失脚したものが歴史を書くが、これが「大説」。科挙に合格しなかったものが「小説」を書く。:黄文雄「儒禍 中国2000年の呪縛」2014年9月20日初版第1刷発行 光文社
黄文雄の説は、わかりやすいですね。中国では
- 「大説」・・・・・・失脚者が歴史を書く
- 「小説」・・・・・・科挙不合格者が物語を書く
「~しなかった者」が大小の説を論じ
「~した者」は忖度(そんたく)の詮索に追われていたのです。
ついでに科挙についてですが、この制度も不正まみれ
受験のためにはかなりの袖の下も必要だったと考えられ、相当の金持ちしか受験できなかったでしょう。
かりに科挙に合格しても官僚(役人)になれなかった人は多かったはずで、そういう人は金のある故郷へ帰って家督を継いだのかも知れません。
金がなく親戚縁者からかき集めて受験した者のうち、科挙に合格して役人になれた人なら親戚縁者を長期に渡って十分に養えるだけの財力を保証されたのも同然でしたが、そうでなかった人たちは親戚縁者共に路頭に迷ったことでしょう。
後述にあるような「君子が書いたのが大説」とは、にわかには信じられません。広義の「君子」ならいいのですが・・・・・・。
孔子も役人経験があったようですが
時代が孔子を欲していなかったようで、かりに孔子がどこかの国の重要な役割をになっていたとしたら、後世に残るような言葉を弟子たちがまとめることなどあり得なかったでしょう。
あくまでも外野席から「こうあるべきだ」と主張していたのであって、その構図は今も変わっていません。
変わったのは
現代中国では、外野席からの主張を「国家転覆罪」などで規制しているため、うかうかと主張できにくくなっている点です。中国共産党という魔物が存在しているのが現代中国の最大の汚点なのでしょう。
尤も本当のところは
私が高く評価している「老子」を、中国共産党が一番嫌っているのがおもしろいところです。
それにしても
中国共産党が「都合のいい部分だけ孔子を利用しようとしている」のは笑止千万というところです。:その1 その2 その3 その4 その5 その6
大説
- 君子が国家や政治に対する志を書いた書物の事。四書五経等がこれに当たる。これに対し日常の出来事に関する意見・主張、巷の噂話、または虚構・空想の話を書いた書物は小説と呼ばれる。
- 清涼院流水は、日本の推理作家。「従来のジャンルにおさまりきらない」という意味合い使っており、「大説家」を自称している。
老荘思想から言えば、「天下が乱れる」から「善」「道徳」などを口やかましく語り、倫理を最高の価値にしてきた、とも考えられる。:黄文雄「儒禍 中国2000年の呪縛」2014年9月20日初版第1刷発行 光文社
私は、老荘思想に関してこの説に賛成です。
多くの人が、聖徳太子(574-622)が制定したとされる17条の憲法第一条「和を以て貴しとなす」を例にひいて、「聖徳太子も言っていたように当時から日本には和があった」と言います。
しかし私は
聖徳太子の時代の前後ずっと政界は乱れており、これを引き締めるために「和を以て貴しとなす」としたにちがいない、とみています。
この時代の蘇我稲目~馬子や、その後の大化の改新のきっかけとなった乙巳の変(おっしのへん 645)により天皇を凌ごうとする勢いがあった蘇我氏を滅亡(入鹿の暗殺など)させたことなどから、当時の日本には「和」が存在しなかったとするのが妥当でしょう。
いつの時代でも、「その時代に不足している事」が大きく取りあげられるもので、普通はその時代に満ちあふれているようなことを言うはずがありません。
同じように古代中国でも
世の中は乱れに乱れ、その乱れに乗じた(徳がなかった)人が出世をするもので、下野した人たちが「自分たちにさえなかった道徳や仁や善」なるものを強調しました。古代中国では「道徳や仁や善」が存在しなかったため強調され書物に残ったのです。
中国では、『書物には立派なことが書いてあるけれども、実際の世の中では最悪の状態が続いている』のです。
柏楊も言いました。
仁義と道徳を説くことにかけては、中国人は世界一だ。しかし、いったん自分の利害にかかわることになると、そんなものはみんなどこかへ消し飛んでしまう。:柏楊「醜い中国人」
朝鮮半島が
中国共産党の「見栄」をそっくり真似ていて、最悪の状態が1000年以上続いているところなど今もなんら変わるところがありません。
中国の思想書。10巻。隋の王通(おうとう)が門人と行った対話を、門人が「論語」にならって編集したといわれる。儒・仏・道の三教の一致と、中道による王道の実現を説く。文中子(ぶんちゅうし)。
さてさて、皆様はどう思われますか。