四角い囲いの中で数字に溺れている時計が好き
長い針と短い針でコチコチ唸る時計が好き
45秒と46秒を 決められないで迷い続ける時計が好き
元気の出ない電池を抱えて それでも動く時計が好き
僕は、時計が好き。
透明なケースの中で文字盤を映し込む時計が好き
尖った金色の針で 1秒しか進めない時計が好き
5時35分を刺したまま 何かを貫いて死んでいる時計が好き
四角い宝石の中で 輝きを失くさない時計が好き
君は、時計が好き?
君は、砂時計が好き?
十時十分、
君は僕を殴る人
イタイイタイ
それでも君は、僕を殴る人
九時十五分、
君は僕と向き合う人
銃を構えて
君と僕は見つめ合う人
八時二十分、
君は僕を困らせる人
こまったこまった
君が居ないと、僕は喧嘩もできない
十二時零分、
君と僕は殺し合う人
君と僕は愛し合う人
ねぇ、おねがい
どうか、おねがい。
「眉毛が好きだと言って!」
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時計は好きです。
人が創り出した機械(もの)なのに、人が支配できない時間(もの)を司るから。
今、僕は時計と時間に支配されているような人間だけれど、いつか自分で自分の時を刻めたらと思っています。
時計を構成する一つ一つの部品、
それらを構成する物質、
人はまだ、時計を創れないでいます。
今の僕や君は時間を自由に行き来できない位置に視座があるようですが
それらを自由に動く事の出来る視座があり、
人はその位置に立つ事ができます。
おそらくあなたは、永遠について、これまでに色々な事を考えたのだと思います。
ですが、その永遠は僕の知っている永遠と微妙に異なるものだと思います。
永遠を知る人が少ないのは、人が永遠を知る前に考える事をやめたり、
行動する事をやめてしまう事によって、光が永遠の領域に届かないからです。
数学的に言うと、
0と1の間にあるもの、∞の外にあるもの、0の外にあるもの、
それらについての数学的考察がまだ足りてないからです。
洗練された宇由の意志が、その真っ直ぐさで、意識を外部に移動させるとき、
その脆弱さは、存在と価値は、希薄さを超えて、
細く細く貫き、消滅へ向かいます。
なぞなぞ風に言うと、
真空が0なら、死はなぁ~んだ?
という話。
時計の精度は
あなたを計らない。
言葉の精度は
僕を測らない。
かなり奇妙なコメントを返しましたが、
別の意味での読み取りもしていますんで、
そっちの意味では、
普通に若者らしく頑張ってねぃ。
という感じですw
「数学的に~」のところは難しくて、いまいち意味が読みとれませんでしたが、永遠について、確かに僕はいろんな事を考えてきました。けれど、思考が脇道に逸れたり、別のことに思いを馳せたりしているのでなかなか思い至らないのが現状ではあります。でもそのうち、自分の永遠を考えられるようになろうと思っています。
そうとらえると、いろいろメガネがぼやきになります。
「うれゆきてきに~」のところはたどたどしくて、いまいちスープがくみとれませんでしたが、
ラーメンについて、おごそかにめんはいろんなあじをくわえてきました。
けれど、とんこつがドンブリにもられたり、
みそのことにとまどいをくもらせたりしているので
なかなかエグいみのらないのがスープではあります。
でもそのうち、デンセツのギョウレツをむかえられるようになろうとくるっています。
真空が0なら死は0未満
或いは無限大
私にはそう思えました。根拠はおそらく在りません。
コメントを受け付けて下さっていて 有難うございます。 また伺いますね。
はじめましてん。
mixiとblog、ちょろっとだけ見ましたよ。
何かコメント書こうかな、と思ってしばらく悩んだあげくにやめました。
少し雑音が多くて、伝えたい事が言葉を通過する前にどこかへ掻き消されそうな気がしたので。
死に根拠は要りませんよ。
誰かが死ぬ、何かが死ぬ、ということはこの世界の何かに根ざしているわけではないと思います。
そしてそれを数字で表現する事もまた、
死は「死」そのものの現実化によって圧倒的に我らを包囲するからです。
死は立ちはだかり、連れ去り、そしていつでも優しく見守る。
どこにもないかわりに、どこにでも平等にある。
僕は死が観念の中で一点に収束し、
自己表現が拘束される事に危機感を抱いています。
僕の死に方は、僕が決める。
それが願い。