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窪田恭史のリサイクルライフ

古着を扱う横浜の襤褸(ぼろ)屋さんのブログ。日記、繊維リサイクルの歴史、ウエスものがたり、リサイクル軍手、趣味の話など。

人気Youtuberになるまでと、今後の飛躍ー第166回YMS

2024年07月11日 | YMS情報


 7月10日、NATULUCK関内セルテ 801にて、第166回YMS(ヨコハマ・マネージャーズ・セミナー)を開催しました。3月から始まった「比較的若手シリーズ」の最終回、本当の若手、人気Youtuber、TikToker「金持ち一家」の永斗志善様にご登壇いただきました。



 テーマは、「発達障害が拓いたYouTube JAPANトップクリエイターへの道 〜生意気小僧を添えて〜」。2024年7月現在、YouTubeチャンネル登録者数215万人、TikTokフォロワー72万人。昨年度8月実績で再生数日本ランキング5位、登録者増加ランキング4位、総視聴数25.7億回(現在30億回に達しているそうです)を誇る5人組Youtuber「金持ち一家」になるまでの生い立ちと、SNS動画クリエイターとして成功するまでの紆余曲折、そしてこれからの展望についてお話しいただきました。

1.クリエイターとしての礎を築いた子供時代

 志善さんは東京吉祥寺生まれ。いわゆる発達障害と目される子供で、教室でじっとしていられず、気に入らないことがあるとすぐ癇癪を起す、興味のあることには飛びつくけれども、そうでないことはたとえ必要とされていてもやらない、そんなタイプだったそうです。父親は非常に躾の厳しい方でしたが、とにかく子供の好奇心を満たしてくれました。例えば、家族でキャンプに行っても、皿から匙から全て現地で手作り、食材も捕まえたものがなければ食べられないというような、徹底ぶりでした。その代わり、そこから子供は多くの知恵を吸収したことと思います。

 しかし、その父親が小学校6年生の時に他界。荒れた生活を送るようになります。比較的学業成績の良い中学校に通っていましたが、同世代の子供とは話が合わず、学校にも行かなくなり、話し相手は専ら大人に。受験も望めないので、高校は底辺私立校へ進学。絵に描いたような荒れた学校でしたが、ありえないようなことが日々起こる刺激的な環境で、居心地は良かったそうです。そのまま底辺の大学に進学しましたが、12単位しか取れず、卒業は絶望的に。そんな時、母親から舞台演劇をやらないか、という話が来ます。「失敗したら悲惨だけれども、もし成功したら面白い」と考えて受諾。この考え方はその後の人生の選択においても受け継がれているように思います。

2.舞台演劇を経てYoutuberに

 舞台演劇の世界では1000人規模の舞台やディナーショーなどに携わり、やがて運営を仕切るようにもなります。しかし、能力が認められ、出世した結果起こりがちなジレンマですが、クリエイティブな仕事からデスクワーク中心に。幼少期のお話から分かるように、刺激をエネルギーに変えるタイプだけに、舞台の世界を離れます。しかし、離れてしまうと自分には再就職の武器になるような学歴も何もない。そこで、歌舞伎町の夜の世界に身を投じますが、嘘と裏切りの世界に人間不信に陥り、その世界からも離れます。しかし、その時に出会った、優秀だがやはりどこかおかしい仲間たちとYoutubeとTicktokを始めました。

3.解散の危機。試行錯誤の末、人気Youtuberへ

 とはいえ、最初はズブの素人。言い方は悪いかもしれませんが、いろいろと耳目を惹くような長時間の馬鹿げた動画のために、収益もないのに自腹で出費を重ねる日々が続きます。動画作成は思ったよりも難しく、お金は出ていくけれども再生回数が伸びず。

 そんな日々が2年半も続いた結果、ついに仲間内で解散の話が持ち上がります。話し合いの結果、「1月1日から3月15日までの間にTicktokの登録者数が3万人に届かなければ解散」ということになりました。個性が強すぎ、一枚岩とはお世辞にも言い難いグループでしたが、2年半も無収益で続けてこられたのは、Youtuberであることよりも、それが一緒にいる理由になるから、理由が欲しかったと志善さんは言います。

 さて、背水の陣となり、2年半の反省から自分たちに長編動画は向かないと判断し、短編のノンバーバル(サイレントではないけれども、台詞より動きで魅せる)動画に切り替えます。動画を幾つか拝見しましたが、舞台の経験も大いに生きているのではないかと拝察します。短編動画を仮投稿として次々にリリース。その中から反応の良かった動画とそこそこに終わった動画を比較し、反応が伸びた要因と思われるものを次の動画に反映させました。しかし、それが必ずしも正解とは限らず、本当に何の変哲もないことが思いがけず成功要因になったりすることがあるということでした。そんな試行錯誤を繰り返し、約束の1月1日から新アカウントで再出発。結果は何と、3日で登録者数2万人達成という快挙でした。その後、100万回再生を超えた動画2回、約束の3月15日には登録者数10万人を突破、1年後には50万人に達していました。

 その頃、Youtubeにショート動画の機能が誕生し、TickTokの動画をYoutubeにも展開するようになります。最初は伸び悩みましたが、ある時一つの動画がヒットすると、その他の動画も伸び、トータルで再生回数1億回を超え、YoutubeのJapanランキングに名を連ねるまでに。

4.これから

 ノンバーバルの動画は言語に依らないため、年齢、性別、国境の壁を超えます。志善さんらの動画は、日本を越え、すでに東南アジアを中心に多くのファンを獲得しています。先日、第162回YMSで講師を務めていただいた海老名栄人さんとカンボジアに行った際、現地で多くの「動画を見ています」という人がいたそうです。

 さらに、培ってきた経験とノウハウを生かし、企業によるSNSを活用したプロモーションのコンサルテーションも行っています。その特徴は、企画から動画作成に至るまで、外部委託せず一気通貫して自ら行うという点です。言われてみればそうなのですが、再生回数という点では、SNSは効果測定がハッキリしていますし、無責任なことをすれば、本業の方が大打撃を被ってしまいます。そうした厳しさを担保に、自分たちを使って欲しいということでした。

繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした

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エンターテイメント界からのぞく、すぐそこにある未来ー第165回YMS

2024年06月13日 | YMS情報


 6月12日、NATULUCK関内セルテ 801にて、第165回YMS(ヨコハマ・マネージャーズ・セミナー)を開催しました。3月から始まった「比較的若手シリーズ」も佳境です。

 今回の講師は、プロミュージシャンで株式会社SAKAY ENTERTAINMENT代表取締役の酒井俊光様。19歳からプロギタリストとして活動、コロナ禍であらゆるイベント活動がなくなる中、それまで副業として行っていた動画編集の幅を広げ、現在はSNS運用代行(編集・撮影)を主軸として、ミュージックビデオ撮影、編集、エンタメ業界以外でもイベントの会場選定やPV作成、プロモーション支援などを行っておられます。そんな酒井さんに、「エンターテインメント業界が経済に及ぼす影響」と題してお話しいただきました。



 初めに、エンターテイメント業界とは、スポーツ、テレビ・ラジオ、映画、音楽、アニメ、ゲーム、舞台・イベント、テーマパーク・レジャー、動画配信など、非常に幅広い業界を包含する概念です。したがって、その裾野は我々が思っているよりも広く、雇用創出、収益増加、観光産業の発展、技術革新の促進など、多岐にわたる影響を経済に及ぼしています。

 例えば、地方で大規模なイベントが行われ、そこに人が集まると、地元のレストランやホテル、小売店、観光産業などに10%~30%の売上増が見込まれるそうです。しかもそれは、コロナ禍で一旦ゼロになり、未だ回復途上にある直近の数字であり、本来はもっと見込めるそうです。

 「戦争は発明の母」という言葉があります。同様に、エンターテイメント業界も様々な技術革新を促す土壌があります。むしろ、エンターテイメント業界で起こった技術革新が軍事転用される例さえあります。例えば、VR(仮想現実)/AR(拡張現実)技術を用いた軍事訓練は、元はゲームから生まれたものです。もちろん、その逆も起こり得るでしょう。そしてエンターテイメント業界で起こる技術革新は、我々の日常生活をも変えていく可能性を秘めています。例えば、観客が観客席から鑑賞するのではなく、自らも参加する体験型(没入型)演劇、「イマーシブシアター」は、VR/AR技術の進展により今後ますます発展し、そのノウハウがエンターテイメント業界を超え、私たちの生活にも浸透していくことでしょう。その他、5G技術によりリアルタイムデータ処理が可能となり、リアルタイムストリーミング(ライブストリーミング)はよりタイムラグのないものとなります。企業で言えば、リアルタイムのデータをマーケティングに活用することが可能でしょう。エンターテイメント業界には欠かせない著作権管理をAIにやらせるということも行われているようです。

 一方、このような技術革新の副産物として、新たな課題も生まれています。例えば、誰でも手軽に発信ができるようになった結果、二次創作の商業化、AIによるコンテンツ自動生成ツールの登場、NFT(非代替性トークン。デジタル上の資産鑑定書のようなもの)の無許可販売などが起こり、著作権、知的財産権の保護がより困難になっています。また、ストリーミングサービスで大量のコンテンツが配信されるようになった結果、質の低いコンテンツも大量に出回るといったことが起きています。



 最後に、総務省が出している「5Gで繋がる世界」という動画を見ました。



 それで思い出したのですが、40年前に「ミーム いろいろ夢の旅」という科学教養アニメがありました。当時は子供心に「本当にそんな未来が来るのか?」とわくわくしたものでしたが、「5Gで繋がる世界」は遠い未来ではなく、部分的には既に起こっている「すぐそこにある未来」という印象でした。ということは、その結果起こる私たちの生活や取り巻く環境の変化もある程度予測の範囲内と言えます。しかし、そうなった時、今は当たり前のように見えて、今後その価値が高まっていくもの、あるいは生活環境が変わっても普遍的に残る価値、そうしたことに想いを馳せることは、40年前の「ミーム」のようにわくわくします。

 懇親会は、関内駅前周辺の再開発でセルテと共にあと1年半で46年余りの歴史に幕を下ろす「スポーツカフェ ヤンキイス」で行われました。まさに横浜大洋ホエールズから横浜DeNAベイスターズの歴史と共にあったお店で、子供の頃から知っていたので寂しいです。

繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした

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今求められるエンゲージメント向上と”複”業のはなし-第164回YMS

2024年05月09日 | YMS情報


 5月8日、NATULUCK関内セルテ 801にて、第164回YMS(ヨコハマ・マネージャーズ・セミナー)を開催しました。

 今回の講師は、株式会社ケーエムシーコーポレーション取締役/BRMz合同会社共同代表の熊澤祐喜様。前半/後半の二本立てで、今注目されているエンゲージメント向上と人手不足の問題解決に資する「クルージングを利用したエンゲージメント向上/複業人材活用のすすめ」というタイトルでお話しいただきました。



1.クルージングを利用したエンゲージメント向上

 エンゲージメントとは信頼や愛着といった意味で、これが従業員の生産性向上や組織への定着の基盤となることから、以前より労働力の流動性が高まり、かつ人手不足が深刻化する昨今、優秀な人材を確保・定着させるために注目されている概念です。従業員の会社組織に対する信頼/愛着であればそれは「従業員エンゲージメント」ですが、同じことが企業と顧客との関係についても言え、長期的/繰り返しの取引で売上を向上させる基盤として築く、顧客の企業に対する信頼/愛着であれば「顧客エンゲージメント」となります。

 エンゲージメントに対する注目の高まりを受け、近年ではエンゲージメント向上に関わる様々なサービスが登場しています。その中で、熊澤さんの家業の一つであるクルージング事業を従業員や顧客(友人や家族でも良いです)のエンゲージメント向上に役立てようというのが今回のお話しです。

 なぜエンゲージメント向上にクルージングが資するのか?それはクルージングという「体験の共有」ができるためです。社会心理学者のレオン・フェスティンガーによると、体験の共有は、たとえそれが逆境や試練であってもエンゲージメントを高めるのだそうですが、かなり前にこのブログでとり上げた経営コンサルタント、パインとギルモアの「経験価値」のように、その体験が娯楽・教育・脱日常・美的という4つの要素が組み合わさることによって生み出された感情的、身体的、知的、精神的レベルにポジティブに働きかけるものである場合、満足感やロイヤリティが向上します。

 従来も従業員や顧客のエンゲージメントを高めるため、社員旅行、飲み会、運動会、接待といった試みがなされてきました。しかし、そうした試みが時代の変化に伴い効果的でなくなってきたのには様々な理由があるでしょうが、一つにはこれらの試みには「娯楽・教育・脱日常・美的」という要素が欠けていたためではなかろうかと個人的に思います。いずれにせよ、従来の試みに代わる新たなエンゲージメント向上手段が求められているのであり、その選択肢の一つとして東京湾に面する横浜や東京においてはクルージングがあるのではないかということです。

 クルージングは、先に挙げたような従来のエンゲージメント向上手段と比べ、特別感があり、参加容易性があり、時間がかからず、アクセスが良く、価格も手ごろといった特徴があります。さらにクルージングには、

娯楽/教育:海側から見る陸地の美しい景色、パーティー、船上での音楽など
非日常:船上という空間にいること、ゴージャスな船内や食事など
美的:やはりゴージャスな船内、美しい景色など

というように、前述の四要素がふんだんに詰まっていることが分かります。その性質が、特別な経験を提供し、エンゲージメント向上に役立つという訳です。

 質疑の中で出てきたことですが、今後心理学的な側面からクルージングのエンゲージメント向上に寄与する効果測定ができたら面白いと思います。

2.複業人材活用のすすめ

 後半は「復業人材活用」についてのお話しです。ここで敢えて「副業」ではなく「複業」の字を用いているのは、「本業の片手間」という意味ではなく、「複数の仕事をする」人材を指しているためです。近年、あらゆる産業が人材不足に悩まされています。しかしながら採用は遅々として進まず、時間とコストがかかり、仮に雇ったとしても、育ったら離職してしまう。一方で解雇は容易ではない。このような企業が抱える問題に対する解決策の一つに前半部の「エンゲージメント向上」があるとも言えますが、また別の、採用に代わるアプローチとして考えられるのが、後半部の復業人材です。

 30年ほど前、企業組織のダウンサイジングの一環として、アウトソーシングが流行りました。しかし、このアウトソーシングは、業務を外部委託する代償として、業務ノウハウの蓄積ができない、コストが高い、業務内容について逐一相談、指示する必要があるといった欠点があります。これと比べると復業人材は低コストで、そもそも副業や転職希望者ではないので、転職市場に現われてこない人材を獲得できる利点があります。実際、復業人材活用に取り組む企業の数は年々増えており、復業人材サービスを提供するプラットフォームも5年間で4.2倍に増加しています。

 もちろん復業人材活用にあたっても注意点はあります。一つにはマッチングサイトを利用すると人材の質にバラツキがでること、時間に制約があり、成果にどれだけコミットしてくれるか不透明であること、依頼事項が明確にできていないことなどです。このような点を曖昧にしたまま復業人材を活用すると、契約した人材が課題に応えるスキルを持っていなかったり、どこまで実務にコミットするかについて双方齟齬があったり、求める成果の認識に差があったり、結果として何も進まないという失敗につながる可能性があります。

 そこで熊澤さんが共同代表を務めるBRMzでは、クライアント企業の課題と目標を明確化し、課題解決や目標達成に必要なプロセスやスキルを洗い出し、その上で適切な人材の割り当てを提案します。例えば、課題が「営業活動の生産性向上」であったとした場合、その課題を細分化していくと下の図のようになります。



 その様にして細分化された課題の内、今回は何に取り組むのかによって適した人材が異なってくるはずです。復業人材はあくまで選択肢の一つであり、場合によっては社内人材を活用したり、採用に動いた方が良い可能性もあります。

 数ある復業人材系プラットフォームの中で、若手中小企業診断士からなるBRMzが提供するサービスは、前述のように課題をヒアリングしてから人材を提供するので、複業人材活用や協業に慣れていない企業が利用するのに適しています。副業人材活用にはメリット/デメリットがあり、どのように使うかも千差万別であるため、まず「何を実現したいのか?」という利用する側の目的意識が大切だと言えるでしょう。

 一見全く違ったテーマでのお話しのようですが、このように通してみれば、いずれも企業が抱える「人材」に関する課題へのアプローチであることが分かります。個人的には、このような選択肢もあるのだという新鮮なお話しで勉強になりました。

繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした

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目的は事業永続、目標は…-第163回YMS

2024年04月14日 | YMS情報


 4月10日、NATULUCK関内セルテ 801にて、第163回YMS(ヨコハマ・マネージャーズ・セミナー)を開催しました。

 今回の講師は、株式会社Gene(ゲン)代表取締役、坂東大毅様。「ベンダーマネジメントのすすめ~ 外部のデジタルの専門家たちとどうやりとりを行えば、自社のデジタル導入がうまくいくのか ~」と題してお話しいただきました。

 同社のHPを参照すると、「日本の企業文化に合うDXを」と題した、事業理念が目に飛び込んできます。かいつまんで言うと、日本のデジタル化が遅れているのは、日本らしいデジタルを実現できていないからではないか、という問題提起です。

 しばしば「日本のデジタル化が遅れている」ことの理由として、日本企業における「利用する側のITリテラシー不足」、「変化に対する対応力の低さ」などが挙げられますが、仮にこうした要因が日本企業の文化的あるいは組織構造的要因だったとすると、日本企業は以前からそのような体質だったということになるので、かつてどうして海外の先進事物を巧みに取り入れ、独自化することで世界をリードするモノづくり大国を築き上げることができたのかの説明がつきません。

 歴史を振り返ってみると、日本は古来より海外から文化を取り入れながらも、それを自国の文化に合うように改良し、独自化してきました。故稲盛和夫氏は、そのような創造性のあり方を、アメリカ型のようなゼロから何かを生み出すのではなく、「日々連綿と重ねる絶えざる創意工夫の道」と表現したそうですが、そうだとすると、日本におけるデジタル化による変革がなかなか進まないように見えるのも、そもそも日本とはデジタル技術を取り入れ、日々創意工夫しながら漸進的に変革を進めていくのが得意な文化であるためか、あるいはそうした文化にとって概して得意とは言えない「何か革新的なものを生み出す」というアメリカ型の変革を期待したために失敗に終わっているかのいずれかと考えられます。



 さて、前置きが長くなりましたが、本題に移りたいと思います。大抵の企業(事業会社)では、デジタル化(以下、DXと総称されることが多いので、ここでもそれに倣います)を推進するのに、様々なデジタルベンダー(WEBシステムやサービスを提供する企業)との連携が不可欠です。しかしながら、事業会社はデジタル技術について、ベンダーは事業の具体的な内容やプロセスについて互いに情報の非対称性があるため、両者を橋渡しする(デジタル技術について知識を持ち、事業会社の側に立った)役割が必要になります。坂東さんの会社(以下、Gene)は、自らシステム開発をするのではなく、事業のデジタルに関わる構想の具体化から実現まで一元的にサポートしています。自社が持つソリューションを提供することが目的ではないので、構想段階から導入後の事業成長を目的とした絵を描くことができます。また、デジタルベンダーが提供するサービスには、開発ばかりでなく、デザイン、マーケティングなど様々な分野がありますが、Geneではそれぞれの分野で強みを持つ業者を選定し、とりまとめることが可能です。また、Geneが仲介することにより、事業会社、個々のベンダーは自分にしかできない本業に集中することができます。これは伝統的な日本のモノづくり、例えば着物の製造過程が製糸、染め、織り、仕立てというように分業で成り立ち、それぞれが自分の強みを磨き上げてきたのと似ています。

 冒頭で触れたように、日本のデジタル化は遅れているといわれています。とは言え、国内におけるIT投資は、2026年には年間23兆円にも達するだろうと予測されているのです。ところが、坂東さんの肌感覚にはなりますが、恐らくデジタル導入した結果、上手くいっている企業は1割に満たないのではないかということです(各コンサルティング会社や省庁による調査でもDX成功率はバラツキはあるものの3%~16%という結果が出ています)。つまり、巨額な投資こそ行われているものの、その9割が無駄になっているということになります。これは、デジタル化が難しいからではなく、そもそも失敗するやり方をしているからだというのが坂東さんの見方です。

 「失敗するやり方」とは、前述の事業会社とデジタルベンダー間に存在する情報の非対称性の他、プリンシパル・エージェント問題(代理人が、依頼人の利益に反し、自らの利益を優先する行動をとってしまうこと)といった力学が、コストを継続的に増やしてしまうという構造的課題を無視してしまうことです。そのために生じるムリ・ムダ・ムラをなくすことで、推定20兆円に及ぶ投資損失を活かすことができれば、日本のDXは劇的に進む可能性があります(何しろ9割が無駄になっているのですから)。

 さて、事業会社とデジタルベンダーを仲介する役割は、以下の3つに大別されます。

①ベクトルマネジメント…課題定義、方針決定、判断基準の明確化等
②プロジェクトマネジメント…ステークホルダーを巻き込み、プロジェクトを推進する
③デジタルベンダーマネジメント…ベンダーの専門性を引き出し、活用することでプロジェクトの目的を実現する

 これらのいずれが欠けても事業会社のデジタルベンダーの連携は困難になります。Geneはこれら3つの役割を担うことができますが、とりわけ③デジタルベンダーマネジメントは専門性が高いため、事業会社で内部化することが難しく、それだけGeneが担うべき分野となります。

 さて、そもそも事業会社にとってなぜDXが必要なのでしょう?運営コストを下げる、価値を上げる、顧客との関係を深める等さまざまな理由がありますが、とどのつまりは「事業を永続させること」です。デジタル化したから変革が起こるのではなく、事業永続のために必要な変革を起こすために有用だからデジタル化するのです。その点を念頭に置いた上で、ベンダーマネジメントのポイントをまとめると、以下の8つが挙げられます。

0. 相手(デジタルベンダー)の力学を知る…前述の「プリンシパル・エージェント問題」を見極めるということです。
1. 問いを正しく立て、相談する…顕在化している課題が本当の課題ではない。解決策よりも、本当の目的を知る、そのためには正しい「問い」が重要。
2. 常に事業運営することを前提に意思決定をする…目の前のプロジェクトではなく、その後の事業運営を踏まえた最適化を考える。
3. 運営する前提で意思決定するための前準備…業務オペレーションと価値がどこにあるのかを明確にする。上手くいっている時の通常オペレーションだけでなく、例外のオペレーションも考慮に入れた効率化を考える。
4. 属人的=非効率ではない…イノベーションは属人的要素から生まれる。価値を生む「意味のある非効率」と「意味のない非効率」を峻別する。

 これで思い出すのが、17年前に読んだ和菓子屋「たねや」社長山本徳次氏が著書『商いはたねやに訊け―近江商人山本徳次語録』で述べておられた「表の非効率と裏の効率を使い分ける」です。

 「お客さんに見えないバックヤードは徹底的に効率化する。しかし、お客さんを相手にする店頭では逆。徹底的に非効率でいい」。

5. 運営する前提で意思決定するための判断軸…デジタル化によって減らせるものもあれば、増えるものもあるということを見極める。また、上手くいかなかった場合のことも考える。
6. ぶつかり合う関係ではなく、前向きに取り組んでもらう…全てのステークホルダーがWin-Winの関係であること。
7. プロジェクトのゴールは、アウトプットではなく達成条件を言語化する…技術や環境などが激しく変化する中、プロジェクトの初期段階でアウトプットを明確に定義するのは困難。それより、何をもって成功とするのか、達成条件を言語化しておくことが大事。


※「意味のある非効率」の図

 今回は「(デジタル)ベンダーマネジメントのすすめ」ということでお話しいただきましたが、その要諦はDX推進に留まらず、我々の日々の事業活動における意思決定においても当てはまるものばかりでした。IT関係に不慣れな人には一見難しく聞こえたかもしれませんが、自分の良く知る分野に置き換えてみると理解しやすいのではないかと思います。

繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした

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どうせ誰もやらないから、やる-第162回YMS

2024年03月21日 | YMS情報

※閉眼していたので、目を描き足しています。

 3月13日、NATULUCK関内セルテ 801にて、第162回YMS(ヨコハマ・マネージャーズ・セミナー)を開催しました。

 YMSも14年目となり、メンバーの年齢もそれなりに上がってきた中、今回から7月まで、比較的若手の経営者シリーズです。



 先頭バッターは、キャラバン合同会社代表の海老名栄人様。「日本の田舎をどうにかしようと思ったら、東南アジアでホテル経営をしていた件」と題し、「できない」を「できる」に変える逆転ビジネスについてお話しいただきました。

 お話の始まりは海老名さんが20代の頃、2000年代初頭に遡ります。学生時代、バックパッカーとしてアジアを中心に世界中を旅してきた海老名さんは、「自分は会社勤めには向いていない」と悟り、学生起業します。事業内容は何と刺青の彫師。特に刺青に関心があったわけではなく、コストを賭けず手に職をつけられるものということで選んだのだそうです。彫師の修行も、師匠の彫師が弟子をとらない方針だったため、傍で見学して覚えたのだとか。加えて、バンドをやっていた関係から、当時黎明期にあったSNSを活用してライブハウスにバンドを連れてくる仕事も手掛けるようになります。ライブハウスに来る人達はタトゥーを入れる人もそれなりにいるため、この仕事は刺青の仕事と相乗効果も生みました。のっけから破天荒なお話ですが、このようなある物とある物を掛け合わせて価値を高める発想はすでに海老名さんに備わっていたようです。この仕事は上手くいき、お金が貯まるとまた海外へ旅に出ていたそうです。

 ところが、2011年に発生した東日本大震災により、イベントというイベントが自粛ムード。さらには節電の風潮もあり、イベント業務が暗礁に乗り上げてしまいました。そこで海老名さんは、当時普及し始めていたスマートフォンに目をつけ、スマートフォンや光回線を販売する業務を始めます。この仕事は時代の潮流に乗り大ヒット、青森県に初めて5Gの電波塔を設置したのは、海老名さんなのだそうです。

 そして7年前の2017年、高齢の父親と祖母の介助のため、故郷の青森に戻ることになりました。

 2020年、世界が新型コロナウィルスによるパンデミックの波に覆われます。スマートフォンの事業はそれなりに順調でしたが、既にスマホは一般化し、海老名さんにとって遣り甲斐が失われていました。そんな中、目に入ったのは、「自然豊かで産物も多く、観光資源もある。さらに人は勤勉で腕も良い」にもかかわらず、衰退する一方の故郷(青森県五所川原市)でした。そしてその姿は、多くの発展途上国を見て歩いてきた海老名さんの目に、発展しつつも未だ40年前の内戦の後遺症が残るカンボジアと重なって映りました。培ってきた経験を故郷に何か還元できないのか…?

 ここで青森県について簡単に振り返ってみます。県人口、約124万人。月平均最高気温は28.4度 と日本一涼しい都道府県です。三方を海に囲まれ、中心部は山、さらには複雑な海岸線といった地形の特色もあって産物は豊富。青森といえばリンゴ、ニンニク、マグロなどが有名ですが、その他にもホタテ、ゴボウ、アンズ、カシス、ブラックベリー、イカ、鮭、白魚、豚など多くの名産があります。馬肉もあり、他県のそれと比べて肉質が柔らかいのだとか。公衆浴場の数も日本一で、しかも温泉です。文化としてはねぶた祭が有名ですが、五所川原市は「立ちねぶた」といって、高さ20m、重さ16トンにもなる巨大な山車が特徴で、「青森三大佞武多」に数えられています。このように豊富な産物、観光資源がありながら、宿泊施設が少なく、活かしきれていない、と海老名さんには映りました。

 一方、カンボジアです。一言でいうと、赤土と密林の国。アジア最貧国の一つでありながら、国民幸福度はトップクラス。僕のブログにもいくつか掲載していますが(下記参照)、観光資源と水資源が豊富です。米の生産も多いので、貧困層もお金はありませんが、飢えてはいません。現在、首都のプノンペンなどは急速な発展を遂げています。理由はいくつかありますが、ドルが流通しており、外国人が参入しやすいこと、安く豊富な労働力、若年人口が多いといったことが挙げられます。また、日本は内戦後のカンボジアの復興、地雷除去や遺跡の修復などに大きく貢献したため、カンボジアは親日国でもあります。しかしながら、近年の日本の衰退により、発展途上国の人たちにとって日本が出稼ぎの地として魅力が低下しているのも事実です。

 片や人口が減り衰退の一途をたどる故郷、片や日本に親しみを持ち、働きたいとも思っている沢山のカンボジアの人たち。「日本が再び選ばれる国になるために、今のうちに両国に強力な導線を引いておく必要がある」、そう考えた海老名さんは、新型コロナの影響で閉鎖が相次いでいた、カンボジアの一大観光地シェムリアップで2022年、DEN HOTELを創業します。さらには、職業訓練のためのDEN SCHOOLが来月開校予定です。因みに下の写真は、カンボジアの生胡椒です。そのまま、つまみのように食べられます。



アンコール・ワット
アンコール遺跡の壁画①-マハーバーラタ
アンコール遺跡の壁画②-ラーマヤナ
アンコール遺跡の壁画③-乳海攪拌
アンコール遺跡の壁画④-チャンパ王国との戦闘
アンコール遺跡の壁画⑤-凱旋祝宴の様子
タ・プローム
バヨン寺院
アプサラ-カンボジア伝統舞踊
カンボジアの踊り
カンボジア・カルチャー・ヴィレッジ

 故郷にあっては、2023年、「もったいない」を「ありがたい」に変える会社、キャラバン合同会社を設立。農業、飲食、クラフトを三大基幹事業とし、かつそれぞれを有機的に組み合わせることで、地方創生とアジアビジネスの融合を目指しています。

 事業は基本的に地元が抱える課題そのもの。例えば農業部門においては、県の食材を生産・販売しています。具体的には養鶏・養鹿の他、有害鳥獣駆除とその副産物として生まれるジビエ肉の解体処理と卸など。肉は東京にある中華料理の名店に卸しているそうです。僕の事業である衣類のリサイクルも同じですが、ジビエを作ることが目的ではなく、それがきちんと消費されることが大事です。そうでなければ持続することができません。

 飲食部門は、農業部門が生産した食材やクラフト部門で作られたお酒を販売します。また、販売するお店は、クラフト部門が建物の解体などで発生した建材を活用しています。さらに、飲食で発生した食品残渣は、農業部門に還って家畜の飼料として活かされます。

 クラフト部門は、前述のように廃墟を改装・解体するなどして活かす仕事です。青森県では人口減少に伴い、住む人のいない廃墟が問題となっています。驚いたのは、ある廃墟を海老名さんが自力で解体したということ。

 このように、ローカルの事業はそれぞれが互いに補完し機能しています。これをローカルの循環とすれば、今後、カンボジアの事業と青森の事業が補完し、グローバルの循環も生まれていくことでしょう。例えば、カンボジアで育成した人材が青森で活躍したり、青森の産物が遠くカンボジアで消費されたりというように。これを海老名さんは協調と調和、「Looserのいないビジネス」と呼んでおられました。

「どうせ誰もやらないし、近所からグローカルしていく」、「地元をどうにかしようと思ったら、カンボジアでホテルを経営していた」、こうした海老名さんのお話は、横浜でできるところから人と人の縁を繋ぎ、さらにそれを地域と地域で繋いで全体を活性化していくYMSの趣旨とも通じるものがあると思いました。何より、思い付きのやりっ放しではなく、全てを有機的に機能させていく発想と取り組みが素晴らしいと感じました。

 最後に。以前このブログで、食を通じて青森の良さを伝える、神楽坂の素敵なバル「Aotaimatsu」をご紹介しました。

繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした

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FMラジオでYMS/OMSのお話をさせていただきました

2024年02月28日 | YMS情報


 2月27日、かわさきFM加治工敦さん、金城色さんの生放送「琉球リミテッド〜かりゆし超特急〜」にて、YMS(ヨコハマ・マネージャーズ・セミナー)と先週発足したOMS(オキナワ・マネージャーズ・セミナー)のお話を渡邉理事と共にさせていただきました。

 何とある方を介してお話をいただいたのが前日の23時頃、詳細不明のまま当日の朝9時頃にようやくこの番組に出ることが分かったという次第です。実に目まぐるしい展開でしたが、逆に楽しかったです。

 ラジオはこれまで電話収録を2回ほど経験しましたが、スタジオでの生は初めてです。加治工さん、金城さんのおかげで非常にリラックスしたムードで話は進み、YMS発足の経緯と過去161回どんなことをしてきたか、また今回のOMS発足の切っ掛け、横浜と沖縄に対する思いなどをお話しさせていただきました。本業に関することも少しだけ...。詳しくは、スタジオの様子も見られる下の動画をご覧ください(7:40頃から話が始まります)。



 川崎市中原区に密着したFM局と伺っていたのですが、結構すぐに反響があり驚きました。ご縁をいただき、本当にありがとうございます。

繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした

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オキナワ・マネージャーズ・セミナー(OMS)、キックオフ-第161回YMS

2024年02月21日 | YMS情報


 2月20日、沖縄県中頭郡北谷町にて、第161回YMS(ヨコハマ・マネージャーズ・セミナー)を開催しました。

【過去2回の沖縄開催】
2016年2月8日:第67回YMS
2019年5月17日:第108回YMS

 YMSの沖縄開催はこれで3回目になりますが、今回は公益財団法人沖縄県産業振興公社様の知的財産包括支援事業の一つであり、また、YMSの沖縄版とも言うべき、オキナワ・マネージャーズ・セミナー(OMS)の第1回開催でもあります。



 さらには、北谷町商工会様のご協力を得て、同会のホールを会場として使わせていただくことができました。この度の開催にあたり、さまざまなご支援を頂いた関係各位の皆様にこの場を借りて御礼申し上げます。



 ということで、横浜からの参加者は宿泊地那覇よりバスで北谷町へ移動。



 僕はOMSの発起人たちと共に設営のため一足先に会場入りしました。



 中に入ると、地元の甲冑工房さんが制作された琉球の甲冑が展示されていました。本土と違い、沖縄の甲冑を目にすることはほとんどないので、興味深いですね。基本的に琉球の甲冑は本土の室町時代のものと同じだと聞いていますが、これは少し中国風のテイストが入っているようにも見えます。



 準備にあたりひとつ興味深かったのは、寒冷地でもないのに会場の窓が二重になっていたことです。聞いたところによると、沖縄は寒いからではなく、台風があるためこのようになっているのだそうです。



 さて、13時30分、4ヶ月の準備期間を経た第161回YMS(第1回OMS)が定刻通りに始まりました。



 テーマは『自社の知財を見つけるセミナー』、講師はYMSの発足母体となった2009年の「第4期みなとみらい次世代経営者スクール」および2011年1月12日開催の第4回YMSで講師をしていただいた、山本伸之先生です。



 さて、知的財産というと、特許権や商標権などいわゆる「産業財産権」が思い浮かびますが、知財の概念はそれよりはるかに広く、営業秘密やノウハウなども知財に含まれます。さらにそれを超えたところに人的資源や社外のネットワーク、経営理念などといた知的資産が存在ます。知的資産は企業が持つ「強み」と言い換えてもいいかもしれません。

 我々中小企業で特に特許や商標といった法的に保護してもらうような知的財産とは一見無縁と思われる企業でも上記の知的資産(強み)を掘り下げることにより、やがては知財に結び付くものが生まれるかもしれません。また中小企業の経営は経営者の属性と強く結びついていますから、組織だけでなく経営者個人の知的資産を掘り下げることが会社の知的資産、そして知的財産へと発展する可能性があります。



 そこで今回のセミナーでは、インタビューとディスカッションで参加者個人と会社が持つ価値観や強みなどを明らかにしていくワークを行いました。実感として得られたのは、質問されることによって自分の中で漠然としていた価値観や強みなどがより鮮明になったり、自分を他者の言葉で紹介してもらうことにより、自分の認識とは違った角度で価値観や強みを捉え直すことができるということでした。また、参加者の皆さんからは、「そもそもこういう思いや価値観、日ごろ抱いている課題などを誰かと共有できる場がなかった」、「自分で思っていたより深い認識を得ることができた」といった声が聞かれました。

 横浜、沖縄そして大阪から人が集まり、少なくともお互い半数は初対面から始まったセミナーでしたが、4時間という時間をかけて自己開示を行ったことにより、終盤には既に前から親密な間柄であったかのような雰囲気が生まれました。あっという間に時間が過ぎていった気がします。



 最後は、僕と先生との対談形式で、13年、160回続けてきたYMSの紹介をしました。発足したOMS、今後生まれるかもしれないその他の会のヒントになれば嬉しいです。



 そうした雰囲気の中で懇親会に移行。言うまでもなく大いに盛り上がり、その勢いは一部那覇に戻ってからも夜遅くまで続いたのでした。

繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした

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ひと口ごとに 大切なひととき-第160回YMS

2024年02月16日 | YMS情報


 2月14日、NATULUCK関内セルテ 801にて、第160回YMS(ヨコハマ・マネージャーズ・セミナー)を開催しました。

 今回の講師は、石川町で人気のかき氷店「小桃」を営んでいらっしゃる、川井まさ美様。3年前までパート主婦だったという川井さん。「進化し続ける『かき氷』について」と題し、わずか3年の間に人気店を育て、本も出版されるまでに至った経緯、現代のかき氷事情、そしてかき氷に対する思いなどをお話しいただきました。



1.かき氷店を開くまで

 まず意外なことに、川井さんがかき氷店を開いたのは、「かき氷を食べたことがなかったから」なのだそうです。かき氷の好きな友人がおり、彼女がインスタグラムに投稿するかき氷に惹かれて、食べてみたいと思うようになったとのこと。ところが当時は横浜にかき氷店がなく、「横浜にもかき氷店があればいいのに…」から、「だったら作っちゃえ!」へと夢が膨らみました。この話、社労士で5児の母、「保育所がなくて困るから、作ってしまった」第13回YMS講師、菊地加奈子さんと重なるものを感じます。

 そんな時、川井さんは友人が手伝っていた飲食店が昼間は営業しておらず、空いていることを知ります。そこでそのお店にパートとして入り、仕事をしながら信頼関係を築き、半年後オーナーにかき氷店の提案書、企画書を提出。その間、かき氷店開業講座を受講し、ビジネスとの向き合い方、考え方を学びました。その時、川井さんは晴れて初めてかき氷を食べることができました。インスタグラムによる完全予約制の集客でまずプレプレオープン。そして3日間のプレオープンを経てグランドオープン。たちまち人気店となりましたが、諸般の事情がありお店は2ヶ月で閉店することとなりました。

 失意の川井さんでしたが、この2ヶ月の間に来てくれたお客さんからの感謝や励ましのDMに力を得て、自前のお店を開くことを決心します。しかし、物件探しは難航。一方で2ヶ月とはいえ人気店を作り上げた経験と実績から、全くの個人にも拘らず日本政策金融公庫から融資を受けることができ、「かき氷店 小桃」をオープン。とはいえ、記憶に新しいところですが、折からの半導体不足で満足な冷蔵庫もガスコンロも揃わず。家庭用冷蔵庫でその日必要な分だけを用意して回すという苦難の船出でした。しかし、「その時のつらい経験が今の力になっている」と川井さんは言います。

2.現代のかき氷

 かき氷の歴史は、平安時代中期、『枕草子』に「けずりひ(削った氷)」の記述が見られるのが初出と言われています。当然のことながら、当時夏でも氷を保存しておくのは至難の業であり、かき氷は貴族だけが食べられる貴重品だったはずです。以前、韓国で「清道石氷庫」という17世紀末に造られた氷室を見物したことがありますが、氷室を持っているということ自体が権力の象徴であったことでしょう。

 その後時代は下り、明治2年(1869年)、横浜馬車道で町田房造が「氷水店」を開き、「氷水」と「あいすくりん」を発売しました。この「氷水」がかき氷にあたります。明治20年頃になると人工的に製氷できるようになり、かき氷が普及し始めました。一方で、下手をすると健康を害しかねないような粗悪な氷も出回るようになりました。これと似たような話として、日本が開国し、緑茶が主要な輸出品となる中、到底お茶とは呼べないような葉っぱに緑青で色をつけた、聞くだに恐ろしい粗悪品まで登場したという話を以前読んだことがあります。閑話休題、こうした動きに国も取り締まりに乗り出しました。「氷製造人並販売人取締規則」を発令し、国の衛生検査に合格した業者だけに氷の産地などを記した「氷旗」を掲げることを義務付けたのです。この名残が、今でもかき氷屋の軒先にぶら下がっている「氷」と書かれた旗です。さらに昭和に入ると削氷機が全国に普及するようになり、かき氷は日本の夏の風物詩となりました。



 ところで、70年代生まれの僕に限らず、今でもこれがかき氷の一般的なイメージだと思うのですが、上の写真のような粗削りの氷にシロップをかけた、美味しいけれども食べると頭が痛くなる、お祭りの屋台などでみかけるアレです。しかし、1990年以降、雪のようにふわっとした、頭の痛くならないかき氷が登場します。そういえば、先日フィリピンに出張した際、フィリピンのかき氷「ハロハロ」もふわっとしたのが人気なのだと言っていました。今度行ったら食べてみます。

 食べても頭が痛くならないのには秘密があります。かき氷に使う氷は「天然氷」と人工的な「純氷」とに大別されますが、純氷は純度の高い水を天然氷と同じように時間をかけ、ゆっくりと凍らせます。不純物が少なく結晶が整っているため、溶けにくいという特徴があります。この性質により、通常-20℃ある冷凍庫から-5℃程度にしても氷の状態を保つことができます。この温度差により、頭が痛くなりにくいという訳です。ちなみに「小桃」では、この温度を保つため、冷凍庫を二種類使用し、-20℃ある冷凍庫から使用前日に‐5℃の冷凍庫に移しています。この移すタイミングは、お店によってまちまちなのだそうです。

 次に、氷を削る削氷機について。業務用の削氷機は大きく、20kgs~30kgsぐらいあるのだそうです。削る際は刃ではなく氷の方を回転させます。刃はステンレスか鋼が主流。ステンレスは錆びにくく、刃の持ちが良いという特徴があります(交換までに100回くらい使える)。鋼は切れ味が良いものの錆びやすく刃の持ちが悪くなります(交換まで30回ほど)。ただし鋼の刃は研いで使うことができます。それでもステンレスに比べると安定して使用するには扱いが難しいのだそうです。氷の質を保つのは結構デリケートな作業なのだと想像はできます。氷は薄く削るほどふわふわになりますが、その分氷の状態を保つのが難しくなります。

 最後に仕上げ。小桃では、削った後、氷の流れに沿って表面を軽く抑えるようにしています。そうすることで形が整い、溶けにくくなるそうです。そしてシロップをかけますが、シロップの浸透具合によってフワフワ感が異なってくるので、全体に染み渡らせることが大事になります。しかし、シロップの種類によって新党の仕方が異なるので量の調整などを行います。川合さんの経験では、浸透しにくいシロップの場合には間に練乳を挟むと効果的と感じる時があるそうです。

3.進化し続けるかき氷

 小桃のかき氷は、「発掘系」と呼ぶ、氷を掘り進んだら中から何が出てくるか楽しみなかき氷。このように、屋台のかき氷しか知らない僕から見たら、驚くような進化をかき氷は遂げています。前回(第159回)YMS講師の寺澤さんが「かき氷2杯でお腹いっぱいになる」とおっしゃっていたのが最初分かりませんでしたが(何しろ溶けてしまえば水ですから)、その意味が分かりました。

 エスプーマ:「エスプーマ」とはスペイン語で泡のこと。その名の通り、泡立てたムース状のソースをかけたかき氷で、見た目が華やかで、ふわっとした氷が溶けにくいのも特徴です。

 お食事系:いわゆる甘味ではなく、食事として食べられるかき氷。オマール海老がのっているかき氷、ともろこしとウニのかき氷、お茶漬けかき氷、天丼かき氷、お好み焼きかき氷、グリーンカレーかき氷など、無数の種類があるようです。かき氷から入って、その元の料理の方に関心を持つようになる人もいるそうです。

 ケーキ型:文字通り、まるでホールケーキのような見た目のかき氷です。バリエーションとしてリング型などがあります。

 疑似型:他の食べ物をかき氷で再現したもの。

 演出系:メレンゲで固めた氷にアルコールをかけ、火をつける。バーナーであぶる。チーズやトリュフを目の前でかけるなど、演出を凝らしたかき氷です。

 コラボ:人気かき氷店同士、あるいは寿司屋など異業種とコラボレーションするパターン。

 催事・イベント系:かき氷店は集客力があるので、催事での出店が増えているそうです。かき氷のみの催事もあります。奈良県の氷室神社では2014年から毎年「ひむろしらゆき祭」というかき氷の祭典を催しており、奈良はかき氷の聖地と呼ばれているそうです。

 このような進化の背景には、インスタグラムのようなSNSの普及とも無縁ではない気がしますが、いずれにせよ、その多様化によってかき氷は今や夏だけに楽しむものではなくなっているのです。

4.かき氷への想い

 川井さんは48種類ものかき氷のメニューのイラストをご自身で描き続けているそうです。「発掘系」は食べ進めていくにつれて発見があり、変化が楽しめるのが特徴なので、その分イラストは複雑で簡単ではありません。それでも、お客様の反応を見ながら、ご自分の想像も膨らんでいくとおっしゃっていました。

 前述の「かき氷店開業講座」で、「かき氷を売りたいなら、かき氷を売るな」という教えがあったそうです。その心は、お客さんはどうしてかき氷を食べに来るのか、さらにはどうして「小桃」のかき氷を食べに来るのか?ということです。それを川井さんは「幸せな気持ちになりたいから」と考えました。さらに「どんな時に幸せになれるか?」と考えた時、「誰かに大切にしてもらえた時、大切にしたい何かがある時」だというのが川井さんの結論です。

 今日の進化したかき氷は決して安いものではありません。ちょっとした非日常の贅沢です。それでも敢えて幸せを感じるためにかき氷を選ぶのはなぜなのか?お客様が大切にしていることを、川井さんは最初の店舗の時に学んだと言います。それは、氷が持つ儚さ、1秒ごとに形を変えていく瞬間の貴重さ。二度と戻らぬ、その瞬間だけに感じられる喜び。それをお客様とともに大切にしたい…。こうして生まれたお店のコンセプトが「ひと口ごとに 大切なひとときを」です。

 かき氷にはまっているコアなファンはもちろんですが、3年前の自分と同じように、かき氷を食べたことがなく、食べてみたいけれどもどうしたら良いか分からないという方たちのため、小桃は完全予約制をとっていません。また、たくさんの人にお家で気軽に「発掘系かき氷」を楽しんでもらいたいが、小さな店舗と身一つでは限りがあるということで、本も執筆しました。これがわずか3年、しかもコロナ禍の3年の間に起こったことです。



 最後に。奈良の「ひむろしらゆき祭」は、和銅3年(710年)に春日野の氷を氷室に蓄え、平城京に献上するようになった歴史から、今日に至るまで氷室神社で毎年夏に純氷のかき氷の奉納を行っていることを活かした「かき氷の祭典」として、地域活性化に一役買っています。翻って、横浜はというと前述の通り、人口380万人を擁し、現在に連なるかき氷は横浜発祥であるにもかかわらず、3年前までかき氷店が1軒もありませんでした。市民の多くも馬車道がアイスクリーム発祥の地であることは知っていると思いますし、5月9日を「アイスクリームの日」としてアイスクリームを配ったり、イベントを開催したりしていますが。同時にかき氷も発祥であったことはほとんど知られていないと思います。今や季節を問わず親しまれるようになったかき氷は、もっと横浜のためにできることがあるのではないか?そんな小さな想いを大きな力に変えていきたいと川井さんはおっしゃっていました。

かき氷店 小桃

神奈川県横浜市中区石川町2-78-10 ビーカーサ石川町102



繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした

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多彩な中国茶の世界を垣間見るー第159回YMS

2024年01月13日 | YMS情報


 1月10日、新たに貸会議室NATULUCK関内セルテ 801をお借りして、2024年最初の第159回YMS(ヨコハマ・マネージャーズ・セミナー)を開催しました。



 今回の講師は、寺澤孝史さん。実は今回講師をしていただくのは2回目で、前回は第106回YMS(2019年4月10日開催)「コーヒーは楽しい!〜まだまだ広がるコーヒーの楽しみ方〜」にて、コーヒーのお話をしていただきました。

 その時もご紹介しましたが、驚いたことに寺澤さんは元歯科医。学生中にコーヒーに目覚め、2003年に本物のエスプレッソを日本に広める会社に入社。10年間、スペシャリティ・コーヒーの普及に努められました。その後、銀座で台中(台湾)のコーヒーショップが期間限定で開いたお店で、コーヒーと中国茶を同時にドリップする手法に出会い、そこから中国茶の道へ。現在は横浜中華街で40年の歴史を持つ「悟空茶荘」にてお仕事をされながら中国茶の勉強に専念されています。

 ということで、今回は「中国茶を楽しむ」、お茶のお話しです。



 さて、後半の試飲に時間を割くため、講義の方は比較的簡単に(その代わり詳しい資料を頂きました)。日本ではお茶と言えば緑茶ですが、中国茶は発酵の度合いに応じて6種類(6大茶)に分類されるそうです。発酵の度合いが低い順に

 ①緑茶:まず発酵させていないのが緑茶です。日本茶は蒸しますが、中国の緑茶は釜炒り茶で炒ることによって発酵を止めます。お茶と言えば長江より南のイメージがありますが、中国全域で広く生産され、日本茶と比べ繊細な香りと甘さが特徴です。僕も先日中国のお客さんから「日照緑茶」というお茶を頂きましたが、それは北方の山東省のお茶でした。中国でも圧倒的に生産量の多いのは緑茶です。代表的なものとして、杭州の龍井茶があります。

 ②白茶:少しだけ発酵させた(微発酵茶)を白茶といいます。昔、缶紅茶で「ピコー」というのが売っていました。これは茶葉の芽の部分を意味する「白亳」に由来する「ペコ―」のことですが、僕は学生の頃、これが白茶なのだと誤解していました。白茶はビタミンが豊富で、現在化粧品に使われるなど美容業界で注目されています。種類として3種類ほどしかなく、非常に高級だそうです。白茶を寝かせて熟成させた「老茶」も人気があるようです。

 ③黄茶:もう少し発酵が進むと黄茶(弱発酵茶)となります。日本ではほとんど知られていませんが、元は皇帝への献上品(黄色は皇帝を表す色でもあります)で、製造が難しく貴重なお茶です。高値がついていますが、美味しいのかというと疑問符がつくとか。

 ④青茶:さらに進んで半発酵茶を青茶と言います。半発酵茶と言えば烏龍茶ですが、烏龍茶はこの青茶に分類されます。しかしながら、現在は青茶自体を指して烏龍茶と呼ばれているようです。烏龍茶は非常に幅が広く、台湾を代表する「凍頂烏龍茶」も色は緑茶に近いですが、青茶です。

 因みに、凍頂烏龍茶の産地である台湾の凍頂山はいかにも寒そうな高山を連想しますが、標高800mほどです。他の有名な産地である阿里山は2,663m、梨山は2,000mあります。これらのお茶は高山茶と呼ばれ、そんな高地でお茶が育つのかと感心してしまいますが、一般に高地ほど香りが良くなるのだそうです。ただし、高山茶を称した偽物も多いので、お土産を買う時にはご注意とのこと。

 烏龍茶の産地として最も有名なのは、何といってもサントリーが広めた「鉄観音」の福建省ではないでしょうか?鉄観音茶は岩場で栽培した「岩茶」の一つです。非常に力強いのが特徴で、栽培した木ごとに名乗れる名前が決まっているのだそうです。

 台湾、福建と並ぶ三大産地の残りの一つは広東省です。有名なのは鳳凰単叢「蜜蘭香」。鳳凰山で栽培され、単叢(たんそう)というのは、一つの木から栽培されたという意味です(ウィスキーでいう、「シングルカスク」のようなものかもしれませんね)。その名の通り、南国果実を思わせるフルーティーな香りと蜜のような甘い香りが特徴だそうです。

 ⑤紅茶:完全な発酵茶が紅茶です。よく紅茶は「ヨーロッパ人が緑茶を運んでいる間に発酵してできた」なんて通説がありますが、18世紀に福建省で青茶の発酵をさらに進めて誕生したものです。お茶を最初にヨーロッパに紹介したのは17世紀のオランダ人ですが、それは紅茶ではなく緑茶でした。因みに、学生の頃講演を聞いた、角山栄先生の『茶の世界史』によれば、当時のオランダ人は肝心のお茶の方を捨て、茶葉をバターで炒めて食べていたなんで書いてあった記憶があります。30年も前の話なので定かではありませんが。



 ⑥黒茶:紅茶までは茶葉に含まれる酸化酵素による発酵ですが、黒茶は麹菌を添加して発酵させます。なので「後発酵茶」と呼ばれます。よく知られているところでは、プアール茶が黒茶に分類されます。意外にも生産量が多く、2021年の中国茶統計によれば、緑茶、紅茶に次いで3位となっています。

 6大茶以外に、ジャスミン茶、菊花茶、薔薇茶、金木犀(佳花茶)のような花の香りを足したり、造形茶として花を足した「花茶」があります。北京ではジャスミン茶がポピュラーだそうですが、水質の良くない土地で匂い消しのためにジャスミンの香りをつけたというようなことがあるようです。また、造形茶の歴史は意外と浅く、1980年代ごろからだそうです。

 また、一般に発酵の度合いが低いものほど身体を冷ます作用があり、発酵が進むほど身体を温める作用があるそうです。寒冷のヨーロッパで紅茶が普及したのは、理に適っていたのかもしれません。



 さて、後半は試飲に移りました。中国茶の多彩さの一端に触れるため、先ほどの烏龍茶三大産地から3種類のお茶を味わってみました。



①四季春(台湾)
②白芽奇蘭(福建省)
③蜜蘭香(広東省)



 四季春。左は比較のための、サントリー烏龍茶(ペットボトル)です。台湾南投県で栽培されており、一年中茶葉が採れることから四季春と名付けられたのだそう。やさしくほのかな甘み。わずかにコーンのような香ばしい香りがします。



 続いて福建省の白芽奇蘭。四季春と色が全然違うのが分かりますね。その名の通り、花のような香りがするそうですが、僕は鼻がおかしいのか、海苔のような香りがしました。軽いタンニンを感じます。茶杯の残り香は、やはりコーン菓子のような香ばしさを感じます。



 そして先ほどお話しした広東省の蜜蘭香。まさに蜜のような甘い香り、色から連想されるイメージとは裏腹に渋みもなく、乾いた喉にすっと入ってくる優しさがありました。

繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした

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2023年もありがとうございましたー第158回YMS

2023年12月14日 | YMS情報


 12月13日、横浜中華街「菜香新館」にて、第158回YMS(ヨコハマ・マネージャーズ・セミナー)忘年会を開催しました。菜香新館は過去14回の忘年会で昨年に続き通算5回目となり、定番でお世話になっています。

第41回YMS
第65回YMS
第115回YMS
第145回YMS



 初めに、会長の茂野光将よりご挨拶(何だか嬉しそうですね…)。



 乾杯のご発声は、今回初参加、テレビ神奈川の佐藤浩二様よりいただきました。突然のお願い、ありがとうございました。

 158回の延べ参加者総数は2,850名。今年も以下のようなバラエティに富むセミナーを開催することができました。2年連続の大阪開催、来年は3回目となる沖縄も予定されています。

第146回:コロナ禍で失ったもの、或いは得たもの
第147回:あきらめなければ道は拓ける。朝の来ない夜はない。~負債40億円からの挑戦~
第148回:発達障害と運動発達の関係〜運動発達をさかのぼることで身心を整える〜
第149回:世界中の女性から愛されるベリーダンスとその魅力
第150回:産業スパイと戦う
第151回:『魚ビジネス』魚の教養を身につけて世界でも一目置かれる経営者になろう
第152回:地域の自立・自走を目指す伴走型支援
第153回:酷暑にこそ合わせたい!ワインと料理のマリアージュ
第154回:7つの習慣ⓇBusiness Ownership研修体験会~当事者意識を向上させる3つの要素とは?~
第155回:税務調査セミナー
第156回:不登校生・発達障害・起立性調節障害のための自分の居場所~留学という選択肢~
第157回:武道精神、空手の心構えを通して人を育てること

 現在2025年6月までのセミナーが既に決まっており、たくさんの興味深いテーマをご用意しておりますが、引き続き興味深い方々のご紹介をお待ちしております。来年もどうぞお気軽にご参加ください。今後ともYMSをよろしくお願いいたします。

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菜香新館



神奈川県横浜市中区山下町192

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