霜恋路日記

【しもこいじにっき】
ロマンチックな名前「恋路」という場所においての出来事です。これは正真正銘本当の地名です。

蛤御門の変の忠魂碑

2008-12-31 09:19:18 | 歴史/古文書
 江戸末期、幕末に京の禁裏の警護を任されていたが、薩摩藩や会津藩の公武合体派に追われ三条実実など七卿落ちがあるなど攘夷派の長州藩は京に置ける政治勢力を奪われた。

 京における政治勢力の回復を図るため奔走を志士たちはしていたが元治元年(1864)6月5日の池田屋事件が起こると攘夷の熱意は暴発し元治元年7月18日長州藩は京に入ると御所を三方から攻めていった。翌19日まで。

 木島又兵衛、久坂玄瑞らが戦死して敗退となった戦です。これを蛤御門の変とか禁門の変とか呼んでいます。これが起因し幕府から第一次長州征伐をうけ和議を結ばざるを得なかった。

 この小さな忠魂碑は蛤御門の変に参戦した【国分寺隊】の中の4人の戦死者(18歳、21歳、40歳、50歳)の忠魂碑です。若い人も年よりも意気に感じて参戦したのでしょう。いまから144年前のことですが、争いごとは絶えないですね

観光案内板参照