カンムリワシ、ワシは名ばかり、言うばかり

20年前探せばカンムリワシがいて、10年前そこにはカラスがいて、いま両方ともいません。よって最近ではそれ以外の話題に。

「信用された」けれども

2017年04月14日 05時04分17秒 | 生き方

信用します」と言われたら、普通は、悪い気がしません・・・・・・

しかし、もしも

  • 中国・ロシア・北朝鮮・韓国から「信用できる」と言われたら・・・・・・複雑な気がしますが、あなたはどうですか(笑)。
  • 人によってはこの4国の誰かから「信頼できる」と言われたら「吉」なんでしょうが、これらすべて多様性がない国ですから、はまればいいのですが、普通は「違和感」をもつものでしょう。

あり得ないことかも知れませんが、まったく信用できない人から「信用できる」と言われるのは、痛し痒し(いたしかゆし)というところですね(笑)。


人の受取り方はそれぞれであり、互いの利益関係もあって、なかなか難しいもの。ある人から大いに誉められた場合・・・・・・

そのある人が、普段から「自分の事を快く思ってなかった」場合

    • これは罠(わな)かなと思って信用しなかった
    • 運命が好転したのかなと思ってすっかり信用した

そのある人が、普段から自分も「いい人だ」と思っていた場合

    • 何の疑問もなく、信用して言う通りにした
    • 少し疑わしいところも感じたので、そこそこに信用することにした

一体どれがいいのか、日常生活でもしばしばおこることですが、難しい問題ですね。

どちらのほうが良かったか、というのは結果論かも知れませんが、

信用しなかったので、重要なチャンスを逸したのか」

「全面的に信用して涙を流すことになるのか」

国際関係も同じでしょうか。

その国の歴史・言語・社会に詳しいから正しい判断ができる、わけでもありませんが、大きく間違った判断を下す心配はないのかも。

日常の対人関係も同じ。

その人を詳しいから正しい判断ができるとも言えません。これが難しい。

要は「妙な計算をせずに、正々堂々と歩めばいい」のでしょうが、その通りにいかないのが、難しいところでしょうか。 


「信頼性・信用」は大切なんですが、これを利用して「のさばる」人もいるので、ご注意を!

のさばるその1 その2 その3 その4 その5

さてさて、皆様はどう思われますか。