②日韓基本条約50年目の真実~韓国に助け舟は出してはならない!
2015年06月24日 公開
拳骨拓史(作家)
日韓交渉が軌道に乗り始めたのは、安保闘争によって岸信介内閣が退陣し、池田勇人内閣が誕生した1960年10月の第五次日韓会談からである。
だが池田は当初、日韓問題については積極的ではなかった。
彼を前向きにさせたのは、米国のケネディ大統領からの説得であった。
池田内閣の影の官房長官と呼ばれる伊藤昌哉は
「『池田さん、あんたに頼みがある。日韓だ。
韓国の問題は日本が中心になってまとめなければ、
どうしてもまとまらないという決定的なキー・カントリーだ、日本が。
それをあんたにやってもらいたいと思う』とケネディが頼むんだよ、池田に」と当時を回想している。
韓国では李承晩政権が崩壊。
野党の民主党が政権を樹立し、
ユンボソンを大統領、張勉を国務総理とした「第二共和国」が誕生した。
当時の韓国は農工生産も日本統治時代以下の水準となり、
毎年1000万世帯の農民が深刻な食糧不足に困窮。
約700万人の失業・半失業者が恒常化しており、
北朝鮮やフィリピン等より貧しい状況であった。
このとき、北朝鮮からは金日成によって朝鮮統一提案が韓国に行なわれている。
当時の北朝鮮は経済発展が目覚ましいとされ、
韓国では朝鮮統一の機運が急速に高まりつつあった。
張勉は日本からの支援を求めるため、
李承晩からの政策である反日を外し、日本へと接近。
日本もまた韓国の赤化を止めるため、協議を再開させる必要があったのである。
しかしこの協議も1961年5月には「反共を国是の第一義とし、
今日までの形式的口合に終わった反共態勢を再整備、
強化する」ことを革命公約に謳った朴正熙少将を中心としたクーデターによって中断することになる。
朴大統領も日本やアメリカと同様に日韓会談に積極的であり、日本から資金を引き出し、経済危機を乗り越えようとしていた。
日米韓3カ国にとって、日韓提携は韓国経済の発展のみならず北朝鮮への対抗としても望ましい選択だと考えられたのである。
領土問題や歴史問題などは、
1965年1月に日本の国務大臣河野一郎と丁一権国務総理のあいだで「解決しなければならないものとして解決したものと見做す」という
「丁・河野密約」(竹島密約)により棚上げされ、
日韓交渉の最大の焦点は請求権問題となった(ただし、竹島密約は韓国側が主張しているものであり、日本政府は存在を否定している)。
賠償請求の金額については両者の溝は大きく、韓国側は8億ドルもの賠償金を要求するのに対し、日本側は8000万ドルであった。
両者の主張が平行線をたどるなか、
大平正芳外務大臣(のちの首相)は「経済協力」によって請求権を肩代わりすることを思い付く。
大平の構想は純粋請求権、無償供与、長期借款の三本柱で約3億ドルとする総額方式をとり、
外貨ではなく役務や資本財を充てるものであった。
大平は金鍾泌中央情報部長と会談し、無償3億ドル、有償2億ドル、民間借款1億ドル以上という条件で日本が韓国に対し経済協力をすることで合意した。
「金・大平メモ」である。
この結果、日本は韓国と「日韓請求権並びに経済協力協定」を結んだ。
本協定によって日本は韓国に対し3億ドルを無償で支払い、2億ドルを低利融資することを定めた。
このほかにも3億ドル以上が民間借款として低利融資されている。
1965年当時、日本の一般会計予算は3兆7000億円であり、韓国の国家予算は3.5億ドルであった。
無償供与だけで韓国の国家予算に匹敵する巨額の賠償金が支払われたのである。
マスコミなどはあまり取り上げないが、日韓交渉の際には、韓国に残してきた日本人の財産に対する請求権の放棄も行なわれている。
日本が韓国に残してきた財産は、GHQの調査によると53億ドルにのぼっている。
日本はこの53億ドルもの請求権を放棄し、加えてこれだけの賠償金を支払うことを決断したのである。
1963年2月14日の参院予算委員会において、日本社会党の戸叶武は大平に対し、
「日本人の国民感情ということをもう少し日本の外務大臣だから知っておくことが必要だと思う。
(中略)韓国に行ってから、あの大風呂敷の大野副総裁ですら、
大平というやつはとんでもねえことをしちゃって」と発言し、
対韓妥協について日本国民の感情に配慮すべきではないかと質問したように、
当初の対韓妥結金額が8000万ドルであったことを思えば、
日本の国民感情と乖離し韓国側の主張をほぼ呑んだ形で賠償金問題は片付いたのである(池田も大平が勝手に金額を締結したことに激怒し、その後両者の関係は悪化していく)。
だがこれほどの巨額の賠償金を韓国政府は個人にはほとんど支給せず、
韓国の経済基盤を整備するために使用した。
韓国政府はこのことを長く隠していたが、2009年に徴用工の未払い賃金も含まれていたと公式に弁明している。
韓国は日本からの多額の資金を元にして「漢江の奇跡」と呼ばれる経済発展を遂げて現在に至っている。
「竹島密約はなかった」金鍾泌元首相の証言
日韓国交回復交渉の最大の焦点は、戦後賠償であり、
これは「金・大平メモ」により決着がついた。
その意味においても、先の金鍾泌元首相の「笑而不答」には興味深い内容がいくつか含まれているのでご紹介したい。
1つは先述した「竹島密約」はデマであることを認めた点である。
金曰く、「(河野一郎は竹島に対して)『この問題は叫ぶ事案ではない。
解決できない問題だからそれだけ言っても仕方ない』と話した言葉を、
丁一権首相が国内に伝えた。
その話が膨らんで『竹島密約』やこれに対する合意文書があるというような話に膨らんだデマにすぎない」と述べている。
日本政府も竹島密約を否定しているので、金の証言は信憑性がある。
2つには、2005年8月26日に韓国外交部が公開した「金・大平メモ」は偽物であることを指摘した点である。
外交部が公開したメモは、156件、3万5354ページにも及ぶものであり、
日本と合意した「無償3億ドル、有償2億ドル、民間借款1億ドル以上」を提供する経済協力方式で合意したことが含まれているが、
金が言うには「そのとき使用した紙は、大平執務室にあった手のひらほどの大きさのメモ用紙一枚で、その内容も非常に簡単で3、4行にすぎなかった。
字体も私の手書きではない。
私はハングルと漢字を混用して作成した」と述べており、
大平が作成したものではないかという問いに対しても、
「大平も一枚のメモ用紙に記載された同じ内容を記録した。
私たちは、各自が書いたメモを相互に比較して、
確認した。会談のなかで彼が書いたものではない」と明確に否定している。
その上で、
原本は「渡したメモは長官を介して外務省に伝達されたり、保存する過程で失われたのではないか」と推測している。
3つ目に金鍾泌元首相といえば、
日韓国交回復交渉のとき、「正常化交渉の邪魔になるならば、竹島を爆破してしまえ」と発言したことが有名だが、
それについては「金・大平メモ」作成時、
大平から竹島問題を持ち出され、
「国際司法裁判所に提訴する」と言われたため、
「好きにしろ。私たちは決して、
国際司法裁判に応じないだろう」「独島は私たちが実効支配している。
独島を爆破したとしても、あなたに与えることはできない」と述べたのが、誤って広まったものだと述べている。
金元首相が述べる明らかなウソ
金鍾泌元首相の証言は見るべき点も多いが、
一方で明らかな虚言が交ざっている。
慰安婦問題に関する発言がそれである。
「朝鮮人慰安婦」問題は、歴史的に重要な問題として韓日会談で取り上げられていなかった。
1951年から65年までの14年間の会談で慰安婦は一度も議題になったことがなかった。
62年11月、私は大平正芳外相と請求権交渉を繰り広げるも、この話は取り出さなかった。
この問題を知らなかったわけでもなく、
日本の過ちを上書きすることは意味もなかった。
それが私たちの社会の暗黙の雰囲気であった。
当時、慰安婦はひどい戦場を転々としながら、
人間以下の最低地獄に落ちながらも九死に一生を得て帰ってきた人びとである。
体も心も傷だらけの人だった。
彼らの年齢はまだ30代から40代前半であり若かった。
凄惨な苦労を経験したあと、やっと母国に戻って結婚をして子供を産んで家族を養っている。
彼らの過去の歴史と傷を取り出すのは二重・三重の苦痛を抱かせることだった。
韓国がいうように20万人もの女性が拉致され、慰安婦にされたというならば、
社会的な大問題であり議題に取り上げないはずはない。
慰安婦を問題として取り上げなかったのは、
金氏が述べるような慰安婦への配慮ではなく、韓国社会全体が彼女たちを売春婦だと見下していたからにほかならない。
2000年初頭に私が韓国に行ったとき、
韓国で有力な地位にある人から「慰安婦は日本統治時代は日本からカネを貰い、
戦後は韓国からカネを貰い、
また日本から賠償金を取ろうとする。
賤しい人たちだ」と直接話を聞いている。
しかし2年ほど前に再会したときには、「日本は慰安婦のお婆さんへ賠償すべきだ」と真逆のことを聞かされ、
韓国社会の潮流が変わってきたのだと肌身に感じさせられた。さらに金氏は、
「(慰安婦たちが)安心して平和にこの世を去ることができるようにして差し上げるべきである」
と述べるが、日本と韓国は日韓基本条約により、
韓国に対する莫大なる経済協力と韓国の日本に対する一切の請求権の完全かつ最終的な解決、
それらに基づく関係正常化を取り決めたはずである。
慰安婦たちに手を差し伸べるのは日本政府ではなく、韓国政府にほかならない。
2012年3月、民主党の野田佳彦内閣のとき、佐々江賢一郎外務次官が慰安婦問題について解決すべく三項目の案を提示している。
(1)日本の首相が公式謝罪をし
(2)慰安婦被害者に人道主義名目の賠償をし
(3)駐韓日本大使が慰安婦被害者を訪問して首相の謝罪文を読み、賠償金を渡す
という内容である。
結果的に第二項の人道主義名目の賠償を韓国が受諾しなかったため、暗礁に乗り上げ、その後、野田政権は退陣した。
仮にこの「佐々江案」が了承され実行された場合、
日韓のみならず、
賠償金を追加で欲しいと要請する国には、
たとえ「完全かつ最終的な解決」が明記されていたとしても、
日本政府は支払う義務を生じ、戦後賠償はすべてやり直しになる。
慰安婦問題は日韓だけの問題ではないことを肝に銘じる必要がある。
その上で日本は韓国に対し、歴史問題において一歩も退く必要はなく、
毅然と振る舞えば良い。
韓国は日本に資本財(企業が生産活動をするために必要な資材)を依存しており、日本がなければ経済は成り立たない。
本稿の最初に紹介した韓国国内をめぐる動きは、ここに端を発している。
一方で日本も「用日」という言葉を聞いてただイライラするのでは、戦略的思考であるとはいえない。
韓国が役に立つならば「用韓」して利用すれば良い。
国際社会は利用し、利用されるのが常であり、無償の愛など存在しないからだ。
そのためには、日本は韓国に対し、もっと冷淡にいくべきである。
日本が韓国に対し冷淡になっていけば、いずれ「用日」などとも言えず、日本に従わざるをえない「従日」へと変化していくであろう。
今年は大東亜戦争終戦70周年である。韓国が日本にすり寄ってくるいまこそ、安倍首相は大手を振って靖国神社に参拝すべきである。
日韓国交50周年が経ち、
日本と韓国の真の友好を願うならば、
日本は韓国に中途半端な手助けや助け舟は出してはならない。
それこそが、日韓友好の礎となると信じるのである。