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霜恋路日記

【しもこいじにっき】
ロマンチックな名前「恋路」という場所においての出来事です。これは正真正銘本当の地名です。

あの世について

2004-12-26 21:07:37 | 仏教/宗教
 これは、寂聴さんと玄侑宗久さん/梅原猛氏の対談の概要である。(まとまりがない概要)
 アミターバ (死を和らげるのがテーマ)
 愛別離苦 死ぬために生きている。
あの世の有無
 極楽浄土・・・死後のエネルギーが最後には・・・膨大なエネルギーが集約され阿彌陀さんにエネルギーが集約される。
私はエネルギーになる。魂となり、思い残すことなく死後の世界に出発。光の中心に進んでいった。
 アミターバ 極楽浄土を意味する言葉
衆生済度のつとめ
「宇宙の総エネルギーは変わらない」アインシュタインの言葉。人が亡くなったとき何gか減る、遺体になった瞬間に何グラムか減る。ある説では(アメリカの病院で測量している)40グラム減ったという説もある。1グラム減るだけで『大変なエネルギー』が生じるといわれる。10の14乗ジュールのエネルギー、おおよそプール529倍のお湯を沸騰させる力が出ると。たとえば光ってみたり、そのエネルギーで遠い息子のところにいけるエネルギーもあるといわれている説がある。

浄土 見たいものが見える、聞きたい音が聞ける。かぎたい臭いが嗅げるところが浄土
エネルギー=たましい。玉のように丸い(形が出て行った後のこと)死の瞬間死の前後 たましいが入ったり出たりする。修行中にも極限状態のときに出たり入ったりする。

 寂聴… 慙愧の念に耐えられない中で死人と話す。死の直後死人と話して、わかるなら口をあけてというと不思議と口がぱく・・ぱくとした。
 玄侑宗久は信用していない口ぶり

良寛の臨終
尼僧 貞心尼
「背中が寒い」というと寝床にすべりこみ尼僧は背を暖めた。死にとうないとはっきり言われたシャバにもっと居たいと・・・にっこり笑みを浮かべた。
良寛・・垂れ流し着る物を汚しの生活を尼僧が世話した愛情
湯潅(ゆかん)・・・死後に体を拭く作業。
天童天女が浄土へ案内してくれる。地図のない国へ行くので不安はあるが釈迦は行く先を教えてくれなかった。
阿含経・・・釈迦が言ってる言葉で深い瞑想のなかで死というものを体験するが、それ以上のことは死によって体験できない段々と死んでいく。だんだんと死んでいくエネルギーが出たり入ったりしながら死んでいくものである。

宗久・・・自分の意識が全身から離れていく修業体験を禅宗で行った。座禅一日20時間半を7日間 体が自分のものでなくなる。厳格幻聴が沸く、相手の体にオーラが見える。睡眠不足と肉体的限界で、修行のなかで死の体験に近いものが体験できるのではないか?

三千仏礼拝の修行  5:00から19:00まで/一日 一日だけ

「冥福なんてわたし風です光です」「切に生きる」「捨ててこそ」疲れ果てると気配を感じる。

四大分離
死後人の体は水・火・風・光に分かれる
中有・・・中陰 死んでつぎの生を得るまでの間 49日間魂が漂うことは生きてる人間の願望だと思う。死んだ人は生きている人が悲しむのが一番悲しい。涙がかれるほど鳴きなさい、そして眠りなさい眠らないと、眠れば忘れる。早く忘れることです。悲しみから逃れるには。あなたも死にますから必ず。

釈迦の教え 
この世は美しい。(地球は美しい)
人の命は甘味なものだ この世は苦だといわれたが苦しい苦しい人生を生き抜いていくことは甘味だとおっしゃった。生まれた者は死ぬ 生者必滅をお釈迦さまは教えてくれた。生老病死 すべての現象は過ぎ去ることだとお釈迦様は身をもって教えてくれた。人生は諸行無常のものだ。 人生は苦だ

大乗仏教
他者の救済を目的とする仏教
「事象は過ぎるものだ自らの法を立て生きることだ」 釈迦に頼るな 野垂れ死にするところまで歩こうということが釈迦の旅 人間の死は孤独なもの 孤独な人間である。サイの爪のように一本(一人)で歩いてみよう。
釈迦の旅は、故郷に帰る気配もあった故郷はないがにおいがあったのではないか・・・梅原 猛説
人生は甘味であると行き着いた学者はいない。ソクラテス、魂の行き先を語っているが釈迦は死後の魂について語っていない。諸行無常である。人生は苦だそれは愛欲の因である。それを人生は甘味だといったある種の矛盾である矛盾だらけ、小乗仏教は欲をなくす。大乗仏教は人を救う。釈迦はガンで死んだろうと、死ぬまで意識があった。新興宗教は教祖を敬えというが釈迦は一切行っていない。
釈迦仏教は自由な解釈が許される。
キリスト教はバイブルから抜け出せない。

生きることは選び取れないが死は選び取れる。生にふさわしい死、突如死ぬ、説教して死ぬなど無意識のうちに選び取っているのかもしれない。
渇愛…生命に対する恐怖が、みな心配

梅原 猛氏の話
 死を明らかにして死にたいと哲学を勉強したが人間の命は無常だ。一日一日をしっかり生きろということ。毎日毎日が 今日終わるのではないか、くだらないことに、無駄なことに費やしたくない、死を見つめて80歳まで生きた。
 あの世 死んで 遺伝子で残っていく 死んでからのこと…遺伝子が残ることがあの世
三世の思想 前世 現世 来世
遺伝子・・・来世に可能性がある それが生きることではないか。花開くこともある。
 
 瀬戸内寂聴・・・来世は 死んで見ないと分らない。

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