はらじゅく86のブログ

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Nさん、その後いかがですか……

2017-03-07 01:03:42 | 日記

Nさん、その後の経過はいかがでしょうか。
今回のOPの目的であった、痛みが軽減されるといいのですが。リハビリもするのでしょうか。
散歩などはまだ先のことなのでしょうか。散歩ができるようでしたら、できたら構内のあの池の方にも行かれたらいいと思います。この季節だったら蚊に刺されることもなく、それなりのふしぎな雰囲気を味わうことができるのではないかと思います。ご存知だとおもいますけど、散歩コースはたくさんありますよね。また、何人かのメンバーと連絡をとってみたいとおもっています。
Nさんには明日、メールを書こうかなとおもっていますが、大丈夫なんでしょうか。

実は、ぼくにとって、T病院は懐かしいところなのです。 19歳のときでしたか、鼻中隔弯曲症(鼻茸)で1泊2日、人生で一度だけの入院歴があるのです。またそのころ読んだ、確か、T病院に入院したことがある塩瀬信子さんの日記ですけど。医師であるお兄さんが編集したその本を読んだ記憶もあるのです。処分するはずのない懐かしい本なので、探してみればあるはずです。また、その塩瀬さんの顔はいまでも、なんとなく憶えているのですね。
ぼくはこの本を、帰省したときに、今となってはなぜだかわからないのですが、脳卒中で寝ている祖母の枕元で読んであげたことがあったんです。もちろん塩瀬さんの本だけではなかったのですが。

しかし、すごいですね。いま検索したら出てきました。さすがアマゾンと言いたいところですけど、まあ抑えないとまずいですね……。
その本というのは、『生命ある日に―女子学生の日記』 (1962年初版)
しかし、その値段なのですが、もちろん中古本です。何となんと、驚くことに、値段が、3680円~15794円。
しかし、なつかしいですねー。写真も検索したらヒットしたので、ぼくの想い出としてアップさせていただきます。 

この写真は本のなかにある写真ですね。 

 

こんな立派な記念碑があるとは驚いてしまいます。ご家族と友人の方々が建てたのでしょうね。確かご自宅は愛知県の岡崎の方ではなかったかと?まったくあやふやな記憶ですけど、そんな印象が記憶のすみにあります。

すみません。Nさんへのお見舞い伺いのつぶやきが、じぶんの想い出話になってしまいました。
  


Nさんの健康を祈りつつ

2017-03-06 16:06:15 | 日記

Nさんから手術されるとのメールが入りました。

お加減はいかがでしょうか。

お元気になったら価値観の変化などについて皆でお伺いしたいものです。

ご快癒を皆でお祈り致します。

KMさん、転居されたそうですがお元気ですか。

ブログで近況をおしらせいただけると嬉しいです


……母と子……

2017-03-03 00:13:09 | 日記

今日、スマホでか、パソコンで目にしたのか忘れましたが、たまたま目にしたこの親子
の写真がとても気にいったので、ただそれだけの理由で、わざわざとここにアップさせ
ていただきました。

親としての子の存在。これは僕にとっては未知・未経験の現実。
ぼくの、親としての“親子という関係”。これは未知・未経験の関係。

昔むかしの、
そのまた昔の、母親との懐かしい遠いおぼろな記憶のなかの、そのまた遥かに遠いとおい無意識のころの……母親の胎児としてのじぶんの無意識以前の……その存在未満の非在としての……いや陸生動物として海から上陸する以前の……それは、じぶん・自分・ぼく?……ぼくはどこから・いつから、自分・じぶんになったのか……

写真は、「出産以来、約半年ぶりに娘と再会した場面、パレスチナ自治区ガザ地区

【2月21日 AFP】
エルサレム(Jerusalem)で娘を出産したパレスチナ自治区ガザ地区(Gaza Strip)の母親が20日、昨年8月1日の出産以来、約半年ぶりに娘と再会した。
 ジュマナ・ダウド(Jumana Daoud)さんは早産となったため、未熟児の受け入れ態勢が整ったエルサレムの病院での出産を決意。ガザ地区に住むパレスチナ人がイスラエルに行く場合、パレスチナ自治政府経由で申請しなければならず、ダウドさんはあらかじめ許可を得てエルサレムへ行き、娘のマルヤム(Maryam)さんを出産した。一緒に身ごもっていたマルヤムさんのきょうだいは、その時死亡したという。
 その後、ダウドさんは他の2人の子どもの世話のために一度ガザ地区へ帰郷。そしてマルヤムさんの元へ戻ろうと昨年10月に再度エルサレム行きを申請したが、なんの音沙汰もなかった。しかし19日夜にイスラエルの民放「チャンネル10(Channel 10)」がダウドさんの話を放送したところ、すぐにエルサレム行きの許可が下りた。許可が遅れた理由は不明だという。
 世界保健機関(WHO)は、治療目的でガザ地区からイスラエルに行く許可が降りないことが増えているとして懸念を示している。病院の予約の日までに回答がない例が大半だという。

http://www.afpbb.com/articles/-/3118651?pid=18749971
 (上記記事のサイトです)

 


安倍総理と昭恵夫人と森友学園と……

2017-03-02 00:15:19 | 日記

Nさん、メールをいただき有り難うございました。
3月のOPのときに、何人かで訪ねることができたらいいなと思っています。 
それにしても、あのときから27年になるのですね。皆でHのHPにお邪魔したのも、その少し後だったわけでしょうか。 メールにあったその新たなOP療法というのは、前にお聞きした本の内容に関係したことなのでしょうか。
しかし、メールの中の最後のことばがほんとうに気になります。そのような強い共なる関係性を生きることができていることは、素晴らしいですし、うらやましいのです。

ぼくは、そのかけがえのない固有名詞の発することば・その現実存在の激しさ・その極限的苦難・受苦の象徴・crossの美しさ・その血の証による真実に、打ちのめされたいのです。そしてその聖書に証言されている歴史的過程・現存性・同時性に、そこに注思・注視することを課題として、そして、その共同性に参入できる可能的道筋に立ち・進むことができたら、それ以上の実存的・共生的・意味・願望、はないということなのです。
じぶんでもよくわからないことを書いたので、読んでいただけたにしても意味不明な点が多いと思います。

また以上のことは、こうした場に書くべきことではないのかもしれません。でも、ぼくたちグループの固有性のなかでは許容されてもいいことなのではないか、とも思うのです。いつもながらのかって気ままですみません。

◆大阪の森友学園事件のことはここに書くまでもないですね。ぼくなどよりもよくご存知のことだと思います。でも、暇な時間はぼくの方があると思うので、少しばかり気になった映像をアップしてみます。興味と時間があるかたはぜひ。それにしても、お粗末でとんでもない事件です。たまに国会中継を見るのですが、見た限りでは、共産党の小池さんの手持ちの資料の質と量がすばらしい。また、その質問の鋭さもメリハリの利いた声量とともに秀逸でした。

“愛国”学校ができるまで 名誉校長は安倍総理夫人
https://www.youtube.com/watch?v=XKaiweWAhKM&feature=youtu.be

2014年塚本幼稚園の運動会の選手宣誓
さらに驚く! 朝日新聞謝れ!政権への応援と憲法改正を求める署名を保護者に
何も知らない園児たちが言わされているこの言葉は常識を超えている…
この罪深き幼稚園の名誉校長に総理夫人が一時でも引き受けられた責任は重いのでは…
(興味深い映像がたくさんあります)
https://twitter.com/3SC5vunUPhy5Env/status/836233779295338496


森友学園の「運動会の宣誓」の様子
https://twitter.com/GeeGaku/status/835411734043058176

「愛国心」と「天皇国日本」が教育理念 「9割引」で国有地を買った小学校、名誉校長はあの人https://www.buzzfeed.com/kotahatachi/what-is-mizuhonokuni?utm_term=.fgY2GqN10#.crb3v2keg

◆以下は、気になったツイートです。(全くと言っていいほど集荷作業はしていません。怠けて楽してです)

内田樹 ‏2月25日
たくさんRTしましたけれど、僕はこの事件が安倍政権の「終わりの始まり」になると思っています。強権にへつらう人たちだけが選択的に受益できる仕組みがこの数年で日本のほとんどすべてのシステムに蔓延しました。いつのまにか性根の卑しいやつばかりが威張り散らす社会になった。

内田樹 2月25日 ‏    
『彼岸花』で佐分利信が戦時中を振り返って言う「俺はあのころが一番嫌だった。バカなやつが威張っていて」と『秋刀魚の味』で加東大介が「負けてよかったじゃないか」と笠智衆に言われてつぶやく「そうかも知れねえな。バカなやつが威張らなくだっただけでもね」に小津安二郎の思いを僕は感じます。

中島岳志 3月1日 
この数年、「左派スピリチュアリズムの日本主義化」という問題を考えています。その延長上で、安倍昭恵さんの書いたものを熟読しています。自分らしく生きることに目覚め、無農薬農業に関与し、ミャンマーの子供たちを支援し、LGBTの祭典に参加する彼女が、なぜ森友学園の教育に感銘を受けるのか。

中島岳志 ‏3月1日
安倍晋三的なるもの」よりも「安倍昭恵的なもの」の方が、戦前の超国家主義に近接しています。小沢健二の新曲も同様の問題を含んでいると思います。このあたりの問題を、近くまとめてみたいと思っています。
(この二つのツイートが気になります。その「まとめ」を読んでみたいです。小沢健二さんはほとんど知らない方だったのですが、少し調べてみたら大変な家系の人なのでした。最新のシングル『流動体について』を聞き、歌詞も読みました。歌はともかく歌詞は難しくても興味をもちました。また、中島さんの解説で、Eテレ「100分で名著 ガンジー『獄中からの手紙』」がよかったです。来週は宮沢賢治ですね。ぼくはこの中島さんを、若松英輔さんとの対談本を読んでから興味をもつようになりました。) 

市民メディア放送局 2月27日
ひるおび 田崎史郎「総理大臣となると、利用しようと集まってくる人は沢山集まってくるわけでー」
お前が言うな!
(2月27日、安倍総理が急きょ、報道関係者数人と赤坂で飲食との記事。この田崎さんですけど、ぼくも「昼おび」6chでこの場面をみましたが、田崎さんの発言はひどいものでした。いつもそのような発言かもしれません。それに各新聞の首相動静などによるど、田崎さんは安倍さんとの飲食の回数がマスコミ人で断トツに多いとのことです。だからどうしたの?という反論も可能ですが、しかし報道の客観性・公平性を担保し、またその報道の自由性・反権力性を標榜する自らの存在基盤を考えたら、報道人として、あってはならない姿勢だと思います。
https://twitter.com/info_9/status/836073186567434241 

西沢昭裕  2月27日
田崎史郎があいもかわらず安倍政権におべんちゃら。成田闘争の過激派で何度も逮捕された末、変心するや出世街道をまっしぐら。過激派が転落するとこんなに権力べったり男に堕落するという見本のような男。時事通信社はいつまでこんな恥ずべき男を解説委員にさせておくのか。
(このツイートに全て賛同ではないけれど、ぼくも気持ちは近しい感じです)

大河原としたか  3月1日(香山リカさんのリツイート)
(小池晃参議院議員の質問より)
どれだけの思いをしてみんな税金払っていると思っているんですか
社会保障がどんどん切り捨てられて、どれだけの人が苦しんでいると思っているんですか
億単位で、こんなでたらめに国民の財産を扱うようなことやって許されると思っているんですか

 


文部省唱歌 『朧月夜』

2017-03-01 02:16:26 | 日記

 

文部省唱歌 『朧月夜』 ユーチューブです。聞きながら読んでいただけたら、文章のお粗末さが……。
でも、聞きながら読むことができるのは、パソコンの場合だけですね。スマホでは無理のようです。
このサイトには、たくさんの童謡・唱歌があります。
https://www.youtube.com/watch?v=djNC73V-X0c
1914年(大正3年)初出 作詞:高野辰之 作曲:岡野貞一 歌:NHK東京放送児童合唱団

菜の花畠(ばたけ)に 入り日薄れ
見わたす山の端(は) 霞(かすみ)ふかし
春風そよふく 空を見れば
夕月(ゆうづき)かかりて におい淡(あわ)し


    

「菜の花がいっぱい咲いています。
晴れた空の下で、広々とした菜の花畑がとってもきれいです」
といったような文章を、小学3年生のころに宿題でかいて、賞をもらったことがありました。
そして、おまけにその詩のような文章が、近在の小・中学校生徒の作品集として、立派な本になってしまったのでした。
今でも、その本は手元にあるのです。そして少し前に、小学校の同級生が15人ほど集まって食事会をしたのです。
その席には、お世話になった先生も久しぶりにお呼びしたのです。

先生はぼくの顔をみるなり、「おお、変わってないね」「Sくんのあの詩はよかったよ。Xにも載ったしね」と言われて、ぼくは、先生のその記憶力に驚きながらも、憶えていてくださったのがうれしかったのでした。でも、先生はクラスの担任ではなかったのにどうして憶えてくださっているのかな、と、なにか不思議な気持ちはいまでもあるのです。

そしてまた、先生には、先生の記憶のなかにある昔のいろいろなことを話していただいたわけです。そして、その話のなかに、ぼくがまったく知らなかった、びっくりするような話がいくつかあったのです。「Xくんはあの時、ああしていたんだよ。Yにはそういった事情があったんだよ」といったことごとを話してくださった。
ああ、そうか、そういうことだったのか……。
ぼくは酔いがまわるなかで、そのころの先生のことや、小学校低学年でも意識の成長が遅れていたじぶんのことや、そのころの友だちのなんにんかを想いだすなかで、なぜか感慨無量の気持ちでいっぱいになってしまったというわけでした。

でも、実はそのときに、ぼくは先生に、必ず言わなければいけなかったことがあったのです。そのことを先生に言うつもりではいたのです。うそでなくほんとうに。でも、でも結局、そのことは言えなかった。お酒のせいなのかなともおもうのです。でもお酒とはかんけいなどなく、ぼくがそこで先生に言えなかったということは、なんだかとてもひきょうな気もしたのです。いまでもそうなのです。

でも今更しかたない、言えなかったのだから。でも、そのほうがよかった、という気持ちも、実はあるのです。
そして、そこで先生がなんどもあの子どもの頃のことごとを、そしてまたあの詩はよかったよ、と言ってくださった気持ちがうれしかったし、ありがたかったし。

そして、そのとき、ぼくが先生に言いだせなかったことなのですが。
実はここで言うのも恥ずかしい話なのです。
それは、ほんとうに、じぶんの人生で最大級の、世界への裏切り行為!などというとほとんどおおげさ過ぎてしまいますけど。でも、それは、じぶんの、ぼくにとって消すことのできない“うそつき”としてのおてん、であることは確かなことなのです。

そのことをいま、この場をお借りして独語させていただくしだいです。
勘のいいかたは、もうたぶんお分かりだと思います。
そうなんです。実はそのことは、まことにみっともないことなのです。
実は、あの詩というのは、座卓に向かうぼくの傍らで、母が一語一語ゆっくりとかみしめるように、口にしてくれたことばだったのです。

あるとき、ぼくがもっと小さかった頃に、あの『家なき子』を涙ながらに読んでくれた母が、忙しい母が、どうしてあのようなはんざいもどきのことをしてくれたのか。
そうしたことごとのすべては、いまでは夢のなかの出来事でしかないのですが。
その頃も、母に宿題をみてもらったことなんか、ほとんどなかったように思うのです。
しかし、そこでの情景が真実どのようなことごとであったのか、もちろん今では、とおい宇宙のはての星々のできごとのせかいのようなことごとになってしまいました。

でも、確かにあの詩は、ぼくの創作ではなかったのです。ここでぼくは、いや、あれは母との共作だった。
と言いたいような誘惑にもかられるのです、でもあの詩は、ぼくの心のなかから出てくるはずがないことばであった。そのことは確かなことなのです。
そうなんです。

それにしても、文章というのでしょうか、ことばを紡ぎだすということはほんとうにむずかしいですね。
ぼくにとってはいつでも、紡ぎだすというより吐きだすという表現がぴったりします。紡ぐためには、いつだって、それなりの要件がなければだめなんですね。それをつぐもうとする気持ちと道具と作業がキチンとそろっていなければ無理なわけです。だから、ぼくの紡ぎかたが毎度トンチンカンであってもとうぜんだし、分かりやすくて、それなりの文章などというのは、ないものねだりのことでしかありません。それでもめげることなく勝手放題を……