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株式会社 ハウスショップ 東京都町田市

死は恐れた方が良い

2022年10月03日 | プライベート

アントニオ猪木さんが亡くなったようですね。

一つの時代が終わった

私も含めてそんな気持ちになる人は多いと思いますが

しかしそれは間違いですよね。

アントニオ猪木さんがもし時代を象徴する人間だとすれば

昭和の象徴ですからね

実際には大昔に終わってる訳です。

ですから

正しい表現は

時代が終わったのではなく

終わった時代を思い出させる

これが猪木さんの死で

私の心の中に湧いて来た感情の正体ですね。

ん?

なんか屁理屈っぽいですね

私の悪い所です・・・

 

そんな話はともかく

今の時代は

本当にたくさんの人の訃報に接しますよね。

今回の猪木さんのニュースは驚きましたが

しかし実際には私は面識はありませんし

テレビ画面で視ただけの人です。

それでも会った気になる

良く考えればおかしな話ですよね。

猪木さんの訃報の前後には

三遊亭円楽さんとか武村正義さんも亡くなった

なんて話がyahooで流れてきましたが

テレビを通して知ってる人たちは

その数が膨大ですから

毎日のように誰かが死にます

そしてその映像の中の人たちの死に対する人間の感情

私はこれに昔からかなり違和感があります。

最初に強く感じたのは

尾崎豊が自殺した時ですね

ファンの人たちが

大声で泣いて

亡くなった場所に

何日も通う

そんなシーンがありました。

実際には言葉を交わした事も無いのに

音楽を通じて知ってるだけで

そこまで感情移入できる

自分には無い不思議な感覚を持った人たちが

世の中にはたくさんいる

これに驚いた記憶があります。

まぁだからそれが悪い

って言う気もありませんが

このテレビを通じて知ってる人の死

これが頻繁に起こる時代に生きてると

明らかにその前の時代とは

人間心とは変化してる

そんな風に感じます

どうして感じるかと言うと

自分がテレビの無い時代に幼少期を過ごしたからです。

その時代はどうだったか?

って言うと

人の死は村人だけですからね

当然亡くなった人は全て知ってる訳です。

知ってる人の死

本当に恐ろしいですよね。

子供でしたから

ごく近い身内以外は遺体を見る事はありませんでしたが

葬式の日は朝から念仏鉦が鳴り響き

村中の子供たちが恐怖に包まれます。

そして

遺体はガンと呼ばれる籠に入れられて

若者たちが墓に運ぶのですが

その後には村中の大人が行列を作ります。

そして

行列の前では

近い身内が白い布をかぶって

大声で泣きながら歩いて行きます。

子供ですから本当に恐ろしい光景でしたね。

それを見た夜は母親にしがみついて寝た物です。

この子供の頃に体験した死の儀式と恐怖

これは村の住民が共有する事になります。

だから

その恐怖に打ち勝つには

グソー(先祖のいるあの世)

が欠かせないのです。

多分世界の宗教は

皆同じような構造で発展したんだと思いますね。

この過程が無く

テレビの登場人物の死がたくさん報じられる今

若い人たちの自殺や殺人

これが多発する原因になってるように私は思います。

どうして自殺や殺人が起こるかと言えば。

人の死は

トラブルの解決方法の切り札

そんな側面があるのです。

私自身中学生の頃は先輩たちとモメて

心底殺したい

なんて思った事がありますが

それでも死の恐ろしさが身に染みていますから

心で思っても

それを行動に移す

なんて事は無かったのです。

ところが今は情報が発達して

たくさんの有名人が死んで行きますから

いつの間には死は軽いのになり

トラブルになれば

簡単に死に頼る

そんな風潮になりました。

ただ

そうは言っても殺人や自殺は稀ですが

病死であっても

その死は人間関係のトラブルの解決になりますよね。

トラブルが解決する

って事は

その死は喜ばしい事

って風にも言えるのです。

これは私たちの仕事をしてる良く分かります。

家族であっても

死ぬと

表面的には悲しみを装うっていても

実際には喜んでる

なんて人はたくさんいます。

喜ぶって事は

問題があってそれが解決するからです。

例えば

資産がある人が

施設に入ってる

なんて人はたくさんいます。

そんな人の資産

本人が生きてる間は

子供たちには何にも恩恵がありませんよね。

ところが

亡くなると

それが一気に自分たち物になりますから

実際には親の死は

幸運の訪れになる訳です。

まぁ喜ぶのも仕方がありませんね。

ただ

仕方はありませんが

昔年老いた親が亡くなり

身内が大声で泣いてる光景が

しっかり頭に残ってる私には

何か変・・・

そんな気持ちがあるのです。

私は

幼い頃から

ずっと恐れてたのが

母親の死でした

特に子供の頃は

母親がいつか死ぬ

この事を考えただけで

夜は恐怖に襲われる

そんな日々でした。

しかし私は幸運でしたね

この歳になっても

まだその一番恐れてた事は起きていません。

母親は103歳

まだ死ぬ気配もありません。

まぁさすがに今は

その死はもうしっかり心の準備はできていますが

少なくとも

それを期待する事はありませんから

幼い頃にしっかり体験した死の恐怖

これが自分の人生にとっては

本当に大きな道しるべになってくれた

そう感じています。

いずれにしても

なるべく

死は慣れるのではなく

恐れる

それを子供たちにもしっかり引き継ぎたい物です。

私は

最近孫たちに

少し怖い話をしますが

そんな思いがあるからです。

コメント
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