Nさん、おやすみなさい。
メールではご挨拶させていただいたので、コメントは明日、書かせていただきます。
実はこんなことは初めてでした。他の方はぼくとの関係でそうしたことがあったかもしれません。
という、そうしたことというのは、Nさんとぼくが時を同じくして投稿をしようとしたことなのです。
先ほどは、ほんとうにびっくり仰天してしまいました。そうなのです、新規投稿をクリックしたら、
バアーと文字が並んでいたのです。あれっ!……
でもすぐに了解できました。それから、ときどきスマホでアクセスして投稿を確認したりしたのです。
でもそのときには、ぼくもこのPCのメモ帳に記事を書いていたのです。ですからまったく時間の
ロスはありませんでした。そんなほんとうに初めてのことがあって楽しませていただいたというわけ
なのでした。
窃盗罪問われた元中国放送アナに逆転無罪判決 最高裁
千葉雄高、久保田侑暉2017年3月10日19時21分 朝日新聞デジタル
「……最高裁によると、07年以降で、一、二審とも有罪とした判決を最高裁が破棄し、
差し戻さずに無罪としたのは煙石さんで10人目という。……」
http://digital.asahi.com/articles/ASK3B4FT0K3BUTIL018.html
皆さまも、テレビのニュースでご覧になったかと思います。
昨日のテレビ解説でも、異例の最高裁判決になりそうだとは予想されていました。
そしてそのとおりになって、実にうれしいです。ほんとうに喜ばしいニュースでした。
でも、その事件の概要をテレビの解説を見たかぎりでも、その検察側の立証があまり
にも雑でお粗末だったのは明らかなように思いました。そして更に、1、2審ともに
有罪判決とされてしまったのも信じ難いことでした。
朝日の記事では、「最高検は『主張が認められなかったのは遺憾だが、最高裁の判断なので真摯に
受け止めたい』との談話を出した」とあります。こうした言葉は検察側が敗訴したときの常套句
なのだと思います。でも、このコメントはおかしいと思いますね。「遺憾」と「真摯」が同列的に
使われていることに違和感をもつのです。
「遺憾」は広辞苑だと、思い通りにいかず心残りなこと。残念。気の毒。「真摯」は、まじめで
ひたむきなさま。
最高検察庁が、もし本当にこの判決を「真摯に受け止めたい」と言うのだったら、その「遺憾」
という言葉の使い方は間違っているのではないか、と思うのです。
遺憾(⇒残念⇒口惜しいこと、無念⇒広辞苑)という言葉は、自分たちの判断(挙証責任)が否定された
ことについての、反省や総括をすることを嫌がるため息でしかないのでは。その最高検の談話は、その
最高検察庁検察官としての、自身の重職への無自覚さを象徴する言葉でしかないのでは。
そしてその言葉に決定的に欠けていることは、憲法で保障された主権者・国民である、被告とされた
当事者への視線・眼差しではないのか。つまり、そうした無自覚的な意識の欠落ではないのか。
最高検のそうした常套句には、水戸のご老公さま物語の「一件落着」のような、いつもどおりの
仕事を片づけたという職人的感覚を感じるだけ。しかし、ご老公は勧善懲悪劇の主人公だ。言ってみ
れば、この世の善悪のすべててを見通すことのできる阿弥陀様の化身・象徴だ。最高検が生まれ変わ
り真実の一件落着と言えるようになるためには、億万回もの輪廻転生が必要ではないのか、と……
この判決で、裁判官4人中、反対意見は1人。東京高検検事長だった小貫芳信裁判官。この5年間で
小貫判事の反対意見はこの1件のみ。(下記ヤフーニュースと最高裁HPに記載)
“煙石博さんの無罪を勝ちとる会”HPの「事件・裁判の経過」です。
http://enseki.noor.jp/?page_id=275
判決は、裁判官4人のうち3人の多数意見。検察官出身の小貫芳信裁判官は無罪に反対する意見を述べた。
ヤフーニュース http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170310-00000110-jij-soci
小貫芳信裁判官の裁判官としての心構え、「事実に対しては謙虚,判断に際しては公正でありたい
と思っています」
最高裁HP http://www.courts.go.jp/saikosai/about/saibankan/onuki/
小貫芳信裁判官 wiki
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E8%B2%AB%E8%8A%B3%E4%BF%A1