番所跡の郭をすぐ登ると景色の良い場所に出くわしました。ここからは虎御前山がよく見えます。この虎御前山には小谷城攻防戦のときに織田信長の本陣があったことで有名です。
永禄3年(1560)浅井軍、愛知郡野良田で六角氏と戦い勝利する
永禄4年(1561)浅井賢政、長政と改名する
永禄11年(1568)織田信長の妹お市を妻として迎える
浅井・織田同盟の成立、ただし年号については諸説がある
永禄12年(1569)長政とお市の間に長女茶々生まれる
元亀元年(1570)次女初が生まれる
長政、織田信長が越前の麻暮らしを責めることになり浅井朝倉同盟を破ることは 出来ず。長い間の同盟であり朝倉氏側に寝返ってしまう。
6月28日姉川の合戦。朝倉浅井軍18千人、織田徳川軍28千人が姉川に会す るが織田徳川軍に攻められて小谷城に退却したが和睦する
元亀2年(1571)織田信長、小谷城を攻め、木の本・余呉を焼く
元亀3年(1572)8月9日織田信長、虎御前山に本陣を置く
天正元年(1573)三女江生まれる
朝倉義景(41歳)、一乗谷から大野に逃れ8月13日自刃(朝倉氏滅亡)織田信長、小谷城に総攻撃をかける久政(49歳)8月27日にに続き、9月1日長政(29歳)が小谷城内で自刃した(浅井氏滅亡)
正面に見えるのが虎御前山である
山の北尾根には当時の遺構が残っており、滝川一益、堀秀政、丹羽長秀の陣跡、秀吉、柴田勝家の陣跡もあるといわれている標高224メートルの低山である。
ここから竹生島も見えました。
竹生島の北東には山本山城跡が見えている。
永禄3年(1560)浅井軍、愛知郡野良田で六角氏と戦い勝利する
永禄4年(1561)浅井賢政、長政と改名する
永禄11年(1568)織田信長の妹お市を妻として迎える
浅井・織田同盟の成立、ただし年号については諸説がある
永禄12年(1569)長政とお市の間に長女茶々生まれる
元亀元年(1570)次女初が生まれる
長政、織田信長が越前の麻暮らしを責めることになり浅井朝倉同盟を破ることは 出来ず。長い間の同盟であり朝倉氏側に寝返ってしまう。
6月28日姉川の合戦。朝倉浅井軍18千人、織田徳川軍28千人が姉川に会す るが織田徳川軍に攻められて小谷城に退却したが和睦する
元亀2年(1571)織田信長、小谷城を攻め、木の本・余呉を焼く
元亀3年(1572)8月9日織田信長、虎御前山に本陣を置く
天正元年(1573)三女江生まれる
朝倉義景(41歳)、一乗谷から大野に逃れ8月13日自刃(朝倉氏滅亡)織田信長、小谷城に総攻撃をかける久政(49歳)8月27日にに続き、9月1日長政(29歳)が小谷城内で自刃した(浅井氏滅亡)
正面に見えるのが虎御前山である
山の北尾根には当時の遺構が残っており、滝川一益、堀秀政、丹羽長秀の陣跡、秀吉、柴田勝家の陣跡もあるといわれている標高224メートルの低山である。
ここから竹生島も見えました。
竹生島の北東には山本山城跡が見えている。