霜恋路日記

【しもこいじにっき】
ロマンチックな名前「恋路」という場所においての出来事です。これは正真正銘本当の地名です。

那智神社

2011-05-17 08:58:17 | 歴史/古文書
 歴史探訪会としては次の視察地としてこの那智神社に移りました。暫くして役場の若い男性が駆け寄ってようやく来てくれました。先ずは旧道面家住宅の説明です。この神社のことは詳しくなくさらりと説明しただけでした。この神社の参道は町内で一番長い参道で杉の木も大きく中には空洞の出来ている杉もあるとのこと。
 この神社掃くものの那智権現ぐうから勘定されている天平12年(740)と古い養和2年には(1182)には国司の羽問時信が社殿を造営し堅田1町5反を寄進している。その後吉見氏の寄進、坂崎出羽守は逆に社領を没収しているが後の亀井氏は社殿を再興して保護している。従ってこの神社の神紋は亀井家の紋となっていました。那智神社の拝殿です。ここの宝物は神社の神宮寺であった本覚寺に吉見氏5代頼弘が鰐口1首を応永28年(1421)に寄進、弘治元年(1555)吉見氏と陶晴賢の合戦、弘治3年(1557)大内義長を攻めて吉見氏が阿武郡を攻め取ったとき、むつみ村高佐のあった山岳寺の般若経600巻を奉納している。また掛け仏もあってこれら三つが社宝として残っているとの話である。那智神社の本殿です。