駅前不動産屋今日も回りは敵だらけ

株式会社 ハウスショップ 東京都町田市

1番目の社員

2022年10月27日 | プライベート

私は中学生なったら

水牛を使って両親の農作業の手伝いをしていました。

この子の匂い、皮膚のゴワゴワした感覚

そして性格まで昨日の事のように記憶に刻まれています。

今にしても思うと私達の家族の生活に

大変貢献してくれた訳ですが

当時はまだ子供でしたらから

そんな有難味は感じていませんでした。

ですから

随分雑に扱ってました。

今になるとそれを大いに反省しています。

ただ

丁寧に扱った訳ではありませんが

この子の体調はいつも気遣っていました。

私だけではありません

私以上に父親は毎日健康をチェックしながら

この水牛を大切にしていました。

どうして私までが健康を気にするか?

と言うと

この子が家に来た頃

私たち家族が殺しかけたのです。

まだ1歳にもならないのに

私は嬉しくてこの水牛の背中に乗り

無理やり走らせて遊んでいました

父親は

大金を出して買ったと言う事で

元を取ろうと

この子に目いっぱい仕事をさせていました。

水牛ですからね

口は利けません

ですが

大分辛かったんだろうと思います。

そして

ある朝

水牛小屋に行くと

意識はもうろうとして

立が上がる事ができませんでした。

その姿に

私たちは

一斉に罪悪感に襲われたのです。

幸い命は取り止めましたが

その日以来

仕事をさせる時には

いつもこの子が疲れていないか?

体調は悪く無いか?

それを気にしながら仕事をさせていました。

水牛ですから

何をしても大丈夫

この間違った潜在意識が消え去る

そんな出来事でした。

私は今サトウキビ農家とは全く違う世界の

東京の不動産業の経営の仕事をしてますが

この体験は会社経営でも

大いに影響してますから

不思議な物です。

それと

恐らく

私はその体験のおかげで

会社を辞め独立の道を歩んでる

そんな風に思う事もあります。

具体的には

今から30年くらい前の不動産の世界では

社員を家畜のように扱う

そんな会社が多かったのです。

牛馬の如く社員を叱りつけて

遅くまで残業手当も出さずに働かせる

それが普通に見られる光景でした。

そんな思いをしても

なぜ当時の人は会社を辞めなかった?

と言えば

生活の不安があるからです。

それはそれでそんな時代でしたから

世の中全体も受け止める空気がありましたが

私自身は

あの水牛の体験から

人間を限界まで酷使する事の嫌悪感

それがあったのです。

まぁしかしそれが嫌であれば

自分で理想を追求するしかありませんね。

だから今がある訳です。

幸い時代が追い付いて

今は世の中全体が

社員を大切にするようになりましたが

私自身は

会社を興した頃から

社員第一主義

これをいつも心がけています。

それと

水牛を殺しかけた罪悪感

これは今でもしっかり頭に残っていて

いつも恐怖感があります。

社員の心と体に気を配るのは

そんな理由があるのです。

無理してまで会社に出て来る意味は無い

心よりそう思います。

万一社員に何かあれば

水牛の時の

何倍もの罪悪感に襲われますからね

私自身生きていられないと思っています。

今にして思えば

私の人生とって

水牛が最初の社員だったのかも知れません。

コメント
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