駅前不動産屋今日も回りは敵だらけ

株式会社 ハウスショップ 東京都町田市

一般相対性理論と量子力学を統合すると時間は存在しないと言う結論になるそうです???

2022年10月17日 | プライベート

一昨日は制限が無くなり

3年ぶりに孫の運動会を見る事ができました。

まだコロナは続いてますが

少しずつ日常が戻って来てる事が実感できました。

3年ぶりと言う事は

最後に見たのは今1年生になった一番上の孫が年少組だった時です。

そして今回は年中組になった2番目の孫の運動会でした。

いつも小学校のグラウンドを借りて行われますが

大変不思議な感覚が襲ってきます。

それは時間が存在しない

そんな風に思えるのです。

理由は

その小学校は

私の息子たち3人が通った学校だからです。

当時と建物は変わっていませんし

周りの風景もほぼ同じです。

息子たちが小学校を卒業して20年以上経ってる訳ですが

感覚的には

とてもそんな風には思えないのです。

20年どころか

昨日の事のように思えます。

グランドに小学生の息子たちの姿が見えても

違和感は無いと思います。

その理由も何となく分かります。

普段は用も無いのに小学校に入る訳には行きませんから

私自身は息子たちが小学校を卒業してから

ずっとそこに行く機会はありませんでした。

ところが

孫が生まれて

また行くようになった訳です。

学校はその間ずっと存在していましたが

私自身は

数十年の中断があって

孫の運動会に行った訳です。

この中断した時間が

感覚的には存在しません。

だから私は

時間は存在しない

そんな感覚になるのです。

この感覚

沖縄に戻ると

更に強く感じます。

村の風景は随分変わりましたが

それでも

私の実家とか

あるいは八重瀬岳とか

また自分の門中墓

こんな物は私が沖縄を離れた当時と全く変わっていません。

そして

その場所に行った途端に

私が東京で過ごした50年の時間

これは瞬時にどこかに消え去る

そんな感覚です。

この感覚を楽しむために

私は沖縄に帰省してる

そんな一面もあります。

まぁ私の感覚なんてどうでも良い話ですが

この時間が存在しない

って話

現代物理学の中では常識のように語られてますよね。

その理由は・・・・

私の脳ではさっぱり理解できません

理解できませんが

どうやら時間を絶対的な物としては

この世の動きの説明はつかない

って話です。

この辺は能力の高い人たちの世界ですから

あえて踏み込みませんし

踏み込む事もできませんが

いずれにしても

この時間の存在が

感覚的にも

物理的にも

はなはだ危うい

って事です。

にも関らず

私たちは時間に縛られて生きていますよね。

毎日時間刻みで予定が入ります。

ですから

この時間の概念を排除しては

社会生活は上手く営めない

そうも言えるのです。

だから

物理学者が時間が存在しない

なんて言っても

そんな生活は

一部の人たち以外は無理なんです。

ですから時間の概念は日常生活ではやっぱり欠かせませんが

ただ

この時間の絶対性の否定

これを意識すると

結構生きるのが楽になります。

感覚時間も

物理の世界の時間も

曖昧な存在となれば

それから離れて自分の毎日を考えると

行く着く所は

毎日展開される自分の人生は

静止画のようになります。

つまり自分は

今だけしか存在しない

そんな感じです。

過去も未来も

自分の脳で勝手に作り出してる訳で

実際には

この瞬間の自分は

すぐに消え去り

また新しい自分が出来る

だとすれば

他人も同じように

毎日違う人格が現れる

そう言う事になりますから

例え今日関係が上手く行っても

明日その関係が保てるとは限らない

これを覚悟する事です。

しかし明日関係が崩れても

また明後日には元に戻るかもしれません。

だから

私は

少しでも人間関係がぎくしゃくすれば

すぐに距離を置くのです。

そうする事によって

修復が可能な状態は保てますから

絶縁にはなりません。

だから人間の付き合いは広がるのです。

それ以外にも

時間を存在しない物として捉えれば

結構人生の視点が変わり

楽になるのです。

行きつく所は

時間が存在しない以上は

執着する物も存在しないって事です。

いくら財産を築いても

明日死ねば

その財産は何の意味ももたない訳ですからね。

仏教の教えみたいになりますが

まぁ無常

って言葉に尽きると思いますね。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする