「絶頂」について賢者たちがどう考えたか、について耳を傾けてみましょうか。
34~35才:この年頃は、一生のうちのもっとも華やかな絶頂である。:P.107 世阿弥「風姿花伝」・日本の名著「世阿弥」 中央公論社
世阿弥(ぜあみ 1363-1443)が言う通り、女性なら20~30歳、男性なら30~40歳頃が、最も充実した時期であろう事に、賛成します。ただしその頃が、一番悩み深き時期、でもありますね。
そして悩みが多く、かつ「この幸せが永遠に続く、と錯覚」するのも、またこの時期特有の傾向でしょうか。
もう一つの出典をあげておきます。
三十四五
このころの能、盛りの極めなり。ここにて、この条々を究めさとりて、堪能になれば、さだめて天下に許され、名望を得べし。もし、この時分に、天下の許されも不足に、名望も思ふほどなくば、いかなる上手なりとも、いまだ真の花を究めぬしてと知るべし。もし究めずば、四十より能は下るべし。これ後の証拠となるべし。さるほどに、上るは三十四五までのころ、下るは四十以来なり。かへすがへす、このころ天下の許されを得ずば、能を究めたるとは思ふべからず。ここにてなほつつしむべし。このころは、過ぎし方をもおぼえ、また、行く先のてだてをもおぼゆる時分なり。このころ究めずば、こののち天下の許されを得んこと、かへすがへすかたかるべし。:花伝書「風姿花伝」
東京の寄席は相互で協定を結び、放送に出演する芸人をボイコットすることに決定した。そんななか、人気絶頂の金語楼は敢然とNHKに出演した。寄席経営者は金語楼の各寄席への出演を禁ずるだけでなく、抜け駆けを禁ずるために、金語楼を出演させた寄席への罰則(罰金)をも決定していった。ラジオと寄席への対立から、金語楼一門は上がる寄席を失い、単独で興行を打つことを余儀なくされた。:Wikipedia
当時の寄席経営者は、始まったラジオ局に対し、既得権を奪われると考え敵意をもっていたようですね。
よってNHKへ出演した柳家金語楼の寄席出演を禁止することになりましたが、いいかどうかは別として、絶頂期の柳家金語楼がそう決断したことが、大切なことでした。
現代の江戸落語界が解決しなければならないのは、
- 落語会が分裂したままであること
- 寄席界の再編成問題
でしょう。
- 落語界を統一し寄席界を再編した時の利点を数多く指摘できる人が出て来るまでの、悲しい分裂時代と言えます。
- 商売だけにしか目がない人たちは、現状維維持しか考えないものです。儒教精神を妙に解釈し、「改善」「現状変更」をひたすら避けようとする人たちのことです。要するに広い視野がない。
1993年6月18日、宮沢喜一首相が衆院を解散した。政変の主役は小沢だった。政治改革に消極的な自民党を飛び出して新党を結成、権謀術数を駆使して非自民・細川政権を作った。「小沢神話」の絶頂期だ。
風知草:手紙の波紋=山田孝男 毎日新聞 2012年06月18日 東京朝刊
その後、小沢は、様々な問題を起こし、結局そのころが絶頂期だったことを知るのでした。
下りの実感によって初めて直前の絶頂期を認識できる、これが人間の宿命でしょうか。
頼朝が関東に挙兵した年であった。そしてこの年の末、東大寺・輿福寺は平重衡に襲われて灰燻に帰したのである。源平の内乱とともにめまぐるしく変わる政局の中で、慈円の兄たちはそれぞれ諸勢力と結んでは離れて宮廷社会の政争をくりかえしていた。
その中で兼実は頼朝と結んで対処して行く方針をとり、徐々にその立場を固めていった。慈用はこのころに道快という名を慈円と改め、兼実としっかり結びついて九条家のために種々の祈頑を行なっている。そうするうちに、文治2年(1186)、平家滅亡の翌年に兼実は頼朝の支持によって摂政となり、九条家は京都政界の中心になったのである。
やがて、建久元年(1190)、兼実の娘任子が後鳥羽天皇の女御として入内し、幕府草創以来はじめて頼朝が京都のすべての人々の注視の中で上洛したころが、兼実の絶頂の時代であった。
慈円は30代に入るとともに僧界でもしだいに重んぜられるようになって、諸寺の重要な役につくようになった。そして、建久3年(1192)、38歳で天台座主の地位に昇ったのである。僧侶としての栄達はここできわめられた。:P.92-93 大隈和雄「愚管抄を読む」講談社学術文庫
九条兼実〔くじょうかねざね 1149-1207〕と同母弟だった慈円〔じえん 1155-1225〕の絶頂期のころで、800年も前の話ですね!
腐敗平氏の末期的状態の中で、何らかの理由があり源頼朝を利用してのし上がったのでしょう。
たしかに慈円は立派な人だったのでしょうが、鎌倉幕府が3代という短い政権に終わったのと歩調を合わせるかのように、兼実もはかない頂点を終えました。
やはり腐敗平氏を倒したのもまた腐敗源氏に過ぎず、絶頂期は続かないのですね。
現代で言えば、腐敗自民党か、腐敗民主党か、はたまた、腐敗維新の党、腐敗公明党、腐敗日本共産党か(笑)。
中国の不動産市場はバブル状態、中産階級の破産が拡大へ―米誌
2011年2月8日、米誌アトランティック(The Atlantic)は、中国の不動産市場は現在バブルの状態にあり、インフレや金利の上昇が不動産市場にすべての資金を投入している中産階級の破産を招く可能性があると指摘した。10日付で環球網が伝えた。以下はその内容。
中国のGDPに占める住宅投資の割合は、2000年の2%から今年は6%に達すると予想されている。この数値がカギと見られるのは、米国の不動産市場がバブルの絶頂だった時期のこの割合が6%だったからである。:〔中国の不動産業界〕
国によって仕組みがまったく異なるため、
アメリカが発表する経済数値と分析結果が、そのまま中国に当てはまるかどうかは分りません。しかも独裁国家である中国が公表する経済数値には、矛盾があふれていて、数値を操作しているという証拠さえ、いくつもあるらしい。
しかし偽装満載の中国社会とはいえ
数値操作も是認した上で、発表する捏造数値にさえ中国共産党特有の何らかの意味が込められている、と考えることもできます。
場合によっては、巧みな偽装で有名な中国共産党ですが、そこまで頭が回らなかった可能性もあるからです。
偽装すればするほど、想定外のことが勃発し、さらに偽装しなければ偽装がばれてしまう、という自己矛盾に陥ります。
なにしろ文化大革命〔1966-1967〕で漢民族の中国共産党幹部が同じ漢民族の優秀な人たちを一説では3000万~8000万人〔1000万人説も〕を粛正・処刑・死刑・殺りくしたため、今の中国共産党幹部はその残りカスの子孫が占めている?とも言えるからでした(笑)。
とはいえ言論を封殺しているので、不利益になることを公表できるはずがない中国ですから、アメリカのように大々的な経済不況という形ではなく、一部の資産家のみへ責任転嫁できるよう綿密に計画立案が進行していることでしょう。
悲惨な目に会うのは、いつの時代であれ、どこであっても、庶民なのでした。
(中国の)1993年の株式ブーム絶頂期には、旧漁村であったこの街のレストランでは派手な宴会が繰り広げられていた。日本の伊勢海老やノルウェーのサーモン、亀、フカヒレ、そして現在の価値で原価13万米ドル以上もする超特大アワビなどが供された。このような宴会の非常識な豪華絢欄振りに対し、中国の立法府である全国人民代表大会から叱責を受けたほどだ。これにより、珠洲は手に負えない無法地帯の新興都市という評判にお墨付きを得たのである。:P.59 アレクサンドラ・ハーニー「中国貧困絶望工場」日経BP社2008年12月15日第一刷
中国での賃金上昇(それも地域差がひどかったらしい)
にともなって暴力事件が多発し、治安・労働者の質・通貨の問題・法治国家としての不透明さなどもあり、その後、外国資本が中国から徐々に撤退し始めたのは御存知の通りです。いつまでも絶頂期が続かないという好見本ですね。
危機を感じた中国は
2015年度にはAIIBなる国際機関を主導して国の財政難を解消しようとしていますが、そもそも国際的な銀行運営ができる素地・土台・資格が中国にあるかどうか、が問題でした。日本が参加すべきかどうかの議論しかないようでは寂しい!
ただしヨーロッパのNATOでは
あの仮想敵国ロシアさえNATOの準加盟国扱い〔尤も名ばかりになってしまいましたが〕であり、取りあえず加盟しておこうという風土があるようですから、ヨーロッパ諸国が大挙してAIIBに参加表明している昨今の様子は、けっして珍しいとは言えないようです。
まとめるならば
- 好戦的なロシアがNATO準加盟国〔2002年〕
- 米オバマがノーベル平和賞受賞〔2009年〕
- EUがノーベル平和賞受賞〔2012年〕
が続いたため、ロシアは「無謀なことをしても欧米がこれ以上武力反撃しないだろう」と読んだ結果
ロシアがウクライナ領クリミア半島を武力併合〔2014年〕した
と言えます。ロシアとしてはNATO準加盟から12年が経過した頃のクリミア併合でしたが、それを巡ってロシアが多くの法治国家から制裁されていることは、これまたご存じの通りでした。
これは
もしもアメリカがAIIBに参加していたとしたら、中国はシナ海で武力行使をより一層活発化したであろう、
という予想をも連想させます。私たちは
(準)加盟とかノーベル平和賞とか対話を逆手にとる国がある
ことを理解しておきたいものです。
そうです
対話ムードを演出して、相手に「何かうまくいきそうな雰囲気だ」と思わせ、相手が反撃しにくい雰囲気をつくりだしたあとで、不可解で無謀な軍事行動に走るこのロシアの進め方は、北朝鮮労働党や中国共産党の手法にも、一脈相通ずるところがありますか。
欧米きっての中国通フェアバンク氏(中国名・費正清)も、冷静に中国を分析できる研究者の1人である。1991年、亡くなる直前に完成した遺著『新中国史』(CHINA a new history)は、真実の中国をついた貴重な1冊だ。
氏によれば、中国人は物事の考え方が処世のための権謀術数にとらわれており、主張はつねに建前論ばかりで具体的なことに乏しい。つまり、考えていることと言っていることがまったく違うという。本音を知るには、つねに腹の探りあいになるし、相手に自分の手のうちを悟られないようにお互いに真実はおくびにも出さない。
ポーカーフェイスもお得意であるため、相手の言葉や顔つきから本音を探ることも難しい。この体質は、数千年にわたって培われたものであり、1個人から組織にまで共通している特徴だ。
中国専門家、中国ウォッチャー、中国関係者と呼ばれる人々は、厚顔でなければ務まらないとよくいわれている。なぜなら、それまで人気絶頂だった人物が、一夜にして逮捕されこれまでの不正がすべて暴かれるケースが、中国ではよく起こるからだ。
専門家たちも、その動きに合わせて前回言ったことを、素知らぬ顔で否定しなければならない。中国のメディアで持ち上げられている人物が、じつは詐欺師で逮捕されたということもある。:P.175-179 黄文雄「日本人が知らない中国人の本性」徳間文庫 2007年11月5日 2版
どこの国でも
政治家をたたけば必ず埃(ほこり)がでる、つまり調べたら必ず暗部が表面化する、
と言われていますが、
中国の場合、その社会の仕組み上、「政治家だけではなく、中国人全員が詐欺師でなければ生きていけない」
事情があるのでした。
こんなのが国外へでると、国内では決して表面化しなかったことであっても、忽ちにして恥部が表面化します。
はかない絶頂期に「詐欺でもいいから利益を目指して奔走する」中国人が、こうして誕生したのでした。
株価の上下変動でも、人生の好不調でも、一番いいときはあとでわかるもの。言い替えると
頂上を越えて下がってからでないと「ああ、あれが絶頂期だったのか」を認識できない
ものなのでしょう。