嘘の吐き方(うそのつきかた)

人はみんな嘘をついていると思います。僕もそうです。このページが嘘を吐き突き続ける人達のヒントになれば幸いです。

信じることと許す事の入り口にあるもの。

2008年02月19日 00時30分36秒 | 駄文(詩とは呼べない)
満たされていたものが、突然失われる喪失感にハッとする。
家族が亡くなった時、僕は自分の喪失感に気付くことに一年もかかった。
姉貴が死んでからおよそ一年後に、一人ベッドの中で思い出して泣いた。
その時からずっと考えていたことは、今もまだ、失われずに此処にある。

自殺の風景について考えることはたびたびある。
それはいつもあの止まった永遠に長い怒りの中に閉じ込められていて、
永遠が変化する僕を殺そうとする。

許し難い怒りを保持しているということは、とても切ない事だ。
金切り声でヒステリックに叫んでいる人の、
残響音がいつまでも心にこだまする、ということだ。
ずっと後悔だけを胸に、未来を期待しない、ということだ。

人を許さないということは、
人の存在を許さないということにつながっている。
どんなに幸せなひとときが続いても、
それが途切れた途端、人は不幸に襲われる。
そのとき呼び込んでくる喪失感に耐える術を、
僕は一人黙々と此処で唱え続けている。

誰かが言った。
人が人でないということ、
人がお金で買えるということ、
人が人であるということ、

そして誰かが言った
自分には何もないということ、
自分は人に買われるということ。

今、ひとたびの風が吹いて、
すべてを許してしまえるような笑いが起きたとしても、
いつまでも、その幸せな笑いを、僕は胸に保持して居られるだろうか。

僕にはできない。

僕には、一人分の心臓しか入らない。
そしてその心臓には、一人分の自殺願望が入っている。

人に恋することは悲しい。
愛に気づけないまま、恋をずっと照らし続ける行為はかなしい。
その一方的な好意が、ずっと自分だけに向けられる限り、
僕には僕の願望だけがある。

僕は僕の嘘を見抜く事ができるだろうか。
僕は人を嘘にしてしまえるだろうか。

それもできない。
たぶん、僕の中で、好きな人はずっと好きな人であり続ける。
嫌いな人を、死ぬほど嫌いな人を、たとえ一人でも作る事ができれば、
それは変わるのかもしれないが。

僕に残された時間で考える。
僕の声を聞いて、ボクの事を考えてくれるのは、
もしかして僕ひとりだけなんじゃないかって。
もっとボクを見てと叫んでも、
ふりむくのはずっとボクを見ている僕だけなんじゃないかって。

振り返るのは怖い。
ずっと僕の後ろをついてくる足音に、振り返るのは怖い。
だから僕は、決して後ろをみないように、一人で自殺を決意する。

そしてその映像は、ゆっくりと、しだいに形を帯びていく。

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