日本人には不可解なのが
韓国人の、「日本への嫌悪感」
韓国人には不可解なのが
日本人の、「北朝鮮への嫌悪感」
ただし韓国人の「日本への嫌悪感」は、韓国為政者自らが政権維持のためにでっち上げたもので、日本人の「北朝鮮への嫌悪感」はかつての北朝鮮礼賛の反動、という大きな違いがみられます。
これを互いに理解し合っていないのが日韓両国ではなかろうかと愚考するしだいでおぢゃります(笑)。
韓国の女は、自分よりも美人の存在があることによって「恨(はん)」を抱え、「恨」を抱えることによって「恨をほぐす」ことへ向かうパワーが、より強力に発揮される。
自分をより美人にしていく努力の過程は、「恨」をほぐしていく過程であり、しだいに「恨」がほぐれていく実感が生き甲斐ともなる。
恨をバネにして生きる力が発揮されるのだけれども、逆にいうと「恨」がなければ生きる力が出てこない。恨をもちっばなしで生きることにもなりがちである。: 呉善花「韓流幻想」
済州島出身で今では日本国籍を得ている呉善花がわかりやすく説明しています。ここで、恨(はん)という日本人には不可解な概念が登場します。
これに関してはWikipediaなどでも説明がされていますが、上記で引用した呉善花の説明の方が一層よく理解できそうです。
韓国の「恨(はん)」とは、まず上位概念を意識し、これをほぐす過程で生きる力を発揮する、ものらしい。これは李氏朝鮮〔李朝・李王朝・単に朝鮮とも〕時代以来の弾圧的な身分制度への「忸怩(じくじ)たる対応」なのでしょうか。
現在の対日関係で言えば、
韓国や北朝鮮が日本を蔑視したがるのは、「本来は自分たちよりも格下であるはずの」日本が自分たちより上に位置する現実から「恨(はん)」を意識し、これをほぐす過程で自分らしく生きる姿を取り戻そうとする正調朝鮮節(せいちょう・ちょうせんぶし)があるからなのでしょう。つまり「ほぐす」作業が、朝鮮半島人に特有の「差別肯定意識」につながるという見方です。
差別肯定とは、差別されることにも差別するのにもなんら抵抗感がないことを意味します。
従って未来永劫にわたり、「・・・・はいはい、みずからは小野小町と称し・・・・」と日本蔑視を続けながら恨(はん)をほぐすことで、低いレベルから脱することなく底辺を彷徨い(さまよい)続けることでしょう。隣人がそうあって欲しいとは思いませんが、本人たちがそれを望むならば、やむを得ません。
そんな目で朝鮮半島を見ていると納得できることが多々あります。さっぱり分らないよりは、相当マシでしょうか(笑)。
とにかく朝鮮半島人に欠けているのが「客観性」。この一言がすべてです(笑)。