窪田恭史のリサイクルライフ

古着を扱う横浜の襤褸(ぼろ)屋さんのブログ。日記、繊維リサイクルの歴史、ウエスものがたり、リサイクル軍手、趣味の話など。

野球を通じて学んだことー高木豊氏講演メモ

2024年07月04日 | 講演メモ


 7月2日、元横浜大洋ホエールズの内野手で野球解説者の高木豊氏のお話を拝聴する機会がありました。80年代に少年期を過ごした大洋ファンの僕にとって、高木選手はまさにヒーローでした。お話しの中にも出てきた、チームメイトのジム・パチョレックと首位打者を争った1990年シーズン、高木選手が6年にわたり対大洋戦14連勝を続けていた巨人の斎藤雅樹投手から9回逆転2ランを放った際には、余りにも嬉しくて、翌日のスポーツ新聞を各紙買い集めた思い出があります(2度目は1998年の日本一達成時)。冒頭の写真は、今でも持っている横浜大洋ホエールズの下敷き(1989年)で、上段左から2人目が高木選手です。前置きが長くなりましたが、ここでは、ご講演の中で印象に残ったことを思い出しながら取り上げたいと思います。

1.普段やっていないことは出せない

 2003年、アテネ五輪アジア予選の初戦のことです。史上初めてプロ選手のみで代表が構成され、勝利が当然視される重圧の中、どうしても先取点が欲しい場面。先頭の松井選手が死球で出塁し、続く宮本選手には当然送りバントと選手も三塁コーチだった高木氏も思っていたのですが、長嶋監督からは一向にサインが出ません。訝しく思いながらも宮本選手はライト前にヒット。結果的に初回は無得点だったのですが、後の振り返りでなぜバントでなかったのかを聞かれた長嶋監督はこう答えたそうです、「打撃練習の中で、バントの占める割合は5%もない。極度に緊張している場面では、普段やっていることしかできない」。確かに、柄にもないことをやって失敗でもすれば、チームはさらに委縮してしまったかもしれません。「まずは選手の緊張を解くこと」を優先した長嶋監督の深謀遠慮でした。

2.「心の和」は、選手の技量と同じくらい重要

 つづく台湾戦。この試合では、壮行試合の時から不振に喘ぎ、チームとして17安打を放った中国戦でも4打数0安打(2四球)だった小笠原選手を3番から8番に下げました。その小笠原選手が第1打席、当たりは決して良くなかったものの、ついにセンター前へ落ちるヒットを放ちました。すると選手全員がベンチを飛び出して大騒ぎ。苦しむ小笠原選手を見ていたからこそですが、高木氏は「この1打でチームが一つになった」と言います。その結果、強敵台湾を相手に16安打、0vs9で勝利しました。小笠原選手は第3打席でもヒットを放ちました。翌韓国戦は6安打、2vs0でしたが、「負ける気はしなかった」というほど、心に余裕があったそうです。当初チームとしてまとまりがなく、壮行試合に敗れるほどでしたが、同じ力量でもチームに心の和があるかないかで、パフォーマンスは全く違ってくるということです。

3.共通点を見出す、間接的に褒める、イベントを使う

 高木氏がコーチとしてある選手とマンツーマンで練習していた時のこと。その選手は他人になかなか心を開かない性格でしたが、心掛けていたのは、①共通項を見出し、それを話題にする、②褒める時は第三者を通じて間接的に褒める、そして③(誕生日など)イベントを疎かにしないことだったそうです。因みにその選手はその後、チームの主力に成長しました。高木氏はYoutubeチャンネルでもゲストの話を引きだすのが上手だと感じますが、コーチ時代のやり方と通じるものがあるように思います。

4.「素直な心」こそすべて

 高木氏が、シーズン前半でスランプに陥っていた時のことです(打率2割6分で不振とおっしゃっている点から、高木選手がどれだけ一流だったかが窺えます)。体調は悪くないのに、なぜか打てない。そんな中、休みの日に何気なく剣道8段の昇段試験に挑む方のドキュメンタリーを見ていたそうです。その主人公は過去2度8段挑戦に失敗しており、今回が最後と決めていたそうです。そして技量ではなく、論文審査でいつも落とされていたとのことでした。3度目の挑戦で、その方は「今までは想像で論文を書いていた。自分の心で書いていなかった」と悟り、素直な気持ちで論文を書き上げたそうです。その時その方が、「自分の弱さを認め、素直な心で見れば相手の剣先が見えてくる」というような趣旨のことを発言した時、高木氏はハッと悟るところがあったそうです。気がつけば、寝転がっていた自分が正座してテレビを見ていたと。

 気づいたのは、選手として円熟し、チームの中心として富も名声も得た中で、知らず知らずのうちに人を見下すようになっていたということでした。毎年のように3割を打つ高木選手に、相手投手は当然弱点を研究し、そこを突いてくるわけですが、その苦手なゾーンに来た球ばかりを打ち返してやろうとしていたことに気づいたのでした。しかし、弱点は打てないからこそ弱点なので、その結果不振に陥っていたという訳です。

 そこで弱点は弱点として受け入れ、素直な心で見た時、相手投手も投げ損なうことはあるのではないかということに気づきました。ならば、投げ損ないの苦手ゾーンから外れた球を打てばいい。そうしてみると、投手というのは驚くほど投げ損なうということが分かったそうです。その球は苦手ゾーンを外れていますから、打てる確率は高まります。その結果、シーズン終了時に自己最高打率を残すことができたということでした(確か、.333だったのではないかと記憶しています)。

 現在、高木氏の3人の息子さんはいずれもプロサッカー選手として活躍されています。野球とサッカーで高木氏は当然子供たちに教えることはできないけれども、「絶対に偉くなるな、常に素直な心でいるように」と助言しているそうです。

 以上ですが、「野球を通じて学んだこと」とは、心のことだったと結論できると思います。講演会場でも高木氏は聴衆である我々の心を掴み、惹きつけるのが非常に上手だと感じました。少年時代からのファンだった僕などはなおさらです。

繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« B級グルメ「とんてき」を食べ... | トップ | 松阪牛のホルモンが食べられ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

講演メモ」カテゴリの最新記事