天主など城の中心となる建物があったと推定されている。南側に石組みがわずかに残っている。北側にはこの城祉で最大の深さを持つ大掘り切りがあってここが城郭の一区切りになっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/08/e8ada5360603b358ccfe3526cc09e5f7.jpg)
本丸跡の絶つとここにも小さい建物礎石が見つかっている。江戸時代の記録では「天主とも、鐘丸とも」と記載されており、ここが本陣的機能を持って鐘で合図をしていたのかもしれない。
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本丸跡の絶つとここにも小さい建物礎石が見つかっている。江戸時代の記録では「天主とも、鐘丸とも」と記載されており、ここが本陣的機能を持って鐘で合図をしていたのかもしれない。
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