刈谷城址別名亀城公園の本丸を西へ歩いていきますとこの石碑に当たります。松本奎全の辞世の歌と書いてあります。「君がため 命死にきと世の人に かたりつきてよ峰の松風」とあえいます。いかにも尊皇攘夷家の歌らしいです。
松本奎全は刈谷本誌藩士で秀才と呼ばれ読書家であった。文久3年(1863)8月14日、大和の天領を占拠して天誅組の総裁となり政治改革を求めたのですが8月18日の京都の政変で目的は挫折し9月24日に鷲家口の突撃で破れ両目を失明して逃げるに叶わず25日に幕府側によって撃たれた。(18歳のときの槍の試合で左目は失明していた)32歳の若さでした。
お墓は刈谷市駅に近い十念寺の境内に土井家の墓所一緒に祭られていました。
松本奎全は刈谷本誌藩士で秀才と呼ばれ読書家であった。文久3年(1863)8月14日、大和の天領を占拠して天誅組の総裁となり政治改革を求めたのですが8月18日の京都の政変で目的は挫折し9月24日に鷲家口の突撃で破れ両目を失明して逃げるに叶わず25日に幕府側によって撃たれた。(18歳のときの槍の試合で左目は失明していた)32歳の若さでした。
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