カンムリワシ、ワシは名ばかり、言うばかり

20年前探せばカンムリワシがいて、10年前そこにはカラスがいて、いま両方ともいません。よって最近ではそれ以外の話題に。

明日(あす・あした)とは?

2015年10月03日 08時57分15秒 | 生き方

「昨日・今日・明日」というイタリア映画がありましたが、どんなものにも「何らかの意義があるはずだ」と考える日本人ですから、きっと何かを見つけたのでしょうね。

さてさて今回、皆様は「明日(あす)」に何を見つけるのか、というテーマです。 


  • 明けぬ夜はない

と言いますが、一方で

明日も咲くと信じていても、夜中に風が吹いて散ってしまうかも知れない桜のはかなさですが、一般論でもあります。

と言いますが、一方で

  • 一夜寝て あす冷静に 考えよ

とも言います。拾遺和歌集(詠み人知らず)には次も見られます・・・・ 

一夜寝て憂しとらこそは思ひけめ 浮き名立つ身ぞ侘しかりける
ひと夜寝てウシトラこそは思いけめ き名タツミぞわびしかりける

一晩泊まっただけで嫌われ、しかもうわさが広まるのもつらいのぉ~

十二支の最初の6個が折り句になっていて、いとをかし!

という達観もあれば

  • 明日(あした)は明日(あした)の風が吹く

と悩みを笑い飛ばし

とのことですが、はかないもので世界一は

  • 今日京都 明日か明後日(あすかあさって) 奈良明日香(飛鳥:あすか
かも知れません(笑)。そういえば伊豆大島などで見られる「あした葉(あしたば)」

セリ科の野菜で、ちょっとニガ味がありますが、切っても切っても明日になればもう生えている溢れんばかりの生命力が畏敬され「あした葉」と呼ばれています。

明日しらぬ 我が身と思へど 暮れぬ間の

今日は人こそ 悲しかりけれ紀貫之:古今和歌集)


今日と明日
  • 今日できる事を明日に延ばし、成功/失敗する
  • 明日予定の事を今日し終えて、成功/失敗する
昨日と今日とあしたのとらえ方に、ささやかながら、いろいろあり、当たってくだけろなのか、天命なのか、あとで楽をしたいのか、「無理するな」がいいのか、どれもすべて運命(宿命)なのか、私にはわかりません(笑)。
 
おおいに悩むのがよろしいようで!
 

PC保存のほうが便利か?

2015年10月03日 08時30分33秒 | 科学技術

しばしば耳にする言葉が

紙に書いて保存  PCに入力保存

というものですが・・・・・・ほんとうでしょうか。

結論として私は、「使い分けが必要」だと思っています。

では「紙に書いて保存」と「PCへ入力保存」の比較を始めましょうか。


毎日とまでは言えなくても

人には、自分だけの重要なできごとやら、一般的な社会や世界のできごとを、記録しておきたいと思うことがあります。これが日記ですね。とにかく継続することが大切です。

自分の記憶力に自信をもっている人や筆無精だと思っている人なら過小に評価するかも知れませんが、人の記憶は怪しいもので、記録しておいた方がよかった、と後悔することが多いのです。

さてその方法として大きくわけて、PCへ入力・紙に書いて保管、の2つがありますね。

PCへ入力して保存

すでに書いた内容を、すぐに読み返せるという利点がある、とされます。たしかに紙に書くと

  • かさばる
  • 保管場所に困る
  • 定期的に「日記」を購入しなければならない

ということで、PC保存のほうが、紙の日記よりマシにみえてきます。

PCで日記を書く方法にはいろいろあるでしょうが、大きく2つにわけるならば

    1. パスワード設定が可能なエクセルで保存
    2. 検索が容易なエディタ(テキストファイル)で保存

があります。1は量としては少ないけれども重要なのでパスワード保護が必要、2は大量のデータを保管する時にパスワードなしで使い検索を重要視しています。

紙に書いて保存

こちらが従来のやり方です。とにかくその時々の身の回りのできごと・事件事故と自分たちとの接点、あるいは自分の考えなどを、記録して残しておくことは大切でしょう。

しかし残念なことですが、「あとになって読み返したとき「なぜそんな風に思ったのか」と疑問を感じることがあり、ほとんど価値がなさそうな記述に唖然とすることがあります。

ただし、それさえ貴重な記録なのでしょうが、単に「書きたい」という衝動に駆られただけとも言えます。そんな「がっかり記録」ならPC記録と何ら変りません

過去の自分の日記・文章からキーワードで検索する、となると紙に書いた日記では、まず不可能です。

書く日記の場合、年に1冊が普通ですが、1冊で5年や10年書き込めるものもあります。ただし似たような厚さと価格なら、長期間書き込める日記の場合「ある日に書ける字数が少なくなる」もの。小さい字で書けばいいではないかという人がいますが、そんなに器用に大きい字や小さい字で書き分けられるものではありません。

たくさん書きたいことがある日もあれば、何も書くことがない日もあるもの。これは不条理というものでした。

ただし複数年記録が可能な日記帳のいいところは、毎年の同じような時期に、同じような記述が見られることで、一見して欠点のようにも思われますが、安心して「これが毎年のことなのか」と新しい何かを発見するチャンスに恵まれます。この長短をどうとらえるか。

まとめ

書く字体からして当時の息づかいまで伝わってくるようで、PCにはない魅力があるのが「紙の日記」ですが、探せないことと機密性を欠く、という欠点もまたあり、「本音を書けるかどうか」にさえ疑問があり「後日、誰かに読まれてしまうことを前提に」書かねばならないのかも知れません。

PCの場合、検索技術さえあれば、自分が書いた過去の文章から好きなキーワードで探せる魅力がありますが、実はPC方式の保管場所にも、問題があります。

PCの保管方法について、新しい題名によってまとめてみました。

PCでメモを残す困難さについて

  • まず保存手続きについて

これは慣れたら卒業できることかも知れませんが、最初のうちは「上書き保存」で大失敗した人も多いことでしょう。

これを避けるために「名前を付けて保存」することを覚えるのですが、やたらとファイル名が増えてしまい、どこに何を書いたか忘れてしまうという失敗が生じ、規則正しいファイル名のつけかたにも統一性が欲しいものです。でないとあとで読み返せないのですから。

  • 保存場所について

狭いはずの自分のPCなのに、どこにどのファイルがあるか分らなくなて、お手上げになった経験がありませんか。

自分のPCを自由に操れる人はそう多くないもので、ハードディスクの記録容量が増えるほど、逆にこの悩みは増えるものです。

しかも、10年もするとOSのバージョンが変わってきて、今まで無料だったのに、ぼちぼち有料になりはじめます。

バージョンアップは可能ですが、新しいOSは処理速度が速い機種を想定して作られていることと、周辺装置や使うソフトの「古いOSへの対応がなくなってゆく」事態と安全性の問題を考慮しながら、新しく買い換えることを考え始めます。

このときに、日記ファイルの問題が出てきます。

どこにどういうファイル名で保存されているかを把握していないと、この買い換え時に継続して日記を書けません。ことの性質上、他人に頼むこともできず、しぶしぶ「新しく」日記を書き始めた人もいることでしょうし、邪魔臭さがいやになって日記を書くことそのものを「やめた」人もいるでしょうか。

  • 検索について

もしも幸運にも、新しいPCへ自分の日記ファイル(エクセル/テキスト)を移して、継続して日記を書き始めた人でも、次に待ち構えているのが「検索」技術の壁でした。

紙に書く時にはなかった「検索の利点」を知ったのはいいけれど、そして、たしかに古いPCから新しいPCへ日記ファイルを移せた(コピーできた)のはいいけれど、肝心の検索技術がなければ、紙と同じようにただ書くだけの喜びに終わってしまうのです。

パソコンができる前、汎用大型コンピュータ全盛時代に生まれたユニックスなどのミニコン誕生にまでさかのぼるのが、この検索技術で、現在では相当進歩し同じことがパソコンでもできるようになりました。

実用的な観点から一言でいえば、パソコンの最大の利点は、この検索、だとも言えます。

機械の処理速度が速ければ速いほど、そしてそれに対応しているエディタであれば、もうこの魅力からは逃れられませんね。

私個人の話になって恐縮ですが、60万行に渡るテキストファイルを、単に読むだけでも4~5秒、grep検索でも2~3秒かかってしまう時代となりましたが、もっといいエディタならば、もっと速く処理できることでしょう。

  • この「検索技術が日記を書くことに関連している」ことだと理解できている人の多くが、あまり日記とは縁のない人だとは、興味あることですね。ここでは具体的な検査技術を記す意図がありませんので、必要な方は、いろいろご自分で調べて下さい。

もしもEditorで2つ以上の検索キーワードを設定できなければ、2段階でgrepを使うか、またはいっそうのことAccessなどを使って多数のキーワードを自分で設定する方法もあるでしょう。1つのキーワードだけで充分だったのが、何かの理由で2つ以上の検索に目覚めた方には安直な方法かも知れません。

  • 停電の問題、これはけっこう大切な今後の問題

こんなに便利なPCですが、停電してしまうともうお手上げです。ものによっては少しの時間なら電池で動きますが、ルーターなどが動かないとインターネット接続もできず、インターネットに頼っている記述方式だと、もう何もできないでしょう。

こういうときに必要なのが、自家発電か、または暫しの間使える蓄電機能。ただし商売でもやっているなら別ですが、普通の人の場合、これから蓄電機能が問題になってきます。

インターネット接続などPC機能のほんの一部のはずなのに、重要なことがらをインターネット接続から得る毎日を続けていると、そうでもなくなります。現代人は、想定しなかった「停電」のことをもっと真剣に考えなければならないようです。

地震などで停電してしまうと、一番情報が必要な地元の停電地帯の人がテレビを視聴できません。テレビの薄さ競争とか解像度競争などは止めて、蓄電機能を競ってもらいたいと、私はずっと主張してきました。

これからの時代に目指すべきなのは、PC・ルーター・テレビ・冷蔵庫・照明など、短期間でいいから家屋全体に、いくらかの蓄電機能を持たせる「革命」でしょう。 

短期のメモでも言えます。

冷蔵庫のドアにメモを書いておく

壁かカレンダか、どこかにメモを貼っておく

これらについて言えることは

  • その人にとってそれがどれだけ重要か
  • その人のPC技量

によって、PCで書いて印刷して貼っておくのがいいか、ちょっと手書きメモする程度でいいか、が決ってきます。

それぞれの人が用途に応じて使い分けたほうがいい、という私の主張でした。

もし今回、不足を感じたら、ご自分で調べていただきたいと「丸投げ」して、今回の記事を終えたいと思います。


沖縄の醜聞 10 翁長の訪中と訪米

2015年10月03日 00時30分36秒 | アジア

うっかりしていると見逃してしまう醜聞や「自分と異なる意見を醜聞とする」醜聞。

日本にも看過できない醜聞がありそうですよ。今回は「沖縄の醜聞」です。


沖縄・翁長知事、中国で尖閣に触れなかったのは「時間なかったから… 

沖縄県の翁長雄志(おなが・たけし)知事は20日、東京都内の日本記者クラブで会見し、4月に中国・北京で李克強首相と会談した際、尖閣諸島(同県石垣市)の問題に触れなかったことについて「私の持ち時間は10分。経済交流などの話だけで終わった」と説明した。 

 司会者から「次に会ったら懸念を伝えるか」と問われると、翁長氏は、米中枢同時テロの際に沖縄の観光客が激減したことを紹介しながら「石垣観光は大変順調だが、いざこざがあれば落ち込む心配がある。平和的に問題を解決できないかという思いがある」と答えるにとどめた。

 翁長氏は日本国際貿易促進協会(会長・河野洋平元衆院議長)に同行して訪中した。 

産経ニュース 2015.5.20 18:26更新 


 訪中の沖縄知事、振る舞い慎重 「中国寄り」批判警戒か 

日本国際貿易促進協会(会長=河野洋平・元衆院議長)訪中団の一員として北京を訪問中の翁長雄志・沖縄県知事が、慎重に言葉を選ぶなど終始緊張した面もちだ。米軍普天間飛行場移設問題で国と対立し、メディアの注目を浴びる中での初訪中とあって、「中国寄り」といった批判を招くことがないよう警戒している面もあるようだ。 

 「沖縄の知事は中国でも注目されています」 

 14日午前、国貿促などが主催した日中企業家協力会議の初会合。日中の企業家ら約140人を前に中国側司会者がこう紹介すると、翁長氏は遠慮がちに下を向いた。中国側は河野氏と木寺昌人駐中国大使の他でただ一人、翁長氏にも記念品の書を贈呈する配慮を見せたが、翁長氏が会議で発言することはなかった。記者とのやりとりでも基地問題に関する言及はなかった。 

 同行筋によると、翁長氏は訪中にあたり、基地問題について一切言及しないと周囲に伝えていたという。日中関係筋は「経済交流の目的に水を差さないよう、知事も中国側も慎重に対応している」と指摘する。(北京=倉重奈苗) 

朝日新聞デジタル 2015年4月14日 


産経新聞は

翁長が「有事の石垣島への観光客激減を心配」するだけで、せっかく訪中したのに、中国の最近の横暴はもちろんのこと、尖閣の問題や基地問題などには当然のことながら触れなかった、とします。

朝日新聞は

翁長が、中国寄りだと批判されること警戒して黙っていること、遠慮がちに下を向いた、訪中で基地について発言しなかった、と報道しています。

翁長はこの訪中のあと、6月に訪米しました。

ここが肝心なところで

沖縄の基地問題が中国・北朝鮮の横暴に関連するはずなのに

  • 訪中時には沖縄県知事である翁長は何も言えず、頭をなでられて帰ってきただけで、「有事に石垣島への観光客が減ると大変」としか言えないのに、
  • 訪米時には基地反対を発言するも、ほとんど無視されて帰ってきました。

翁長は

訪米には意義があったとしますが、訪中に意義があったとは言っておりません。

一般に、おおくの人が「意義がない」と思っている場合には「意義があった」としなければならず、おおくの人が「意義があった」と思っている場合には、わざわざ「意義があった」という必要がありません。

さらに翁長は、国連演説で「人権」を持ち出してきました。

「国にはそれぞれの歴史がある」として中国が「人権弾圧を正当化」していますが、翁長はその中国に対して、まったく何も言わない(言えない)まま、国連では沖縄人が人権をないがしろにされている、と訴えています。

私としては、なんとか沖縄知事の主張に賛同したいところですが、

このような親中・反米姿勢で、一党独裁の弾圧中国には何も言えないのに、言論の自由があるとされるアメリカには基地反対を述べるという、臭~い瀬戸際外交に、懸念をもっております。〔臭いものにふたを!〕

もしも「沖縄の人権弾圧」を述べるならば、「中国の人権弾圧」にも触れなければなりません。

翁長の側近たちは、「人権」をもち出せばアメリカで受け入れられると勘違いしているようです。

那覇市長ならばやむを得ないとしても、沖縄県知事としては、残念ですが「失格」ですね。資格がありません。

翁長がこんなことを言い始めると

  • 中国の人権弾圧を黙認して、沖縄の人権保護を叫ぶ二枚舌と受け取られるでしょう。やや違いますが「指定暴力団が、自分たちの人権が損なわれている」と訴えるのを想像してしまいます。
  • イスラエルの核開発を黙認しながら、北朝鮮やイランの核疑惑を叫ぶユダヤべったりの一部アメリカ人そっくりですね。

そのアメリカが今、イスラエルと最悪の関係に陥っているとは、翁長は夢にも思わないことでしょう(笑)。

また

沖縄の基地問題は人権問題である、と名護市長の稲嶺が都内の講演で述べた

とテレビ報道されています。:2015/09/27 NHK総合

翁長県知事と稲嶺名護市長は、基地反対を唱えながら、中国の人権無視について語る資格を失ってしまった、と言えます。

翁長は、知事に就任して1年になろうとしていますが

残念なことながら、日本人の多くを味方に付けたとは言えず、むしろ中国共産党からの印象を良くしようとするあまり、アメリカからの印象を悪くしたようです。

一言でいえば「失政」でしたが、沖縄の一部の人たちは「失政」とは見ず、「よくやった」とすることでしょう。

この認識の乖離をどう理解するかですね。

絶対に、中国の横暴に触れない、絶対に曲らないその翁長の姿勢は、沖縄の各地三叉路にみられる「石敢當(いしがんとう)」に吸収される魔物そのものですね(笑)。

琉球民族は、その地政学的な経験を通して

  • 左右に曲ることができる賢者をよしとし
  • 考えることができず、「こうあるべきだ」と真っ直ぐに進むしか能のない人のことを魔物になぞらえ、これを石敢當で吸収する〔魔物は中国人や朝鮮人をも指しています。〕

という言い伝えを、こしらえ、そして今でも各地に残しているのでしょう。それが正しいかどうかは別として・・・・