「信用します」と言われたら、普通は、悪い気がしません・・・・・・
しかし、もしも
- 中国・ロシア・北朝鮮・韓国から「信用できる」と言われたら・・・・・・複雑な気がしますが、あなたはどうですか(笑)。
- 人によってはこの4国の誰かから「信頼できる」と言われたら「吉」なんでしょうが、これらすべて多様性がない国ですから、はまればいいのですが、普通は「違和感」をもつものでしょう。
あり得ないことかも知れませんが、まったく信用できない人から「信用できる」と言われるのは、痛し痒し(いたしかゆし)というところですね(笑)。
人の受取り方はそれぞれであり、互いの利益関係もあって、なかなか難しいもの。ある人から大いに誉められた場合・・・・・・
そのある人が、普段から「自分の事を快く思ってなかった」場合
- これは罠(わな)かなと思って信用しなかった
- 運命が好転したのかなと思ってすっかり信用した
そのある人が、普段から自分も「いい人だ」と思っていた場合
- 何の疑問もなく、信用して言う通りにした
- 少し疑わしいところも感じたので、そこそこに信用することにした
一体どれがいいのか、日常生活でもしばしばおこることですが、難しい問題ですね。
どちらのほうが良かったか、というのは結果論かも知れませんが、
「信用しなかったので、重要なチャンスを逸したのか」
「全面的に信用して涙を流すことになるのか」
国際関係も同じでしょうか。
その国の歴史・言語・社会に詳しいから正しい判断ができる、わけでもありませんが、大きく間違った判断を下す心配はないのかも。
日常の対人関係も同じ。
その人を詳しいから正しい判断ができるとも言えません。これが難しい。
要は「妙な計算をせずに、正々堂々と歩めばいい」のでしょうが、その通りにいかないのが、難しいところでしょうか。
「信頼性・信用」は大切なんですが、これを利用して「のさばる」人もいるので、ご注意を!
さてさて、皆様はどう思われますか。