カンムリワシ、ワシは名ばかり、言うばかり

20年前探せばカンムリワシがいて、10年前そこにはカラスがいて、いま両方ともいません。よって最近ではそれ以外の話題に。

一神教と多神教

2018年03月23日 08時24分27秒 | 生き方

日本にも、一神教を信じることにしている人が、いるでしょう。

一般に宗教は、他教を邪教と決めつけるものですから、どこがいいとかは、一言ではまとめられません。

中には、死んでからの幸福を願うという名目で、生きているうちに多額のお布施をするように仕向けるところもあるので、貯め込んだ小金を狙われている人はご注意ください。

ところで各国に諺があり

中には「それはないよ」と思わせるものもあり、「お国柄があらわれている」ようです。

私が日頃から考えているのは、次のようなことです。

日本人ならば、なんでもないことですが

日本では、1人の人が、対立する内容の2つを両方とも理解しているようです。いずれどちらかになるであろうとしても、どちらが大切かは、現在のところ大した問題ではないのです。

しかし多くの国では「一方が正しく他方は間違っている」ようで、特に全体主義国家では、相反する諺が同時に世間に衆知されていることがないのです。それはそうでしょう、全体主義を否定するようなことは許されないのですから。

日本では、民主主義を否定しても、放置されます(笑)。

確かに

異なる意見の異なる人が存在する社会

も大切ですが

異なる意見を1人が同時にもてる社会

これも大切ですね。

異なる意見をもつ人が多数いる世の中が健全なのか

ある人の中で異なる意見が内在するのが健全なのか

さてさて、皆様はどう思われますか。


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