていました。なによりも思い出すのはお腹が大きかったことです。シャツに包まれないような腹を出して、縁台に座っていました。だるまさんが座っているようでした。

お母さんはいつも泣いたような顔でした。お父さんのお腹は病気のために大きくなったような話をおっかさんはしていました。それでお母さんは悲しそうな顔をしていたのかもしれません。

ひでちゃんとは野球はしていないので、疎開から帰ったときにはひでちゃんの家族は近所にはいなかったと思います。お父さんが亡くなられて引越したと思います。

ひでちゃんの傷はわたしと遊んでいたときについたものです。このときもおっかさんにすごくおごられました(叱られました)。

近くに小さい神社があります。そこもわたしたちの遊び場でした。

ひでちゃんと遊んでいるときにひでちゃんがわたしのシャツの裾を握っていました。わたしは振り払おうと逃げ回ります。石造りのこま犬さんの周りを回っているときに石の角にひでちゃんが顔を打ちつけました。
顔から血が流れ落ちました。額が切れていました。

急いで帰り、お母さんから応急手当てをしてもらいました。
病院に行くことはしませんでした。
このころはたいていの傷では病院には行かなかったです(行けなかったというべきかもしれません)。
傷が残りました。

ひでちゃんに会うことがあれば最初に今も傷が残っているか、小さくなったか尋ねたいです。
ひでちゃんの傷がわたしの心にも傷として今も残っています。

縁側の拭き掃除でおごられる

2015年01月18日 | 小学生時代
おっかさんに閉め出された話から、別におごられた(叱られた)ことを思い出しました。

置時計を分解して壊したことは書きました。(2012.06.08投稿 目覚まし時計分解)
この時もすごくおごられました。閉め出された記憶はありません。

わが家には幅半間で長さ2間の縁側がありました。この掃除でおごられたことは書きましたかね。記憶があいまいで書いたか書かないかわかりません。

この縁側を拭き掃除しておくようにおっかさんから言いつけられていました。

小学生の下学年のころと思います。その日は遊びに呆けて忘れていました。 

おっかさんが帰るころに家に帰りました。さあ、たいへん。掃除を忘れていたことを思い出しました。

急いでバケツに水を汲んできて、縁側に流しました。
それを雑巾で拭きはじめました。このほうが早く拭き掃除ができると思ったのです。

ところが、運悪くそのときにおっかさんが帰ってきました。

おごられました、おごられました。しぼしぼと。
いまでもそれでよく覚えています。(;一_一)

おっかさんに閉め出される

2015年01月14日 | 小学生時代
昨夜も一昨夜もネコがか細く鳴いていました。近くの家のネコらしいです。閉め出されたみたいです。

その声を聞きながら子どものころを思い出しました。
カテゴリーには小学生時代としましたが、それ以前かもしれません。
閉め出された理由もわかりません。

覚えているのはおっかさんにすごく叱られて、外に出されました。夜風が涼しく感じるころでした。行くところがないので、家の前の電柱のところで大声で泣きました。おっかさんは許してくれません。

どれくらい泣いていたのか、わかりません。

わが家の隣りのおばあさんが出てきました。電柱のそばにも家があるのですが、そこの人ではなく離れた家からおばあさんが泣き声を聞いて来てくれたのです。

おばあさんがおっかさんにとりなしてくれました。

やっと家の中に入れました。