②韓国における歴史歪曲の代価について - 鄭大均
「民族ナショナリズム」の国へ
「反共ナショナリズム」と「民族ナショナリズム」のせめぎあいは韓国の歴史であり、
それは大まかに親米・反北朝鮮の保守派と反米・親北朝鮮の進歩派のカテゴリーに重なるが、
長い間優位の立場にあったのは「反共ナショナリズム」の側である。
しかしこの時期にきて、変化が生じたのは何故なのか。
故田中明氏が言うように、1948年以後の韓国において、
「反共ナショナリズム」は「反共法」によって庇護されたイデオロギーであり、
それは北朝鮮に対する脅威の感覚が健在の時代には安泰であったが、
やがて北の脅威が減退すると、「反共ナショナリズム」は動員力を失ったということであろう。
80年代後半は韓国が豊かな国、強い国になった時期である。
民主化の過程で左翼解禁が進んだとき、その影響を受けた息子や娘たちの議論に対抗できる見解を親たちが準備していなかったという視点も重要であろう
(田中明『韓国はなぜ北朝鮮に弱いのか』晩聲社、2004年)。
93年大統領に就任した金泳三はその就任演説で、
「いかなる同盟国、思想、理念よりも民族が重要である」と述べて
「民族ナショナリズム」の国への転換の歌を歌った。
これは「民族ナショナリズム国家宣言」とでも言うべきスピーチであったが、
この政権の対北政策には実のところ矛盾が少なくない。
その意味で、本格的な民族ナショナリズムの国への転換がなされたのは、その後の金大中政権(1998~2003年)の時期と考えたほうがよい。
今日の韓国に見てとれる、「同じ民族」である北の否定性には寛大であれという態度を国民に刷り込んだのは、この政権とそれを継承する盧武鉉政権(2003~2008年)であった。
学校教科書に「日帝強占期(イルチェカンジョムギ)」を挿入させたのも金大中政権のときである。
その後の韓国に見てとれるのは、「民族ナショナリズム」という原初的感情に身を任せることを規範的とするような状況であるが、これは韓国にとって好ましいことなのだろうか。
二つの理由で否である。
第一に、原初的共同体を志向する「民族ナショナリズム」には、
「反共ナショナリズム」の時代に韓国人が維持してきたナショナリズムに対するある種の自己抑制の態度が欠けているからであり、
第二に、「民族ナショナリズム」の優勢は北朝鮮の国家犯罪や人権犯罪を幇助するからである。
とはいっても、筆者は「反共ナショナリズム」の時代の韓国を単純に称賛しているわけではない。
「反共ナショナリスト」の時代の韓国は軍人が跋扈する時代であり、
「反共ナショナリズム」の教育には、
一卵性双生児の片割れである北朝鮮を敵と思えと教えるような非道徳性があった。
それでも、「反共ナショナリズム」には、韓国人のナショナリズムにある種のハンデの感覚を与え、
その原初的感情が燃え盛ることを抑制することによって、
「新興国」として出発した韓国が、合理的で活力ある現代国家として成長することを可能にした功績があるのだということは記憶されてよい。
言い換えると、民族と国家を一致させようとする「民族ナショナリズム」には「新興国」をワナに陥れる危うさがある。
韓国ナショナリズムがその民族分断というハンデ故に「半人前国家」としての欲求不満を味わったことには同情するとしても、
韓国ナショナリズムはそれ故に原初的感情のフル稼働を断念せざるを得なかったのであり、それは韓国にとっては幸いなことであった。
加えて言えば、「民族ナショナリズム」の優位という状況は、「反共ナショナリズム」の時代に維持されていた「反共」と「反日」の均衡を切り崩すものでもあった。
「反共」には「反日」を抑制する機能があったのであり、
「反共」が後退すると、それは「反日」の活性化を生みだし、
日本との関係を葛藤多きものにすると同時に、この国を政治的に引き裂かれた国にしたのである。
韓国は長い間、反日を標榜しつつも、
活力ある現代国家建設のために日本をうまく利用してきた国であり、
それはこの国が二つの欲望間の均衡を維持する秘訣でもあった。
韓国は「反日的」という印象を与えながらも、
その発展や繁栄に必要なモノやヒトや技術を日本から旺盛に取り入れていたのであり、
それは「自尊の欲望」を抑止する力にもなっていたのである。
対日歴史戦の宣言
「日帝強占期」の呼称が金大中政権時に教科書に登場したことは先に記したが、より重要なのは2005年3月の盧武鉉大統領による対日歴史戦(対日外交戦争)の宣言であろう。
これは政府自らが反日を主導することを公言したもので、
大統領は「侵略と支配の歴史を正当化し、再び覇権主義を貫こうとする(日本の)意図をこれ以上放置することはできない」と述べ、
巨費を投じて東北アジア歴史財団を設置する一方、
「竹島」や「慰安婦」をテーマに日本非難の外交戦を始め、
それは現在の朴槿恵政権になって、より先鋭化している。
2000年代といえば、対日歴史戦の前年、
2004年3月に公布された「日帝強占下反民族行為真相糾明特別法」は近代法における「法の不遡及の禁止」の原則を簡単に放棄してみせた例であり、
2011年の元従軍慰安婦の個人請求権放棄が違憲という憲法裁判所判決、更には2013年以後に相次ぐ「強制徴用工」に対する賠償金支払い判決は、「恨(ハン)解き(プリ)」という原初的感覚を近代法に融合させ、またそれを国際条約に優先させた例である。
多くの新興国に見られるのは、多民族、多言語、多宗教という条件が人心の不一致を生み出し、それが「自尊の欲望」と「実用的欲望」間の乖離を生み出す要因になるという状況である。
ギアーツが言うように、「一人前の存在として認められたいという自己主張と、現代的で活力あるものとして存在したいという意志は、それぞれ別の方向へ進みがちであり、新興国の政治過程の多くは、それらを何とか同じ方向に向けておこうとする努力を中心に回転している」のである。
しかし韓国の場合は、その民族的同質性の故に人心の一致が生み出されやすく、それが反日という原初的紐帯の感覚の暴走を助けるのである。
同語反復の精神を
近年、戦時期の朝鮮人の被害者性にまつわる韓国からの批判が繰り返されているのは何故か。
その最も重要な要因は、彼らがかつては日本国民だったということを忘却しているという状況ではないかと筆者は考える。
今日の韓国には、学校で教えられた「日帝強占期」の「悪意」や「悪政」が博物館や記念館に展示され、
テレビで「再現」される過程で、ある種のリアリティを獲得するという状況があり、
それは韓国人がかつて日本帝国の一員であったという記憶が国民的に忘却されてゆくにつれて、
本質的な感情として語られるという状況がある。
日本人が彼らの戦争に我々韓国人を「慰安婦」や「徴用工」として狩り出したのはけしからんという自他認識がそれで、
それは国内的に有力な批判を受けることがないというだけではなく、
国際社会においても違和感なく受け入れられることが多い故に、歯止めがきかないのである。
このことに日本はどのように対処したらよいのだろうか。
何よりも、日本政府はこの時代の戦争に朝鮮人は日本帝国の一員として参加していたのだということを繰り返し語る必要がある。
戦時期には「内地人」も「朝鮮人」も戦争にかり出されていたのであり、従って、韓国人の被害者性を特権的に語る態度はおかしいのである。
同語反復を日本人は嫌うかもしれないが、それをしなかったら、韓国人が問題に気が付くことはないし、アメリカ人やその他の人々が韓国の議論のおかしさに気が付くこともない。
「慰安婦」という言葉を聞いたとき、アメリカ人が連想するのは日本人の戦争にかり出され、傷ついた朝鮮人女性のことであろう。
しかし戦場には、それ以上の数の日本人慰安婦がいたのであり、朝鮮人慰安婦は「内地人」のみならず「朝鮮人」をも相手にしていたのである。
しかしそうした議論を歴史戦のフロントにいる外務省の役人がきちんとやれるのかというと、そこには不安がある。
彼らは知的で洞察力ある人間たちであろうが、それだけで韓国人と互角に戦えるわけではない。
同じ秀才でも、韓国の役人たちには戦意の高さがあり、また日本との戦いは、国民やメディアによってバックアップされるとともに、人によっては、所属する教会の信徒たちの熱烈な祈祷に支えられている。
日本側は明らかに劣勢であり、韓国による日本いじめはこれからも続くだろう。
1965年の日韓基本条約とともに法的に解決済みとなっているはずの日韓請求権協定に対する見直しの議論も提起されるだろう。
「戦後補償」問題の原型は、70年代から80年代にかけて日本で議論されたことで、1984年全斗煥大統領が来日したときには、日本による朝鮮統治が過酷な帝国主義的支配であったことを認める「国会決議」をすべきという主張もあった。
それを推進した日本の勢力は健在であり、今、韓国の左派や市民運動と共闘して日本批判を実践しているのは彼らである。
日本には韓国の主張に連帯する「友」がいるのに対し、日本が隣国にそのような「友」をもつことができないのも苦しいところである。
それでも日本はいくつかのメッセージを韓国に伝える必要があると思う。
第一に、日本による朝鮮統治が韓国人に屈辱の感情を与えているのは事実だとしても、戦後の韓国はその感情をバネにして復興を遂げ、豊かな国を作りあげたのであり、それに日本も協力したのである。
これは、かつての侵略者と被侵略者が戦後に達成した類稀な成果と考えてよいのではないか。
第二に、韓国側が見せてくれる無垢な被害者というアイデンティティは、韓国という国を益々明るい国にすると同時に益々陰影の欠けた国にしているのではないか
影の無い国は怖い。韓国はそれでも、一卵性双生児の片割れである北に比べると、陰影に満ちた国ではあるが、それでも明るくなりすぎたのは韓流ドラマだけではないだろう。
歴史歪曲の代価は決して小さくないのである。
鄭大均(てい たいきん)
首都大学東京特任教授。1948年岩手県生。専門はエスニック研究、日韓関係。著書に『韓国のイメージ』(中公新書)、『在日・強制連行の神話』(文春新書)。最近の編書に『日韓併合期ベストエッセイ集』(ちくま文庫)がある。