

朝10時から正午まで県の旧議会棟でおこなわれた。山口の町並み形成のことである。大内時代は線状町並みが伸びて行ったが、政治都市で経済は博多が中心であった。しかし線状 であっても江戸の幕末の絵図では畑地と町屋が混在していたとのことである。謎めいていますね!!

明治維新のあと、戊辰戦争に出兵したが、平時に戻り、失業した兵士たちが反乱をお越し山口藩庁を攻めたが正規軍に押し戻された反乱軍が阿東の三谷まで逃れて来たが正規軍も追って来て撃ち合いとなりました。この写真は長向寺に残っている銃の弾痕跡です。珍しい歴史の史料です。大事にしたいものです。