韓国、法律も大衆迎合「いいかげん」文化が国を滅ぼす
デタラメな官僚制
裁判所まで無原則
勝又壽良の経済時評
(2014年5月29日)
韓国の旅客船「セウォル号」沈没事故は、韓国を揺るがす衝撃を与えた。
過去にも類似の事故で、多数の犠牲者を出している。その度ごとに「反省」を繰り返したが、事故の教訓は生かされなかった。
その教訓は、「制度」として確立せずに風化したからである。制度の執行を担うのは官僚である。事件風化の原因は、韓国の甘い官僚制に行き着くのだ。
韓国の官僚制はどこに問題があるのか。先進国では、「近代官僚制」である。
すべて一度決められた法律は全官僚組織に通達され、厳しく執行するのが基本原則だ。
韓国や中国では、「家産官僚制」といって独裁国家特有の恣意的な行政が行われている。
この「近代官僚制」と「家産官僚制」の分類は、20世紀初頭のドイツ人社会学者マックス・ヴェーバーが規定したもの。
この分類に従い、改めて日韓の官僚組織を眺めると、きわめて明瞭に両国の違いが浮かび上がる。韓国の甘さと日本の厳しさである。
デタラメな官僚制
『朝鮮日報』(4月27日付け)は、「過去に学ぶ日本、過ち繰り返す韓国」と題して、次のように報じた。
① 「旅客船『セウォル号』沈没事故をきっかけに、大規模な事故の防止や対応の過程で教科書の役割を果たす『白書』活用について、改善の余地を指摘する声が出ている。
過去の失敗から教訓を得ようとしなかったために、似たような事故が再び起こり、収拾の過程で失敗が繰り返されるというわけだ」。
日本では過去の災害発生時に合わせて、何年もその犠牲者を悼んで式典を行う。
同時に、災害訓練を行うことは珍しくもないことだ。韓国人記者には、これがきわめて新鮮に映るという。
過去の失敗や犠牲を忘れない。同じことを繰り返さない。これは日本人の共通認識と言ってよい。
この裏には、行政がしっかりとお膳立てしていることもある。「災害を忘れない」、とバックアップしているのだ。これこそ、「近代官僚制」がもたらした成果であろう。
韓国では、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」の類で、辛い経験が語り伝えられず、その場限りの話に終わっている。
まさに「家産官僚制」の欠陥そのものである。ルールとして官僚組織全体に語り伝えられないに違いない。
民族の優劣と言った矮小なことではない。官僚組織そのものが、時代遅れであるのだ。規則を守る。たった一つの、この「原点」を確認しないことが、相変わらず悲劇を生んできた。
恣意的な行政ゆえに、あちこちに「目こぼし」が起こる。民間からの賄賂によって、官僚の検査がルーズになる。中国の腐敗政治と規模は異なるものの、同じことが繰り返されているに違いない。
② 「1993年、乗客・乗員292人が死亡した西海(黄海)フェリー事故の後、全羅北道は『蝟島沖西海フェリー』と題する白書をまとめた。
同白書は事故について『政府が大規模な事故の防止をたびたび強調したにもかかわらず、対策を怠ったことによって発生した人災』と定義した。
似たような事故を防止するためには、『救命設備が十分に役割を果たすようにしなければならない』『乗船者名簿をきちんと作成しなければならない』などと指摘した。
それから21年、金泳三(キム・ヨンサム)、金大中(キム・デジュン)、盧武鉉(ノ・ムヒョン)、李明博(イ・ミョンバク)、朴槿恵(パク・クンヘ)の歴代政権は『安全』を強調してきたが、初歩的なレベルの安全対策も定着していなかった。
結局、セウォル号の事故は起こった。セウォル号の場合、テントのように広げて使用する救命ボートが46台あったが、実際に使えたものは1台しかなかった。また、乗船者の数は政府の発表のたびにコロコロと変わった」。
韓国の歴代政権は「安全」を強調してきたが、それは空回りして成果を生まなかった。
官僚組織が、「安全」維持とはどのような施策を行うべきか、十分に認識していなかったのだ。
民間から「賄賂」を贈られれば、簡単に安全の原則を曲げる。「家産官僚制」を絵で描くような行政を行って来たに相違ない。
官僚が民間を見下す。韓国では、儒教国家特有の悪弊が14世紀から数百年も続いてきた。その不可避的な結末が、セウォル号の悲劇である。
セウォル号では、緊急救命ボートが46台備えられていたが、実際に使えたものは1台しかなかった。
この恐るべき「安全」無視がまかり通ったのは、平常まったく避難訓練が行われなかった証明である。
関連官庁が、それをチェックしなかったことも問題である。民間業者が、安全無視によって目先利益を優先した結果である。
中国企業でも同様な例が頻発している。スモッグ発生は、石油精製過程で硫黄分除去施設の設置を怠ったことにもよる。中韓ともに、企業が「家産官僚制」の欠陥を狡猾に利用してきた。その点で同じである。
③ 「日本は他国の災害についての白書まで作成している。2003年に韓国で発生した大邱地下鉄放火事件の後、専門家17人に依頼し、1年余りにわたって分析を行い、白書をまとめた。
東京都はこれを基に、地下鉄の駅構内で火災が発生した場合の複数の避難路を設定し、駅のホームの売店なども燃えにくい素材を用いて造り替えた。一方、韓国では05年1月にソウルの地下鉄7号線で放火事件が起こるまで、問題点の改善は進まなかった」。
日本では、2003年に韓国で発生した大邱地下鉄放火事件後に、調査団を派遣して原因調査を行わせた。
この教訓は立派に生かされているのだ。韓国では、事件の教訓がなかなか生かされない背景には、制度的にその教訓を厳重にチェックするシステムを欠いている点が挙げられる。
中国でもまったく同じで、制度ができればそれで終わりになる。その後、チェックする機能が失われて恣意的になっているのだ。
このチェック機能発揮の場において、賄賂などによる「腐敗」が発生する。詳細に見ると、中韓は実に良く似たもの同士である。家産官僚制のもたらした共通の弊害を抱えている。
『中央日報』(5月16日付け)は、コラム「『朴槿恵アウト』なら解決されるのか」を掲載した。
④ 「韓国政府は(今回のセウォル号事故によって)国家を改造するという。
数えきれないほど繰り返されてきた大型惨事。そして反省と謝罪、注ぎ込んだ対策…。
それで変わったものがあっただろうか。1953年1月9日。麗水(ヨス)から釜山(プサン)に向かっていた定期旅客船のチャンギョン号が多大浦(タデポ)近海で座礁した。
その時も原因は貨物の過積載だった。救命ボートと救命胴衣は最初から船に載せてもいなかった。会社の倉庫から発見された。乗客236人のうち生き残ったのはわずか7人。 その中には船長と船員4人が入っていた」。
⑤ 「その時は(朝鮮)戦争の渦中にいたからそんなものだったとしよう。
60年が流れた今、1つも変わっていなかった。過積載と定員超過、使い道のない救命装備、無責任に逃げた船長と船員…。
1963年1月には木浦(モクポ)近海で過積載に定員超過だった旅客船ヨン号が沈没して生存者1人を除く140人が皆死亡した。
ほとんどの遺体も引き揚げられなかった。
1970年12月には積載量の4倍も載せた定期旅客船ナミョン号が西帰浦(ソギポ)から釜山に向かう途中に沈没して338人中326人が亡くなった。
1993年10月には西海(ソヘ)フェリー号沈没で292人が死亡した。その度ごとにあらわれた事故原因は、いつも同じだった。賠償と懲戒、処罰が後に続いた」。
裁判所まで無原則
ここで取り上げられている、過去の大型船舶事故による犠牲者の発生とその過程は、今回のセウォル号事故と瓜二つの状況である。
韓国は、こうした事故が発生してもまったく教訓にされていない驚くべき国家である。
朴大統領は、「国家改造」とまで言い切っている。だが、「家産官僚制」の下では、それもいずれ忘れ去られるに違いない。どこが間違っているのか。韓国が、「原理原則」を無視している国家であることだ。
原理原則とは、法律を指している。その法律が、大衆迎合(目先の利益と感情)によって、いとも簡単に破られている現実に気づくことだ。
原理原則を無視する行動が、同じ悲劇を生んでいる根本的な理由である。
原理原則は、何があっても守る。そういうルールが韓国社会(官僚と民間の両面)には存在しない。一事の感情で、それが簡単に曲げられてしまのだ。
その最たる例は、韓国憲法裁判所である。
慰安婦問題が持ち上がると、「人権」の名の下に日韓基本条約(1965年)で、日本の植民地統治時代の謝罪と賠償がすべて終わっているにも関わらず、新たな対日請求をすべきと韓国政府に命じる判決を下した。
日本政府が慰安婦問題で関与した。そういう明白な証拠を欠いたままの判決である。
韓国国民の感情に迎合した判決であることは明らかだ。日韓基本条約は、国家間で締結した条約である。
それが後から簡単に覆される。国際法無視の希有な判決である。憲法裁判所までが大衆迎合の判決を行う。家産官僚制の病は、ここまで冒しているのだ。
法律適用を簡単に変える例は、セウォル号事故の責任追及に見られる。
船長以下を船舶関連法でなく、「未必の故意」による殺人罪で裁く、というのである。
従来の船舶関連法では、最高刑でも終身刑とされる。
殺人罪の適用であれば、最高刑として死刑を宣告できる。韓国国民の憤激を考慮すれば、船長以下のセウォル号幹部を最高刑で終身刑に処する程度では済まされない。
何としても、死刑にもっていきたいという検察の意向であろう。これによって、家産官僚制組織の責任転嫁を図ろうとする意図が浮かび上がる。裁くべきは、韓国の官僚制度そのものである。この線に沿った「告発」が出てきた。
『朝鮮日報』(5月15日付け)は、次のように伝えた。
⑥ 「延世大学教授131人が5月14日、『旅客船セウォル号沈没事故の真相究明』と『社会全体の反省と悔い改め』を訴える声明を発表した。
この声明で教授たちは『「セウォル号沈没事故を反省と悔い改めのきっかけにしよう」と呼び掛けた。
『過程と原則を無視し、結果ばかりを重視するだけにとどまらず、汚職や利権までもが複雑に絡み合った韓国社会を叱咤し、改革を進めなければならないにもかかわらず、(われわれも)数々の問題をほう助しこれに便乗しようとしていないか自省せざるを得ない』と自らの行動も振り返った。教授たちは政財界やメディアに対しても『共に反省と悔い改めに加わってほしい』と呼び掛けた』。
延世大学は韓国独立後に開学した。
日本では東大、京大、慶応、早稲田、中央などの諸大学と学術協定を結んでいる。
その延世大学教授131人が声明を発表した。「過程と原則を無視し、結果ばかりを重視するだけにとどまらず、汚職や利権までもが複雑に絡み合った韓国社会を叱咤し、改革を進めなければならない」と指摘している点は、私の主張と同じであるようだ。
「過程と原則を無視」しているのが韓国社会である。「結果」ばかりを追い求めているのも韓国社会であるのだ。複眼で物事を見るのでなく、単眼で「損か得か」という結果を追い求める視点である。
この点でも、中国の価値観によく似ていることに驚く。
儒教というなかでの秩序意識に基づいて、「小よりも大に付き従う」ことが利益になると判断している。韓国人特有の「事大主義」の背景には、儒教独特の価値判断基準が働いていることは疑いない。
「長いものには巻かれよ」。そういう退廃的な考え方が、韓国には存在する。要するに韓国は、正しいか、正しくないかという正義=原理原則の視点が存在しない。利益になるという「結果」だけが重視されていることは疑いない。
この視点で韓国の「家産官僚制」を眺めると、原理原則はお飾り物に過ぎない。
度重なる大型の船舶事故による多数の犠牲者を出してきた。それでも、一向に改善されない理由は何か。
原理原則を無視することによって得られる「結果=利益」が、官僚制と民間側にあったからである。被害者はいつも、名もなき韓国庶民である。
この被害者の鬱憤が、法律を曲げさせるという異常行動を生み出すのだ。
憲法裁判所まで国際法に背を向けた判決を出す国家である。
セウォル号事故の責任逃れをするために、「未必の故意」に基づいて死刑を宣告したい。韓国は狂っているという批判も出てくるのだ。
掲載者コメント 未必の故意による殺人は被害者が死ぬかもしれない認識が必要である。
殺人罪を適用すること自体、罪刑法定主義の原則が韓国にはないことを国際社会は認識している。
「反日」は、原理原則を忘れた行動であろう。専制国家の中国と共同して、「日本批判」を展開している。
民主主義国家という「原理原則」に立てば、安全保障において日中どちらが信頼できるのか。
ドイツ人哲学者カントの『永遠平和のために』(1795年)では、民主主義国同士では戦争は起こりにくい。
専制国家が容易に戦争を仕掛けると主張している。
このカント説に従えば、韓国は、わざわざ危険な相手の中国と手を組み、頼みの綱にすべき日本を敵に回している。目先の「結果」である「日本憎し」が、「原理原則」を無視した間違った選択をさせたのであろう。
掲載者コメント
韓国は青年の失業が公式発表の3倍という高い。リンク先
50歳前後で名誉退職に追いこまれれ、なけなしの金を借りて商売をはじめ失敗する。
サムスン・現代の外国資本が50%前後で国内の労働者の雇用を守る考えはなく。
賃金が上がればベトナムなどに工場を立ち上げる。
サムスンなど財閥を解体し裾野の広い中小企業が底辺にありその上に韓国経済を牽引する企業群のある構造に改革が朴槿恵ではできない。
むしろ、野党は財閥解体を主張している。
高齢者の年金は生活が維持できない。朴槿恵は年金を僅かであるが引き上げると選挙で公約したが財源がなく3割の国民は対象から除外している。
自殺率はあOEDC諸国で歴代トップである。
国民の不満を反日にむけている。この手法はいずれ何時までも通用いないことを国民も理解するはずである。
その証左は韓国紙が韓国と対比した日本の安全教育と避難訓練取り上げている。